明治維新以降、士農工商の世界から解き放たれた日本人の働き方は大きく変わってきた。新しい可能性に存分に挑戦できることを目指した社会では、やがて滅私奉公と言われる働き方を生み出された。その一方で、過度に個人の都合に偏った働き方を志向する場面も見られるようになった。
自分らしさを発揮しながら、会社を通じて社会のために働くにはどのようなこと、職場の役割が大切なのだろうか? また、利益を追求する会社が不祥事を起こす事例は枚挙にいとまがないが、何故、そうしたことが起きるのか?
ラグビー日本代表が世界に感動を与えたことは記憶に新しいが、ラグビーの世界から生まれた「闘争の倫理」という概念から企業人が何を学べるのか。神戸大学大学院経営学研究科教授 鈴木竜太先生から熱いお話を伺うことができた。
鈴木竜太先生について
――最初に、鈴木先生の自己紹介と研究されている内容の紹介をお願いします。
私は分野でいうと組織行動論、経営組織論、経営管理論、キャリア論といった組織の中の人間についての研究をしてきました。その中でも一言で言うと、会社と個人の関係の研究をしてきた、ということになります。あえて言うなら、答えはないが、より良い組織と個人の関係とはどのようなものかを考えてきました。
研究のきっかけは、私の時代だと、会社はまだ終身雇用の世代で、それを見て、社会では忠誠心とか、会社人間などと言われることもあり、何故そうなるのだろうか、と疑問に思ったことに始まります。個人的には、そうした働き方については懐疑的に思って研究してきましたが、それはそれで良き関係であるということも分かってきました。
社員と会社との関係がキャリアの中でどのように変わっていくかについて研究していくと、では、今度は、自分らしく生きることと、会社のために尽くすことをどう両立させるのかという点にも関心を持ちました。会社のためだけでもなく、自分のためだけでもない、ではどうしたら良いか?ということが、その後の研究になっており、組織と個人の関係をキャリアの観点から考えてきました。
40歳くらいの頃、組織の中で個人の尊重と会社への貢献で悩む人たちをどうマネジメントしたら良いのかについて、「職場」という考え方が非常に大切だと思い当たりました。
つまり、「会社」と「個人」の関係で問題を解決するには限界がある。「滅私奉公」か、そうでなければ、ワガママな個人として「滅公奉私」という極端なスタンスになりがち。その後、「ワークライフバランス」といった概念も出てきたけれど、結局、仕事とプライベートのグレーゾーンをどう考えるかが難しくなって、議論が大変になっている現実がある。
こうした困難を超えるには、「職場」という、人間的な付き合いもあり、仕事もする場所という、中間的で、ある種の吸収点となる場所が必要だと考えるようになって研究をしてきました。
さらに、最近は数字による管理がもたらす問題についても研究しています。高い業績目標を持つことは不正をもたらすことがあるという研究はアメリカでもされていますが、日本では私がやっています。さらに、日本人の働き方を明治以降、長い目で読み解き、漫画(サラリーマンが出てくる漫画)を資料にして、働き方がどう描かれてきたかの研究もしています。また、リーダーシップの罠、リーダーが陥りやすい罠についても研究しています。
――まさに、社員にとって会社というのは「職場」のことだと思う。会社と個人といった視点でステークホルダーの関係を考えがちですが、その間にある「職場」というステークホルダーとどう付き合うかが大切だと感じました。
やはり、個人のワガママも、会社のワガママも「職場」が上手く吸収してくれるし、それが上手く機能しないと難しい。会社には、自分らしさを発揮できる人も、できない人もいる。例えば、社長や部長、役員クラスであれば、自分らしさを発揮しやすいのでしょうが、現場クラスでは自分らしさを発揮できる範囲は限られると思います。だから、そこをどうやって豊かなものにしていくかが大切です。だけど、それは結構難しいところがあります。
日本にも元々存在するコミュニティという考え方を持ち込むのだけど、それが往々にして失敗するのは、コミュニティが極めて「村社会的」になっているからです。規範が出来上がっているので、新しく入ってきた人で、村の規範に合わない人は居心地が悪い、というようなことが起きるからだと思います。ダイバーシティ・多様性の問題で、今支障をきたしているのもそういうところだと考えます。公共哲学者のハバーマスが述べていることでもありますが、開かれたコミュティがとても大切で、固定化された規範を持ち込むのではなく、開かれているコミュニティをどう作るかがとても大切だと私は思います。
――職場の人間関係が強固なだけに、そこをオープンにするにはどうすれば良いのだろうと思うのですが、いかがでしょうか?
