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島田昌和先生に聞く~日本資本主義の父、渋沢栄一の実像とは?

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島田昌和氏(1)2019年末以降、欧米を中心として、株主価値の最大化をめざす株主主権型の資本主義から、多様なステークホルダーとの関係を重視するステークホルダー資本主義へと急激な潮流の変化が起こっている。ステークホルダー資本主義は、現代欧米人からすれば新しい資本主義の概念に映るかも知れない。しかしながら、日本においては、渋沢栄一が100年以上前から、ステークホルダーを重視する「合本主義」を提唱している。世界の経営史家たちは、これに着目し、渋沢の思想を「合本キャピタリズム(GAPPON Capitalism)」と定義。2011年から国際プロジェクトとして研究を行っている。一方で、渋沢栄一を生み出したわが国において、渋沢の実像はかならずしも正確に理解されているとは思われない。そこで、今回、大学院生時代から、渋沢栄一の研究を始め、渋沢同族会の40年に渡る議事録から実証的な分析を試みるとともに、日本側の主要研究者として「GAPPONプロジェクト」にも参画している島田昌和先生に話を伺った。

島田昌和氏(2)

-株主主権型の資本主義が行き詰まり、世界的にステークホルダー全体を意識した新しい経営が求められている中、島田先生ご専門の経営史学の観点から、渋沢栄一研究の今日的な意味合いを教えてください。

2011年に、渋沢栄一記念財団が声掛けする形で、渋沢栄一を研究する国際プロジェクトが立ち上がりました。財団研究部の木村昌人先生(当時)が、国内での渋沢研究はある程度深まった感があるものの、渋沢の行動を海外から見るとどう見えるか、投げかけたいとおっしゃってくださった。確かに日本だけでやっていてもグローバルな世界経済の中で通用するか、問うていかないと意味がない。その頃、渋沢は海外ではほとんど注目されていなかったのですが、お声がけすると、英米欧の経営史の先生が集まってくださいました。ジェフリー・ジョーンズ(ハーバード・ビジネススクール)、パトリック・フリデンソン(フランス社会科学高等研究院)、ジャネット・ハンター(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)各先生、皆さん大家中の大家でした。

日本側は、橘川武郎、宮本又郎、田中一弘各先生方と、私がいると渋沢を大体カバーできるので、この4人の経営史家が参加しました。ジェフリー・ジョーズ先生から、開口一番、言われた言葉に一同は驚きます。いきなり「君たち、今の資本主義が何年持つと思うかね?」とおっしゃるのですね。資本主義の枠組みが既に制度疲労を起こしているのじゃないのかと。資本主義は近々破たんするだろう。その時期は5年後か?10年後か?どう思うかと聞かれました。株式価値の最大化を求める国を代表する経営史の大家の発言に、海外でも資本主義を再考しはじめているのかと強く感じました。

このとき、もちろん我々は渋沢栄一の活動を話したところ、すごく感動してくださった。本格的に研究に入っていくにあたり、相手は皆さん大家なので日本の研究を手伝ってもらうのもおこがましい。そこで、先生方のお弟子さんで興味持つ人を出してほしいとお願いしたのです。そしたら、「いやいや僕らがやるよ、すごく面白いし、現代性もある。こんなに良いテーマはないじゃないか。」とおっしゃって頂いた。ジョーンズ先生のおっしゃるには、マイケル・ポーターのCSVは観念だが、世界の歴史の中で渋沢栄一が実際に理想的な資本主義の仕組みを作ったことがあったとすれば、まさに、今こそ我々経営史家の出番ではないのか。歴史の中にこそ事実があるのだから、歴史上の経験を今の世の中にきちんと投げかけようではないかと。

新しい資本主義を模索し、根付かせようとするときに、日本にはすでにCSVのような、渋沢栄一が「合本」という言葉で表現していたものがある。我々は後に、これをグローバルな視点で、「合本キャピタリズム(GAPPON Capitalism)」と定義することにしました。海外の研究者たちからは、株主価値の最大化のみに拘泥するのではなく、今必要とされているCSVの要素を内包する資本主義がすでに日本にあったのは貴重だねと評価をいただいた。日本の研究者としても、確かに、すでに経験ずみであれば世界に通用するし、一般化できるのではないかと意を強くしました。

