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W杯韓国戦で「つり目ポーズ」炎上 韓国人ユーチューバーに差別行為、メキシコ団体会長が解任

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つり目ジェスチャー
DALLーEで作成

W杯の客席で、勝利の熱気に水を差すような場面が映り込んだ。韓国人ユーチューバーの背後で、メキシコ人男性が見せた「つり目ポーズ」。冗談で済ませるにはあまりに古く、雑な差別だった。動画はSNSで広がり、男性は謝罪、会長職を解かれる事態となった。

 

 

勝利の余韻を壊した客席のしぐさ

メキシコ・グアダラハラのスタジアムには、試合後の熱気がまだ濃く残っていた。韓国はチェコを2-1で下し、グループリーグ初戦を白星で飾った。観客席ではユニフォーム姿のサポーターが立ち上がり、スマートフォンを掲げ、声を張り上げる。遠く離れた国まで来て、同じ試合を見て、同じ瞬間に沸く。W杯の客席とは、本来そういう場所のはずだった。

その中で、韓国人ユーチューバーのユン・スジンさんもカメラを回していた。顔には韓国国旗を思わせる赤と青のペイント。サッカーボールの模様も描かれ、勝利の余韻をそのまま伝えようとしていた。ところが、その背後にいた白いメキシコ代表シャツの男性が、笑みを浮かべながら両手で目尻を横に引っ張った。いわゆる「つり目ポーズ」。アジア人をからかい、見下すときに使われてきた差別的なしぐさである。

その場では数秒の出来事だったかもしれない。しかし、映像の中ではその数秒だけが異様に残る。勝利を祝うはずの動画は、差別を記録した動画に変わった。ユンさんの表情に浮かんだ戸惑いは、騒ぎを大きくするための反応ではなく、楽しい場に突然、冷たいものを投げ込まれた人の顔だった。

 

「私が敏感すぎるのか」という言葉の痛さ

ユンさんは動画を投稿し、自分が敏感すぎるのかという趣旨の言葉を添えた。この言葉が、むしろ今回の問題のいやらしさを浮かび上がらせている。差別的なしぐさを向けられた人が、怒る前に、まず自分の感じ方を疑ってしまう。傷ついたのに、大げさではないかと自分を押しとどめる。そのためらいがあるから、こうした行為は長い間、悪ふざけの顔をして残ってきた。

SNSでは批判が広がり、韓国側からは明白な人種差別だという声が上がった。メキシコ側からも、同じメキシコ人として恥ずかしい、韓国人に謝りたいといった反応が寄せられている。一方で、冗談だったのではないか、文化的なからかいにすぎない、という声もあった。だが、相手の顔立ちや人種的特徴を笑いの材料にする行為を、文化という言葉で包むのは無理がある。

冗談は、相手も笑えるときにだけ成立する。カメラの前で見知らぬ人の容姿を真似し、周囲に笑いとして差し出す行為は、親しみではなく侮辱だ。W杯の客席でそれをやれば、見ているのは周囲の数人では済まない。スマートフォンの向こうにいる世界中の人々が、その一瞬を目撃する。

 

謝罪と解任が物語る肩書きの重さ

男性の身元はほどなく特定された。男性はメキシコ・ハリスコ州の測量・地理情報関連団体CITGEJの会長を務めていたウリセス・フェルナンド・ベルナル・ミラモンテス氏だったとされる。海外メディアによると、同氏は自身のSNSで謝罪し、その後、会長職を解かれる見通しになったという。

ベルナル氏は謝罪の中で、不快な思いをした人々にわび、自分を正当化するつもりはないとした。言葉だけを見れば、謝罪としての形は整っている。だが、問題はそこではない。なぜ、世界大会の客席で、見知らぬアジア人女性に向けて、そのしぐさをしてしまったのか。しかも、それがカメラに映ることを承知でやっている。そこにある無自覚さが、今回の炎上の芯にある。

観戦中の個人的な行為だと言い切ることもできる。しかし、社会的な肩書きを持つ人物のふるまいは、本人だけでは閉じない。会長という立場は、組織の顔でもある。所属団体が対応に追われ、解任という判断に至ったのは、差別的行為そのものに加え、それを軽く扱えば組織まで同じ目で見られるからだ。悪ふざけだったでは、もう通らない。

 

「文化」では逃げられない

今回の騒動では、批判の向け方にも注意がいる。男性の行為は強く批判されるべきだが、それをメキシコという国全体やメキシコ人全体への侮辱にすり替えてはいけない。差別に怒るあまり、別の差別を積み上げれば、結局は同じ穴に落ちる。

問われているのは国民性ではなく、相手の人種的特徴をからかっても許されるという感覚であり、それを冗談や文化の名でごまかす甘さである。どの国にも、身内同士の軽口やからかいはある。だが、その輪の外にいる人を、人種や外見で笑いものにした瞬間、それは文化ではなく侮辱になる。

W杯は、世界中の人が同じ場所に集まる大会だ。隣の席にいる人が、どこの国から来て、どんな言葉を話し、どんな背景を持っているのかはわからない。だからこそ、最低限の線がある。相手の顔立ちを真似して笑わない。出自をからかわない。その程度のことも守れないなら、世界大会の熱狂に酔う前に、自分の振る舞いを見直すべきだ。

 

観客席も世界に見られている

かつてなら、こうした行為はその場の空気に紛れて終わっていたのかもしれない。周囲の数人が不快に思い、された側が嫌な記憶として持ち帰り、それで終わる。だが、今は違う。スマートフォンは客席の片隅まで記録し、数秒の映像は言葉より速く国境を越える。誰かの悪ふざけは、誰かの人生を変える証拠にもなる。

それを窮屈な時代になったと嘆く人もいるだろう。しかし本当に窮屈だったのは、差別を受けても黙って笑い流さなければならなかった側ではないのか。冗談のふりをした侮辱に傷ついても、大げさだと言われるのを恐れて飲み込んできた人たちではないのか。

ユンさんの動画が見せたのは、スタジアムの一角で起きた一人の失態だけではない。笑いの名を借りた差別が、どれほど簡単に誰かの楽しい記憶を汚すかという現実だ。W杯の客席で必要なのは、立派なスローガンではなく、隣にいる人を笑いものにしないという最低限の礼儀である。それすら守れない悪ふざけなら、世界中にさらされて当然だ。

 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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