「日本のタクシーは無人にならない」運転手の言葉が示唆するAI時代の責任

「自動運転の技術が完成しても、タクシーの運転手という職業はなくならない。そう運転手さんが言ったのです。なぜだか分かりますか」
取材の冒頭、公益財団法人日本医療機能評価機構の河北博文理事長はそう切り出した。
自身がタクシーに乗車した際、運転手が「日本のタクシーは、なかなか無人にはなりませんよ」と語りかけてきたときのエピソードだ。運転手は明確にこう答えたという。
「もし事故が起きた時、誰が責任を取るんですか。最後に責任を取る人間がハンドルを握っていないと、車は走れないんですよ」
この責任の所在という問いは、そのまま医療の未来にも通底する。生成AIが瞬時に病名を診断し、ロボット技術が手術を支援する時代。知識や技術がテクノロジーに代替される中で、医師という職業の価値はどこに残るのか。
令和の時代に求められる日本の価値ある医療の形について、河北理事長に話を伺った。
AIは確率を出すが責任は取れない
タクシー運転手が語った責任の話は、これからの医師像を考える上で示唆に富んでいる。
現在、医療現場におけるAI技術の進歩は目覚ましい。レントゲンやCT画像からがんなどの病変を見つけ出す画像診断アシストや、膨大な医学論文から患者の症状に合った最適な治療法の候補を提示するシステムなど、すでにAIは医師の強力なパートナーとして実用化され始めている。
AIは、膨大な医学知識を学習し、確率論に基づいて診断のサポートを行うことができる。その精度は、すでに一部の領域では専門医を凌駕しているとも言われる。しかし、AIはあくまで確率を提示するだけであり、その結果に対して責任を負うことはできない。
河北理事長
「最終的に『この治療を行う』と決断し、その結果に全責任を負う。それができるのは、生身の人間だけです。知識を記憶しているだけの医師はAIに取って代わられますが、責任を取る覚悟を持った医師は、決して不要にはならないのです」
AIという優秀なナビゲーターが隣にいたとしても、最後にハンドルを握り、アクセルを踏むのは人間でなければならない。河北氏が提示するのは、知識量で勝負する偏差値エリートではなく、決断と責任を担う専門家としての医師の姿だ。

紙のテストからの脱却。医師国家試験CBT化がもたらす医学教育の革命
責任を負う医師を育てるためには、教育と評価のあり方も根本から変わらなければならない。河北氏は、日本の医学教育が長年抱えてきた知識偏重の弊害と、その変革について言及した。
「これまでの国家試験は紙の上のテストでしたから、『心雑音があります』『バビンスキー反射(足の裏を刺激すると親指が反る反射)が見られます』と文章で書いてあった。それを読んで正解の病名を選ぶだけでした」
文章で書かれた症状から病名を当てることは、知識があれば可能だ。しかし、実際の臨床現場では、患者の身体に触れ、音を聞き、微細な変化を五感で感じ取らなければならない。これまでのペーパーテスト偏重の教育では、そうした診る力がおろそかにされがちだった。
そこで同機構が厚生労働科学研究として強力に推進しているのが、医師国家試験へのCBT(Computer Based Testing:コンピュータを利用した試験)の導入だ。
CBTとは、従来のように紙の問題用紙とマークシートを使うのではなく、パソコンやタブレットの画面に表示された問題に対し、マウスやキーボードを使って解答する試験方式のこと。近年、語学検定や各種資格試験などで急速に普及している仕組みである。
ペーパーテストとの最大の違いは、動画や音声を使った、より実臨床に近い出題が可能になる点にある。
この取り組みはすでに実証段階に入っている。令和6年度に実施されたCBTトライアル試験には、全国52大学から1,248名もの医学生が参加。動画や音声を使用した試験問題の再生もスムーズに行われ、システムトラブルもなく概ね円滑に実施できることが実証された。
「これからの試験は、動画が出ます。画面の中で医師が患者の足の裏をこする瞬間の指の動きを見て、反射の有無を見抜く。実際の診察シーンを見て、この患者の動きは正常か異常か、呼吸音や心音に雑音が混じっていないか。それを自分の目と耳で判断させるのです」