-経営史学という学問の意義を教えてください 

島田昌和氏(3)
社会科学としての経営史学の意義は、経営学はモデルが先行するのに対し、事実が先立つ研究であるということです。つまり経営史学は、事実を実証として積み上げていく中で何が見えるのかという科学になります。一方、経営学は先にモデルを考える。このモデルで経営事象を説明して通用するのじゃないかと、それに対して数量的分析をして、エビデンスを収集する。経営史学はあくまで、経営の意思決定は人が判断するものとしてとらえ、長い時間軸での判断の積み重ねが、経営や経済にどう変化を与えてきたのかを追っていくものです。

また、ジェフリー・ジョーンズ先生からの問いかけで強く思ったのは、例えば、もし資本主義が、不均衡が増大する制度であるとすれば、壊れるのが前提で未来の在り方を考えるべきだということ。つまり、経営史学は過去を振り返ることはさることながら、そこからつながる未来を洞察する学問でもあるということです。

-経営史の中で、特定の企業家を研究する「企業者史」をもう一度という流れになっているのはなぜでしょうか?また企業者史の中で渋沢栄一研究の価値とはどのようなものでしょうか?

もともと経営史は、シュンペーターがイノベーションの担い手としての企業家に焦点をあてた研究に行きつきます。よって必然的に企業者史が中心だった。やがて、企業家たちの活躍を経て、産業が興り、発展してくると、次第に大企業中心の経済体制になっていきました。そうなると人より、戦略、組織といった、システム化されたものを研究する方向に行く。しかし、今やパラダイムシフトの時代、過去のレガシーを引きずる大企業のパフォーマンスが落ちているときにどうやってイノベーションを起こしていくか?となる。イノベーションを起こす要素の中では、やはり人に起因する部分が多い。そこで、イノベーションを生み出せる人とはどういう人なのかを研究する、という理由で再び企業家に焦点が当たっているのです。

ただ、注目されているのは、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズあるいは、新興国のベンチャー経営者ばかり。そういった中でも渋沢はかなり異色な存在です。財閥を否定して、オープンな株式会社制度を提唱しているだけでなく、自分の関与する会社に留まらず、国家全体の経済の発展に目を向けている。いろんな国をみてもそんな企業家はまずいませんよね。民間経済にあって、個々の企業、グループを超えて、ビジネスを引っ張り、社会に影響を与える。ベンチャー、ファミリービジネスも大事ですが、彼らはあくまでも個人やファミリーへのリターンの最大化を目指すものであり、社会の価値全体の最大化へのインパクトを与えるという行動はそういった研究では出て来ない。ここに今、研究対象として渋沢栄一を取り上げる価値があります

-「GAPPONプロジェクト」はどのような様子だったのでしょうか?

島田昌和氏(4)

最初に、パリのOECDの本部で国際会議を開きました。各国の大使の方が沢山来てくださった。株主価値の最大化を目指している国の方々が、合本主義という、ある意味対極のこのテーマに大変興味をもっていただいたことに驚きましたね。

さて、シンポジウムを経て、このあと、足掛け3年の研究の成果として『グローバル資本主義の中の渋沢栄一~合本キャピタリズムとモラル』を上梓することができました。日本語版の次に英語版、そしてトルコ版ができ、今、東南アジア版を作っているところです。

-なぜトルコや東南アジアなのですか?

先進国よりも、むしろ新興国のほうが株主価値の最大化の動きが短期間に起こり、貧富の格差が加速しているからです。不満が増大し、仕組みそのものが壊れる可能性がある。そこで我々研究者は新興国にも研究の輪を広げたいと皆考えたのです。トルコと言えば、宗教と経済のバランスをとるのが非常に難しい国。そのトルコからは研究者が10人近く来られた。学者も発言一つで拘束されたりする立場にあるのですが、それでも近代化の在り方を見直したいとう意向があり、熱心に参画いただきました。また、アジアでは、タイ、インドネシアを中心に研究が行われています。こちらも政治体制としては難しい国。今両国の学者と共に原稿を作成しているところです。

 

渋沢同族会議事録から渋沢栄一の活動の真実を分析

島田昌和氏(5)
-島田先生が渋沢栄一を研究しようと思われたのはなぜですか?