私が着目しているのは、関係性は、ぐちゃっとしているというか、様々な側面を持っていて、我々がコミュニティとか関係というと、だれもが仲が良いといった人間関係を思い浮かべるけど、でも、これが閉じられた社会になりがちなものなのです。
そうではなくて、いっしょに仕事をする、つまり、仕事の相互依存的な関係の認識というか、自分だけで仕事はできないわけで、どんな仕事も、川上から川下まで、色んな人と結果的には仕事をすることになっていて、これをどれだけ意識できるかが大切だと思います。
自分がやらないと、他の人の仕事も進まないし、他の人の仕事のお陰で、自分の仕事も進むという関係性を認識すること、そして、共通の目標を持つことも大切だと思います。
――人間関係の善し悪しだけではなく、職場・部署・会社を越えてオープンさを確保することも、同じ目標を持てれば実現できる可能性が高くなるということでしょうか?
そうなると思います。ある種のバウンダリーを乗り越えながら、プロジェクトチームとか、関わりあうことが大切になってくると思います。
チームマネジメントの対応
――プロジェクトを進めていく時には、数値目標などのターゲットを定めて進んでいくものだと思いますが、そうした目標に対してチームで進む時に必ず起きるトラブルやマネジメントの困難さへの対応について、どのようにお考えになりますか?
二つあると思います。
まず、職場における他者との関わりをどう認識してもらうかが非常に大切で、「業務の見える化」がとても必要です。その中で、例えば、川上や横で仕事をしている人が遅れたり悩んだりしていたら、それを手伝う、といったことがまず一つ大切です。つまり、こうして他者との関わりを目に見えるようにすることが、大切なことの一つ目。
もう一つ大切なことは、少し抽象的になるが、「思いやり」だと思います。「思いやる」ことを、どうやって育むか、という問題。
私の理解では、日本社会は、他者に対するまなざしを元々持ち合わせていた。だけど、最近は、どんどんそういうものが断絶しています。すぐに自分の責任のところだけやって、あとは知らん顔、ということがおこりがちで、元々日本人が持ち合わせていた「思いやり」が職場に見受けられなくなっている。したがって、この「思いやり」を長期的にはどう育むか、これがもう一つ極めて大切です。
以上の二つがキーになる概念だと思います。
伊那食品工業株式会社さんも、私のケースでもよく使わせていただいていますが、この手の話では著名な会社で、いっしょに掃除をしたり、みんなで何かをするなど、思いやりを育むことの大切さが会社の根っこにあるのではないかと考えています。
我々は身近な人に対する思いやりは自然と持ち合わせられるわけです。例えば、家族。でも、遠くにいる人への思いやりはなかなか難しくて、例えば、東北で大震災が起きた時に何ができるかと考える人もいるし、インドネシアの地震に対して自分に何ができるかと悩める人もいる。逆に、そういうことに全く思いが至らない人もいます。
つまり、自分から遠い人たちへの思いやりは、人によってかなり違って、これはあえて育まないと自然には起きないもので、こういうものはコミュニティで育まれると考えています。大切なのは、この「育み」が組織の中でちゃんと作られるかどうかです。
この二つ(「業務の見える化」と「思いやりの育み」)を通して、マネジメントの中で、「自分に何ができるのか」を社員の皆が考えるように仕向けることがすごく大切だと思います。「私は、この職場で何ができるだろうか?」もう少し力のある人なら、「この会社のために、私にできることは何だろうか?」というようにです。それは同時に自分らしさを発揮することでもあるのです。人と関わりあうことによって、自分にできることにも気づくことになるのです。
リーダーに求められるのは
――現場がお互いを思いやって仕事を進めていく中で達成する数字と、実際に設定した目標との間にギャップが生じる場合も多いが、現場を大切にしつつも経営目標を達成することに苦しむリーダーはどう振る舞うべきでしょうか?