この革新的な取り組みは、CBTシステム「TAO」による動画・音声活用型問題の実績が評価され、一般社団法人日本1EdTech協会が主催する「第9回1EdTechJapan賞」において最優秀賞を受賞している。

過去問暗記からの脱却。IRT(項目反応理論)と問題プール化がもたらす真の評価
CBT化の効果は、動画や音声が使えるようになることだけではない。試験の裏側で動く評価システムが科学的にアップデートされることこそが、真の狙いだという。河北氏は、これまでの医師国家試験について「現場で身につけた生きた知識ではなく、試験対策のテクニックで解けてしまう側面があったのではないか」と警鐘を鳴らす。過去問のパターンを暗記すれば合格できてしまうような試験では、これからの時代に必要な医師は育たない。
そこで新しいCBT方式では、専門家が作った大量の良問をデータベースにプール(蓄積)し、原則として非公開のまま、そこから出題する仕組みを見据えている。同時にAIを使ったより多数の作問により問題を集積し、試験の現場では順番を入れ替えることにより不正が起きないようにグループ化が可能である。さらに重要なのが、IRT(項目反応理論)と呼ばれる統計手法の導入だ。これは語学試験などでも使われる手法で、単なる正解の数だけでなく、問題ごとの難易度や受験者の真の実力を客観的に導き出すことができる。
これまでの試験では「正答率が低い=悪い問題」と単純に評価されがちだった。しかしIRTを使えば、問題が難しすぎたのか、それとも受験者の実力を正確に測れているのかを統計データから精緻に検証できる。この手法で真の実力を測れる良問だけを厳選してプールしていくことで、問題数を無駄に増やすことなく、公平で正確な試験を実施できるのだ。
過去問の暗記や受験テクニックは役にたたず、ごまかしのきかない本質的な能力だけが問われるようになる。CBT化は、医学教育を記憶力勝負から真の実力勝負へと引き戻す強力な切り札となる。
目指すのは、対話型試験。AI時代にこそ求められる、診る・聴く・触る力
CBT化の目的は、単に紙をパソコン画面に置き換えることではない。IRTなどの科学的評価を基盤とした上で、河北氏が見据えているのは、さらにその先にある21世紀の医療人の育成だという。
「2040年にはAIによる診断技術の進歩や、患者の医療に対するリテラシーが大きく変わることが予見されます。そこで医師に求められるのは、受容・傾聴・共感といった対話力や姿勢です。医師育成に最も重要なのは『診察力』、つまり『診る、聴く、触る』であり、中でも相手のあるがままを受け止め、心を込めて『聴く』ことは、どんなにAIが進化しても人間の医師にしかできないことです」
その理念を実現するため、研究班では民間企業との連携も積極的に進めている。例えば、心音や呼吸音の出題に関しては、株式会社テレメディカの技術協力を得て、学習システム内で忠実な音を再現できる仕組みを導入。より実臨床に近い形での聴診評価を可能にした。
さらにその先の展望として、河北氏は「対話型のCBT」という構想を明かした。
「現行のペーパー試験を単にCBT化しただけでは、いささか物足りません。将来的には、受験生の特性に合わせて出題を変えるCAT(Computer Adaptive Test:コンピュータ適応型テスト)方式を実現したいと考えています」
CATとは、受験者の解答状況に応じて、システムが次に出題する問題の難易度や内容をリアルタイムに変化させる仕組みのことだ。例えば、ある問題に正解すれば次はより高度な応用問題が出題され、間違えれば基礎を確認する問題が出題される。全員が同じ問題を解くのではなく、一人ひとりの能力に合わせてテスト自体が柔軟に姿を変えていく。登山に例えるなら、目指す頂上は一つでも、AIが受験生ごとのルートを提示し、それにどう対応するかを評価するような仕組みなのだという。