渋沢栄一と出会ったのは、大学院生のころ、城山三郎の『雄気堂々』を読んだのがきっかけです。本書は青少年期を描いている小説で、熱血漢で火の玉のような人だなと興味を持った。ところが、様々な書物を読み進めていくと、イメージはまったく違ってきました。温厚な道徳の塊、聖人君子のように世の中を達観している人物として評された本ばかり。何かおかしくないか?と思いました。城山三郎は事実と大きく異なる脚色を凝らす人ではないし、若い時な確かに熱血漢だったのでしょう。でも晩年には道徳の人になったということは、どこかに転換点あるだろうと考えたわけです。

30代半ばから60代半ばにかけてが、経済人として最も活発な活動期で、そこが多くの人にとっても関心があるところなのですが、意外に研究がないし、小説のようなものさえもない。ビジネスマン時代に何をやったか、これがブラックボックスになっていた。これでは渋沢がわかったとは言えません。経済人、経営者としてリサーチしないと、渋沢が何を目標にしてどのように活動したのか、その結果何に行きついたのかを明らかにする必要があると考えました。

そこで、渋沢史料館の協力を経て、渋沢同族会の会議録を40年分見せていただき分析しました(『渋沢栄一の企業者活動の研究』)。同族会とは娘と娘婿たちを入れた家族によって、毎月1回欠かさずに開催されていたものです。同族会では渋沢の財産の移動、つまり、この会社の株を買いたい、寄付したい、この人に貸すんだというやりとりが話題になり、これが逐一議事録として全部残っているのですね。本来そこまで子供らに詳らかに公開する必要ないはずです。

驚いたのは、渋沢の財産形成のプロセスにおいて、株式をどんどん売っていることです。今まで、保有株式は、功労株としてタダで株をもらったものが多いという説もありましたが、どうもそうではない。

会議録資料からわかったのは、自分が事業を立ち上げ、軌道に乗り、株価が上がったら株を一部売っていく動き。そこで得たキャピタルゲインで、次の投資をしていたという事実でした。つまり、渋沢栄一は、実体経済のなかので自分の役割を、「可能性はあるが信用のない企業に信用保証をしてあげる」ことだと認識していた。シブサワが投資しているのなら自分が投資しても大丈夫なんじゃないのかと、投資を誘発する役割を自ら積極的に担っていたわけです。

-産業創造のリード・インベスターであり、シリアルアントレプレナーの草分けとも言えますね。

渋沢栄一像(1)

企業が独り立ちしたら、もはや自分が関わる必要はないわけで、余剰な持ち分を売却する。日本の産業にとって必要なものが、次は、交通インフラだとなると、鉄道を立ち上げ、電力だというと、水力発電事業を立ちあげる。その時、発起人になり最初の出資をしてあげる。このように世界の動きについていくために、日本の産業を創造するための次なるビジネス、経済をきちんと成り立たせるために、将来性を保証していたのです。

こういった活動が子細に見えることによって、青年期は熱血漢、晩年は道徳家の間にある活動、役人から民間転出後に、日本経済を成り立たせる期間において、渋沢が何を考えているかがよくわかった。

後代の我々は『論語と算盤』などを通して渋沢像を想い描くわけです。しかし、それだけ見ていると、リアリティがない、アクティブさが見えない。はたまた500社の創業にかかわったという実績が独り歩きし、異次元の人、という見方をされてしまうわけです。ところが、同族会会議録を繙くと、実際には事業の失敗の後始末も結構しているのですね。そういった失敗はあるに決まっていますよね。しかし、その後始末が上手く、筋を通してそれをやりきってきた。こういった面もしっかり見ていく必要があります。

ステークホルダー資本主義に連なる思想、道徳と経済を同一のものと見る、道徳経済合一説はどのように生まれたか

-渋沢は道徳と経済を一致させた道徳経済合一説を展開しています。この論語をベースにした思想はどのように形成されていったのでしょうか?