それは実際に困難なわけで、簡単な解決策はないと思います。だからこそ、リーダーたるその人に高い給料を払って仕事があるわけです。それは、マネージャー、リーダーそれぞれが本来考えなければならない部分が本質ではあると思います。
また、必要な認識としては、現場でお互いに思いやると成果が上がらないというのは誤解があります。仲の良いコミュニティで起きる困ったことの一つは、甘えです。仲が良くなればなるほど、思いやりも生まれるが、その時に、「仕方ないよね」「次頑張ったらいいよ」、みたいなことが往々におこり、ゆるんだ組織ができることは確かに多いのです。しかし、だからこそ、リーダーは「それは違う」ときちんと言わなければいけない。
他方で、もう一つの間違った帰結は、「監視社会」です。ちゃんとできてない人を糾弾したりすることが横行する状態です。正論でひたすら監視していく、これも非常に息苦しくなります。だから、リーダーが考えるべきことは、そうならないように舵取りをしていくことですが、この舵取りが難しいわけです。
もし、その舵取り方法として、マネージャーに対してヒントが何かあるかと問われれば、「聴く」こと、部下をどう理解するか、が大切だと思います。その上で、「想像性を働かせること」がとても大切だと思います。こういうことをしたら、この仲間の中で何がおこるだろうか、ときちんと想像していく。そのためには部下を知る必要がある。このように上手く舵取りをして、先ほどのような集団にならないように、緊張感を持ってグループを作っていくことが大切だと思います。
――そのあたりは、理論的に定まる部分ではなく、アート的な部分で、個人の性格なども踏まえてマネジメント方法も異なる、という理解をしておけば良いのでしょうか?
アートの部分もありますが、セオリーもとても大切です。何故なら、セオリーは想像性を極めて補ってくれるものだからです。たくさんのことを経験することも必要だけど、こういう時に人はこうなってしまう、という研究はたくさんあります。古典的な研究も含め、何故、リーダーがこういうことをすると業績が上がるのか、その「何故」の「理屈」の部分を理解してもらいたいです。しかし、こうすれば儲かるという「儲けの手法」の方にフォーカスすると良くありません。大切なのは、その何故の中身です。この何故の中身が分かってくると、想像性が湧いてきます。
もう一つは、仲間を知るということが大切です。へこみやすい人、ほめると伸びる、このチームはノリ出すと結構すごいぞ、場合によってはバラバラになるぞ、といったことを含めて理解して、チームをどう持っていくか、が大切です。そのあたりの舵取りは、経験がものを言う場面もあるが、経験を活かす手前に「想像」が必要な部分もある。チームマネジメントの「アート」の中身の多くは、想像性で占められるものと考えています。
この、経験とセオリーの両方が大切です。頭でっかちでもだめだし、経験だけでも、非常に偏ったものの見方・マネジメントになってしまいます。何故なら経験したことのない出来事に出会った時に、経験だけに頼ってしまえば、対処できなくなってしまうからです。それが組織行動論であり、組織の中の人間の行動を学ぶ理論です。
――最近は、大企業ではなく、スタートアップに就職したいという学生も増えていますが、どう思いますか?
二つあります。一つは、シングルタスクではなく、マルチタスクの仕事を早いうちからやらせてもらう良さはありますね。スタートアップは人手が当然に不足しているので、マルチタスキングの能力が求められるわけです。でも、同時に、チャンスの限界もあります。つまり、従業員が100人の会社は、その規模の仕事しか回ってこないのです。だけど、もし総合商社に行けば、数億円規模の仕事を20、30代で扱うこともあって、そういう良さはあるよという話はします。もちろん、大きい会社では、最初はシングルタスクになりますが。どちらが自分の経験として大切かを考えるように伝えています。
日本資本主義の父 渋沢栄一
――起業をする学生さんも増えてきました。先生は、日本資本主義の父・渋沢栄一に対してどのような見方や考え方をされていますか?
彼の生涯を語れるほど理解しているかは分かりませんが、彼は社会事業を志していて、基本的には質素なところがあったようだと思います。彼の保有していた資産は「社会のために」という思想で社会に還元されていますので、これからすごく大事になる考え方ではないかと私は思います。
ただ、日本の場合は、欧米と違って、あれほどの大きな収入の格差は存在しないと思うので、「noblesse oblige」がかなり成立しにくい社会になってきているという感じはします。
――スタートアップだと、株主や投資家の引力が強く、本来社会に出すべき技術より、今この数カ月で儲かる技術を出そうといった話も多く、ジレンマを感じることもあります。
理解できます。でも、他方で、渋沢は豊富な資金を持っていたし、同時に長期的なことも視野において考えていたのがミソだと思います。