AIが知識を補完してくれる時代だからこそ、人間は改めて、患者を診る、話を聴くという原点に立ち返る必要がある。テクノロジーの進化が、逆説的に人間ならでは能力の価値を高めているのだ。国家試験の重要さを認識する一方、その前提となる医学教育の充実が不可欠である。5年次・6年次の学生には臨床実習への積極的診療参加が求められる。そのためにはWBA(Workplace Based Assessment)を導入しながら実習現場での指導と評価を徹底する必要があることを忘れてはならない。

「医療のトリレンマ」という壁。なぜ「安くて良質でいつでも」は限界なのか
医師個人の資質の評価方法が進化する一方で、河北氏が医療界全体で考えなければならない最重要課題として挙げたのが、医療システム全体の最適化と持続可能性だ。インタビューの後半、河北氏は資料を指差しながら、「医療のトリレンマという言葉を、よく覚えておいてください」と強く強調した。
トリレンマとは、3つの要素が互いに干渉し合い、同時には成立しない困難な状況を指す。医療政策においては、以下の3要素の対立構造として現れる。
- 医療の質(Quality):適正で安全な最新医療の提供
- コスト(Cost):医療費の抑制と経済的な持続可能性
- アクセス(Access):いつでも、どこでも、誰でも受診できる利便性
「日本の医療は長らく、国民皆保険制度の下で安くて(低コスト)、うまくて(高品質)、早い(フリーアクセス)という奇跡的なバランスを保ってきました。しかし、少子高齢化と医療の高度化が進む今、このバランスは崩壊の危機に瀕しています。質を維持しようとすればコストが国家財政を圧迫し、アクセスを維持しようとすれば医療現場が疲弊して質が落ちるのです」
河北氏が提示する解決策の一つが、私たちが当たり前だと思っていた受診の常識を変えることだ。
「フリーアクセスは見直すべき時期に来ています。適正なアクセスで十分なのです。その鍵を握るのが家庭医という存在です。だから私は、『家庭医を持ってください』と言い続けているのです」
身体の不調を感じたとき、まずは自分のことをよく知る家庭医に相談する。そこで適切な判断を受け、必要であれば専門医や大病院を紹介してもらう。このゲートキーパー機能が働くことで、重複受診や無駄な検査が減ってコストが抑制され、大病院は重症患者の治療に専念できるため、医療全体の質も担保される。
AI時代に私たちが選ぶべき、ハンドルを握る医師
30年にわたり日本の医療の質を問い続けてきた河北氏。彼が語る未来図は、医師と患者、双方に意識の変革を求めている。
医師には、知識にあぐらをかくのではなく、医師国家試験のCBT化などを通じて磨かれた診る・聴く・触るという身体性と、心を支える温かさ、そしてAIにはできない責任を持つこと。
患者には、AIやネットの情報も活用しながら、最終的には、責任を持ってハンドルを握ってくれる家庭医を選び、信頼関係を築くこと。
「AIは答えを出すけれど、責任は取れない」
このシンプルな事実を胸に刻み、私たち自身もまた、賢い患者として医療と向き合っていく必要があるだろう。
AI活用から医療の責任論、そしてホスピタリティの原点まで。日本医療機能評価機構が描く「次世代の医療人」の姿を完全網羅 。「AIは責任を取れない」と語る河北理事長が、30周年の節目に提示する医療改革の全貌は、医療系メディア『ウィズマインド』の特集記事をご覧ください 。
特集記事:『「AI時代」に問われる医師の真価。決して代替できないその役割とは。公益財団法人日本医療機能評価機構30年の軌跡と未来』
※ウィズマインドは、あなたの悩みに寄り添った美容クリニック・医療機関を発見するために、医師・スタッフの「想い」をお届けするメディアです。
【組織情報】
公益財団法人日本医療機能評価機構
理事長:河北 博文(かわきた ひろぶみ)
所在地:東京都千代田区神田三崎町1-4-17 東洋ビル
URL:https://jcqhc.or.jp/
事業内容:病院機能評価事業、教育研修事業、認定病院患者安全推進事業、産科医療補償制度運営事業、EBM医療情報事業など
中立的・科学的な第三者機関として病院の質を評価・支援し、国民が安心して質の高い医療を受けられる社会の実現を目指している。