島田昌和氏(6)

意見が分かれるところですが、私は、渋沢が論語でいろんなことを説明しようとしはじめたのは、ビジネスマンとしての後半生だと見ています。

なぜかというと、自分が丹精込めてつくった資本主義なのに、意外に経営者たちが悪いことをやりはじめる。これにショックを受けたのですね。実際に、出資先の疑獄や粉飾に巻き込まれたことがあった。そういった事件に遭遇することで、自分がやってきたことの中に何か足りないものがあったのではないかと反省した結果、論語を強調し始めるわけです。

もちろん前半生でも、倫理道徳の話はしていました。一番使っていたフレーズは、「道理正しい」という表現ですね。株主総会で揉めた時に、渋沢が発言するとき、道理にかなっていますか?道理正しいですか?という問いかけを頻繁にしています。道理は、宗教がかった用語でもなくて、常識あるいは共通認識としてあるもの。後半生で、こういった道理を説明するのに、論語の体系を強く意識するようになった。あとで振り返ってみると自身の価値判断の基になっているものが論語だったことに気付いたのではないかと思います。

特に論語を強く言い始めたのは、大学で卒業式の祝辞を述べたりする機会が増えてきてからです。東京高等商業学校(現一橋大学)の卒業生たちがエリートとして、目端を利かせ、お金を儲けて偉ぶっている。そういう方向に靡く若者の姿を見て、これはまずいと思うわけです。自分は、世の範となる次のリーダーを育てるために、この学校を一生懸命支援してきたのに、彼らは有名大企業に就職し、将来が約束されているコースに乗っかって鼻高々で生きていこうとしている。これは方向修正しないといけないと、明治後半から大正期のはじめに論語を喋り始めるのです。

論語が語っている思想体系、道理を重んじる精神をあとから振り返ったら、自分はそこから外れていない。だからこそ自分はこのような立場になれた。頭の中の知識だけで渡れるほど世の中は甘くないぞと。道理正しく、立身出世するためには守るべき行動規範として論語に拠る必要があるのだと、学生たちに根気強く喋っているのですね。

 

渋沢が描いていた、社会の公器としての企業による理想の資本主義

島田昌和氏(7)
-合本主義には金融資本だけでなく、人、あるいは社会的資本も含まれるのでしょうか?(合本主義は、単に金融資本主義を渋沢流に言い換えたものではなく、人やその他の要素も含んでいるように見受けられます。)

合本の中にはもちろん人も入っています。パリ万博を終えて、欧州各国を視察すると国境を超えて鉄道がつながっていて、その便利さに驚く。そして、この鉄道は株式会社が運営していることがわかる。つまり渋沢は、巨大資本がないと近代資本主義が動かないと理解しました。製鉄、鉄道といった重厚長大産業は個人ではとてもできない。三井家、岩崎家といった個人のお金でやる事業ももちろん重要だが、あまねく多くのお金を集めるしくみが必要だと認識します。

そういったパブリックな組織をつくるためにはステークホルダーが多く関わる必要がある。たとえば、ある地域にとっては、利害をもっている人がすべて関わるほうが好ましい。地域の銀行、鉄道から恩恵を受ける人は、少しでも出資すべきだと渋沢は考えました。出資して経営側のメンバーになり、ステークホルダーが全員集まれば、それが公共空間になるのです。もちろん出資することも、役員や支配人になることも立身出世になる。会社のために汗をかけば、自分のためだけにやっていることではなく、地域の人から尊敬してもらえる立場にもなれる。

ここで重要なポイントとして、今の資本主義と最も違うのは、渋沢は株式会社がもともと公共性の高いものと認識していたことです。自分のために株主価値の最大化を目指す事業には人を巻き込んではいけない。鉱山ビジネスなどは掘ってみないと鉱脈を見つけられるかわからない。大きなリスクがあるものには一般の投資家を巻き込むなと。そこで、そういった事業は、事業者が無限責任を負う合資会社、合名会社で運営することを勧めているわけです。

-社会的な資本といったものも合本の中に入りますか?

渋沢は、経済人でない医者、弁護士などといった人々も少しでもいいから出資して関わるべきだと言っている。今と違い、明治期の株主総会は、5時間も、6時間もやっていました。出資をすればその人にとっての会社になるから、意思を表明してほしい。そこでステークホルダー間の対話プロセスを通して会社経営の共通認識が生れると考えていました。

このようにステークホルダーの主体的参加を重視しているので、安易に議決権による多数決をとりません。皆が、もうそれでいいでしょうというまで議論してもらう。渋沢はとことん待つスタンスを取っている。自分から議論を切り出したり、誘導もしません。これが合本組織の活動でできた共通資本、こういった共通認識も社会資本だと言われればそうですね。

株主全員で会社は何のためにあるのか、あるいは何のために存続するのかを考える。たとえば、業績が悪化する中、無理して配当して会社が潰れるよりも、全員で減資をして損を被ってでも流れを変えようと。会社が存続する意義を考えて、今を永らえる。こういった意思決定を全員で行う。皆が参画し納得するプロセス、社会の公器という発想を含んだものが合本主義の考え方だと言えますね。

 

-合本主義の主要な資本の一つである、人の育成方法にはどのような特徴が見られますか?