今は、目先の金を稼がなければならないが、いずれは社会のために、という割り切りは大切です。大義を成そうとして失敗するのは、二通りあると思っていて、一つは、極めて儲けへの興味が強い人(例えば株主)のために事業をやらざるを得なくなってがっくりしちゃう場合です。もう一つは、大義にとらわれて儲け度外視でつぶれてしまうこともあると思っていて、まさしく、渋沢の言う、論語と算盤だと思います。儲けと社会的意義のどっちも大事だと思います。
とはいえ、やはり若い人にはなかなか理屈は分かっても、「論語と算盤の両方を持って」というのは難しいところがあると思います。だから、そういうトレーニングも必要だと思います。最近はSDGsも含めて、社会的なものについて極めてサポーティブな風が吹いていますが、それを免罪符にしてしまうと、事業が甘くなって、上手くいかないということはあると思います。それは気をつけなくてはいけなくて、確かに昔よりはだいぶ「社会的なもの」に対する温かさは世間に出てきてはいますが、やはり、「事業性」のをいかに確保するか、はすごく大切です。
早稲田大学の元ラグビー部の監督で、大西鐵之祐という方がいますが、彼は、非常に理論派の人でした。彼は、「闘争の倫理」を提唱しています。大西さんには戦争体験があって、戦争の時に、人が獣になることに対する怖さがあったそうです。戦闘中、人が生きる・死ぬという場面では、人が野生になってしまう。その時でも、人には最後まで人間性・倫理性を持ち続けてほしい。それが彼の願いで、そんな極限での人間性・倫理性の保持を養えるのがラグビーだという考えでした。
ラグビーは非常に闘争的な激しいスポーツで、時には殴られたりもしますし、カッすることもあります。それでも、ルールを守ったり、仲間を考えたりとか、最後まで倫理性を大切にするスポーツでもあるわけです。徹底的に相手を痛めつけるところがあるが、しかし同時にギリギリの倫理性も求められていて、それを追求するにはラグビーが良い、というのが彼の闘争の倫理なわけです。
私は、ビジネスの世界でも、そういうことは非常に大事ではないかと思います。徹底的に利益にこだわる、1円でも1銭でも儲けることを考えるけど、その先ではしかし、社会性と人間性を忘れずに持ち続けることが大事だと思います。だから、社会性が重視されるあまりに1銭でも儲ける覚悟が弱くなってしまうことは懸念しています。そういう脆弱な事業は、何かの時にポンっとつぶれてしまうのです。あまりに社会性を重視するだけで、儲けへの執念がなければ、逞しい社会事業は生まれないのではないでしょうか。
――ラグビーと仕事の共通点について非常に共感します。数字を追う中で、頑張っていくことと、それでもやってはいけないことを、リーダーが峻別することが必要ですね。
そうです。そして、私は「やりがいの搾取」の問題もあると思います。やりがいがあるから良いではないか、と言って、報酬や待遇で報いることをあまりしない会社があります。
利益を上げるとか給料を上げることをきちんとせずに、「給料とか売上といったことばっかり言っていてもだめだよね」と言って、社員に還元しないことを許す風潮もまたある気がします。コロナの看護師さんの待遇も一例ですが、大義のために給与を抑えられているような部分もあり、こういう問題は他にもあると思います。
公共性とか社会的大義が重視されるが故に、金儲けが良くないとなってしまう。先ほど申し上げたように、厳しい中で1円でも稼ぐことの大切さは確かにあるわけです。日本では、こういう目的は減ってきてはいますが、しかし、食べるために働く、稼ぐ、という目的もあるわけです。このことをリーダーや経営者は分かっておかなくてはいけません。やりがいがあるから、社会のためだから良いでしょう、みたいな考えは危ないと考えています。
――今後、関心をお持ちの分野はありますか?
現在、取り組んでいる分野ではありますが、失敗の研究をしています。その意味では、SACCOのメンバーも含め、経営者の皆さまにぜひお話を伺いたいと思っています。
読者へのメッセージ
――最後に、先生からこのインタビューを読まれている方へのメッセージをお願いします。
フォロワーに少しでも立ち止まって考える、見直してもらうためには時間が必要です。
日々の仕事に追われるフォロワーに仕事の中で考える時間や余裕を作ることもリーダーの大事な仕事だと思います。
またそのためにはリーダーにも考える時間、フォロワーと接する時間が必要です。何をするかではなく、何はしなくても良いかということを考えることも大事にしてください。
――本日はありがとうございました。
<プロフィール>
鈴木竜太
神戸大学大学院経営学研究科教授
1971年生まれ。1994年神戸大学経営学部卒業。ノースカロライナ大客員研究員、静岡県立大学経営情報学部専任講師を経て、現在、神戸大学大学院経営学研究科教授。専門分野は経営組織論、組織行動論、経営管理論。著書に『組織と個人』(白桃書房、2002年:経営行動科学学会優秀研究賞)、『自律する組織人』(生産性出版、2007年)、『関わりあう職場のマネジメント』(有斐閣、2013年:日経・経済図書文化賞、組織学会高宮賞)、『経営組織論(はじめての経営学)』(東洋経済、2018年)、『組織行動-組織の中の人間行動を探る』(有斐閣、2019年)など。
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