
株式会社ProsWork(プロスワーク)は、各分野の専門家が集結し、中小企業の経営課題をワンストップで解決するプロフェッショナル集団です。
今回は、同社の創立メンバーの一人であり、広報部長を務める髙野淳氏にインタビューを実施しました。激動の時代にリクルートへ入社し、その後独立して約20年にわたりPRの最前線で活躍してきた髙野氏。プロスワーク設立の経緯や同社が提供する価値、そして自身の人生のルーツからこれまでのキャリアまで、たっぷりとお話を伺いました。
髙野氏にとってProsWorkとは?
「自分のキャリアや、今までやってきたことをステップアップさせてくれる場」
専門家が集結した「ProsWork」設立の経緯と本格稼働

――プロスワークはどのようにして誕生したのでしょうか。設立の経緯を教えてください。
髙野氏: 設立は2020年の5月です。もともと私を含め、ビジネス交流会などで知り合った独立系コンサルタントや各分野のプロたちが集まりました。当時は皆、個人や小さな会社を相手に仕事をしていましたが、「お互いの専門性を掛け合わせれば、もっと大きな法人営業ができるのではないか」「シナジーを発揮して幅広い提案ができる組織を作ろう」と、現会長の野村と意気投合したのが始まりです。そして、磯島に社長をお願いし、初期メンバーで立ち上げました。
ただ、設立直後にコロナ禍に突入してしまい、初めの数年間はそれぞれが自身の既存事業(私の場合は高野PR事務所の仕事、他のメンバーは補助金支援など)を優先せざるを得ず、プロスワークとしての本格的な稼働はできていませんでした。
流れが変わったのは約2年前です。社長の磯島が「もっとプロスワークの事業として組織をしっかり作っていこう」と旗を振り、メンバー間の連携を強化し始めました。そこから展示会への出展やセミナーの開催など、会社としての動きが本格化していったんです。
ワンストップで中小企業の課題を解決する「プロ集団」の強み
――プロスワークがクライアントに提供できる最大の価値、強みは何だとお考えですか?
髙野氏: やはり「ワンストップで企業の業務改善や課題解決ができること」ですね。私たちはそれぞれが独立して実績を積んできたプロの集団です。
例えば、資金繰りに悩む中小企業が新規事業を立ち上げたい場合、まずは補助金支援のプロが伴走して補助金などの活用を見据えた事業計画づくりや申請支援を行います。資金の目処が立ったところで、経営コンサルティングに入り、事業を軌道に乗せる。さらに、その新規事業を世の中に広めるために私がPRを担当し、人材が不足していれば採用コンサルタントが支援する。
このように、コンサルタントを個別に雇うことなく、プロスワークという一つの窓口で、補助金獲得から経営、広報、採用まで、企業の成長に必要なあらゆるフェーズを一気通貫でサポートできる。これが私たちの最大の強みであり、メンバー同士のシナジーが生み出す価値です。
本質的なPRで企業の魅力を世に伝える。目指す今後の展開
――広報部長として、プロスワークやクライアント企業に対して今後どのような貢献をしていきたいですか?