渋沢栄一像(2)

大蔵省出仕の前に、まず静岡藩の商法会所の経営に関わってみて、江戸時代以来のあきんど根性が染みついている商人たちに辟易とします。彼らは、お上から言われているから、先のことも考えずに太政官札の流通にかかわっている。リスクもとらない、なんの独創性も、革新性もない。

そこで、渋沢が力を入れて育てたのは、商人ではなく、士族の家柄の人が多いです。為政者としての心得や、世のために働き立身出世を遂げるという基礎教育を受けている方が自分の考え方に則った経営者になれると考えました。しかし、一方で彼らには経済経験がない。経験をさせていかないと変われないので、まず、小さい会社の支配人からはじめ、上手くいくと次はこちらと、徐々にステップアップしていく方策を取ります。このように様々な企業間を横移動で、経営を経験させながら育てるというのが渋沢流の育成方法でした。

渋沢流の育て方をすると、いろんなビジネスを体験することで、応用が効くようになります。サッポロビールを経営した植村澄三郎という人も、その前は北海道炭鉱鉄道の支配人。企業再生に秀でていた梅浦精一も、再建請負人ができるのはいろんな会社を見て、傾いた会社を再建させているからこそ、その役が担えるのです。

ところが、戦後になると日本では、サリーマンから出世して社長になることが普通になった。新卒から生え抜きで、その会社に身をささげた者しか社長になれない。転職で社長になる人はほとんどいない。これが大企業でイノベーションが進まない理由の一つではないでしょうか。

渋沢栄一の圧倒的な構想力の背景

島田昌和氏(8)
-渋沢栄一の圧倒的とも言える構想力あるいはシステム思考力はどこから出てきたのでしょうか?

まずは、血洗島の渋沢ファミリーが持つ経済力がとてつもないものだったという認識に立つ必要があります。当時ファミリー全体で数万両を稼いでいた。これは西南雄藩の経済力に匹敵すると言われています。殖産興業を行い、経済力をつけ、やっと作りだした雄藩の富に伍するものを、驚くことに農民階級であった渋沢ファミリーが創出していた。

藩内で経済が回せた西南雄藩と違い、関東は多くの幕臣の持つ飛び地になっていたので、そもそも広域に経済圏を構成できる人がいない。幕臣は江戸にいて、年貢を徴収する代官しかいない。よって、この経済運営を渋沢ファミリーが代替し、直轄領経済圏を創り出したのです。

こういった環境に育った渋沢栄一は、藍葉を仕入れるために新潟、長野、山梨にも、極めて広範囲に動き回っている。また、一橋家で藩札をつくったり、殖産興業をやったり、経済運営のセンスで一橋家内での発言力を高めていっているのです。これらの経験をもとに、経済が出世に繋がり、出世するとそこに新たな視野がひらけることを一橋家時代に見出しました。

果たして、欧州視察メンバーにも選ばれるわけですが、ヨーロッパ渡航の道中を記録した『航西日記』では、コーヒーがおいしかったとか、卑近な話に注目が集まりがちです。しかし重要なのは彼の経済的な視点でのものの見方です。アジアで寄港した港で、現地の人たちが欧米人にこき使われて、貧しい生活を営んでいるのを見る。後に、渋沢は、その格差を生み出す理由が経済にあることに気づきます。そして、ヨーロッパの富の源泉は機械装置が生み出す近代産業にあり、アジアには近代産業がないから、貶められていることに着目するのです。

つまり、渋沢は政治的関心に偏った他の渡欧者と違い、世の中を見る視点が経済にあり、この差がどこからくるのかと考える力があったということです。これが構想力やシステム思考というなら、その源泉になっていると思います。

-渋沢栄一は、産業創造を行うにあたり、銀行、インフラ産業、生活産業と順序だてて育成を行っているようにも見えます。産業創造におけるグランドデザインや、実行する手順はあったのでしょうか?

第一国立銀行本店(第一国立銀行本店)

初期の明治政府は、由利公正が考えた太政官札が失敗して、深刻な貨幣制度の危機に直面していました。お金がないので、実際は無価値なものである、新しい貨幣を価値があるものとして見せるしかなかった。そうでなければ政府が立ち行かなくなる。無価値なものを価値のあるものと理解させることで、危機を乗り切ることができる。渋沢はそのように本質を見抜く力があった。

そこで米国の制度を参考に、中央銀行に替わるものとして、国立銀行をつくったわけです。ここで銀行に民間のお金を引き込んで、何らかの政府の信用力を付与して新しい貨幣を流通させようとした。

つまり、銀行を最初に作ったのはたまたま、一番の新政府の根本問題がそうだったということ。また、伊藤博文も、米国に視察に行きこそはすれ、制度を一体としてわかっているのは渋沢の他にはいなかった。そして、産業が最初に必要とするものはお金なので、必然といえば必然でした。

ところが、銀行の仕組みができたけれど、産業を牽引していく事業会社の融資先がない、そこで新たに作るしかなかった。製糸業だけではなく、欧米にならって装置産業、仕組み産業といったインフラに資する株式会社、これらを合本で構想し、小資本を集めて事業を立ち上げ、その拡大を行う。一つ一つ、作っていくしかしかない。たくさんの人を巻き込むことを一人でよくやったなと思いますね。

 

-最後に経営のヒントになるようなメッセージをお願いします。

世の中に、トラブル、事件、あるいは今回のコロナ禍など、大きな変化が起こり、混乱すると、その度に現代に渋沢栄一がいたら良いのにといった待望論が報じられます。これはやめたほうが良いですね。ないものねだり的に渋沢が現れてくれないかと思うのは、間違っている。そもそもリーダーが一人いて、引っ張ってくれるというのが渋沢栄一的ではありません。渋沢がもし、生きていれば、決してそうは考えなかったはず。彼であれば、あなた方みんながリーダーになるべきと言うでしょう。

そこで、日本のリーダーを育成するためのヒントですが、先ほどの横移動の話の通り、大企業も、経営者候補を一度会社の外に修行に出す。そういう発想転換が必要なのではないでしょうか。自社、自行だけでキャリアを積んでいる人はもはや社長や頭取になれないぐらいの共通認識をもたないと、日本企業の意識は変わりません。横移動をする会社が増えて来ると、経営者として企業のイノベーションに成功する人も増えていく。それが現代のリーダー教育ではないでしょうか。そもそも明治時代は、渋沢がやっているのを見て、三井や、三菱も財閥内の横移動による人材育成を行い始めた。今それが必要ではないでしょうか?

東証あたりがコーポレートガバナンスコードの項目に入れることも一案でしょう。海外のまねをするのもいいけれど、日本でもすでに仕組みがあったのだから、戦前のシステムを学び直す必要があるのでは?と言いたいです。まったく新しいことにチャレンジするのではなく、すでにあるものを、もう一回やってみようと思う方が抵抗感なく実行できるのではないかと思いますね。(聞き手:増山弘之/写真:古寺正樹)

 

<プロフィール>

島田 昌和(Masakazu Shimada)

経営学博士(明治大学)

1961年生まれ 早稲田大学社会科学部卒業 明治大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期中退。ミシガン大学客員研究員、一橋大学大学院商学研究科日本企業研究センターフェロー、経営史学会常任理事(2015-2016年)2015年 学校法人文京学園理事長就任 文京学院大学では経営学部教授として「経営者論」等を担当する。

著書:『渋沢栄一の企業者活動の研究(日本経済評論社)』『渋沢栄一 社会企業家の先駆者(岩波新書)』『原典で読む 渋沢栄一のメッセージ(岩波現代全書)』『グローバル資本主義の中の渋沢栄一~合本キャピタリズムとモラル(共著:東洋経済新報社』他多数

 

文京学院大学 – 東京都・埼玉県 (u-bunkyo.ac.jp)
島田 昌和(経営学研究科)教員紹介|文京学院大学 – 東京都・埼玉県 (u-bunkyo.ac.jp)

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