髙野氏: 大きく2つあります。1つ目は、世の中の中小企業に対する本質的なPR支援です。素晴らしい商品やサービス、熱い想いを持っているのに、広報PRのノウハウがないために知られていない企業がたくさんあります。そうした企業にしっかり光を当て、メディアや社会の文脈と結びつけて世の中に広く認知させていくお手伝いを強化していきたいですね。単なる宣伝ではなく、企業本来の魅力を引き出し、社会との良好な関係を築く(パブリック・リレーションズ)ことが私の役割だと考えています。
2つ目は、プロスワーク自身の広報です。これまでは個人の集まりという側面が強く、会社としての広報活動が十分にできていませんでした。しかし、本格稼働を始めた今、私たちの実績や提供できる価値をしっかりと世の中に発信し、ブランドを構築していく必要があります。これからはプロスワークの広報部長としてアクセルを踏み込み、組織の成長とクライアントの事業拡大に貢献していきたいと強く思っています。
歴史とメディアに魅せられた少年時代。ジャーナリズム精神の芽生え
――ここからは髙野さんご自身の人生にスコープを当てて伺います。これまでのキャリアの原点や、幼少期のルーツについて教えてください。
髙野氏: 東京の大森で生まれ、千葉の松戸で育ちました。子どもの頃から歴史や国語が好きで、図書室で伝記や『まんが日本の歴史』などをよく読んでいましたね。当時から、都内を歩いていて史跡を見つけると興味を惹かれるような子どもでした。
また、父が銀座の映画館で支配人をしていた影響も大きいです。おかげで子どもの頃から様々な映画を無料で観ることができ、『スター・ウォーズ』の第1作目を映画館で観た時の衝撃は今でも忘れられません。当時は映画館に行かなければ得られない情報がたくさんあり、そうした環境で育ったことが、今の好奇心や情報のインプットを大切にする姿勢につながっていると思います。
大学進学を考える頃には、ちょうど『ニュースステーション』が始まり、ニュースショーという新しい形が世の中を席巻していました。一つの分野しか知らない専門バカにはなりたくない、幅広い知識を持って世の中の出来事を切り取って伝えるジャーナリストになりたい。そう強く思い、ジャーナリズムに強い早稲田大学へ進学しました。
異例の経緯でリクルートへ。骨のある仲間たちとの出会い
――大学卒業後は、激動の時代にリクルートへ入社されています。どのような経緯があったのでしょうか。
髙野氏: 就職活動では当初、新聞記者を目指していました。サークル活動でテレビ番組のスタジオ観覧のアルバイト集めなどをしていた際、テレビ業界の裏側やタレントの素顔を見て、制作側よりもジャーナリズムを追求できる新聞社に行きたいと考えたんです。
しかし、私が就職活動をしていた時期は、まさに「リクルート事件」の真っ只中でした。第一志望だった朝日新聞の面接に有利になるかもしれないと考え、事件の最中にあったリクルートの先輩に話を聞きに行ったんです。すると、驚いたことに役員クラスの方々が次々と出てきて、学生の私の厳しい質問にも真摯に答えてくれました。「これから生まれ変わるリクルートに力を貸してくれ」と。その懐の深さに感銘を受けました。
また、当時のリクルートに入社してくる同期たちも面白かった。世間から猛烈なバッシングを受けている会社に、親や周囲の反対を押し切って自分の意思で入ってくるような「骨のある人間」ばかりだったんです。この仲間たちと一緒なら自分も成長できる、面白い仕事ができると確信し、リクルートへの入社を決めました。
PRの面白さに目覚めた転機と、独立への道のり
――リクルートを経て、どのようにPRの世界へ進まれたのでしょうか。
髙野氏: リクルートには約12年間勤めました。非常に鍛えられましたが、ハードワークがたたって体を壊し、退職することにしました。次に選んだのは、社会人向けの資格スクールを運営する企業です。そこで初めて広報や広告宣伝の部署に配属されました。
当時は限られた予算の中でどう集客するかを考える必要があったのですが、雑誌やテレビの番組に取り上げていただいた途端、驚くほど問い合わせが増えたんです。「これが広報やPRの力か」と衝撃を受けましたね。メディアに出ることで世の中が動く面白さにすっかり魅了されました。
その後、本格的にPRを学びたいと思い、大学時代の先輩が経営するPR会社に転職しました。最初は営業担当だったのですが、社長から「自分で開拓しろ」と言われ、見よう見まねでプレスリリースの書き方やメディアへのアプローチ方法を必死に学びました。実践の中で泥臭くPRの手法を身につけ、様々なメディアと信頼関係を築いていった結果、クライアントから「髙野さんが独立するならついていく」と言っていただけるようになり、独立して「高野PR事務所」を立ち上げるに至りました。



