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ライオンケミカル株式会社

https://www.lionchemical.jp/

〒649-0311 和歌山県有田市辻堂1番地1

(0737)82-3211

社員一人ひとりが“店主” ライオンケミカル流、人と地域を活かす経営

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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ライオンケミカル 田中社長
ライオンケミカルの田中源悟社長(提供:ライオンケミカル、以下同)

和歌山県有田市に本社を置くライオンケミカル株式会社。明治18年に創業し、蚊取り線香をはじめとする殺虫剤を中心に成長を遂げてきた老舗企業だ。

かつては棒状だった蚊取り線香に、『巴型渦巻き』という現在スタンダードな形状と機械化を発明し、日本国内外での大量生産と普及を実現した。

同社は今、創業140年を迎え、進化した技術と理念をもとに新たな展開を見せている。今回は、代表取締役社長・田中源悟氏に、同社のリブランディングと人材育成、そしてこれからの展望について話を聞いた。

 

除虫菊から始まった企業の歴史

ライオンケミカル本社外観
本社外観

─創業当時の歩みと、現在の事業について教えてください。

田中

ライオンケミカルの起源は、1885年に始まった除虫菊を原料としたノミ取り粉の製造です。蚊取り線香も、最初は棒状で火持ちが悪かったのですが、そこから渦巻き型に進化しました。

当時、当社が開発した『蚊取り線香自動製造機』により、手作業だった製造工程を自動化できたことで、大量生産が可能になったのです。

この製造方法及び機械は特許を取得しましたが、業界発展のために公開し、結果として技術が流出。業績は苦しくなりましたが、社会のために有益なのであればそれを優先するその精神は今でも受け継いでいます。

ライオンケミカル 初期の蚊取り線香
ライオンケミカルの初期の蚊取り線香。左は手巻きの蚊取り線香で、右が機械化された巴形の蚊取り線香

─その後、OEMを経て、現在は自社ブランドにも力を入れていらっしゃいますね。

田中

そうですね。1973年にライオンの子会社になったのち、1991年には米国のジョンソン社の傘下に入り、1999年には撤退という経緯もありました。

そのとき、支援を申し出てくれたのが現在の親会社である三和です。私は三和からライオンケミカルへ営業部長として派遣され、販路拡大と自社ブランド開発に注力してきました。

 

規模拡大と“ものづくり”の誠実さ

─売上や社員数など、定量的な実績も大きく変化してきたようですね。

田中

私が入社した当時の売上は約6億円でしたが、現在は単体で約110億円、グループ全体では160億円を超える規模にまで成長しています。

社員数も290人ほど。製品はすべて自社工場で製造し、約1,500点のアイテムを扱っています。中にはOEM製品も多いですが、どの製品にも共通しているのは“誠実なものづくり”へのこだわりです。

─代表的な製品としてはやはり蚊取り線香が挙げられると思います。そこでも進化があるとか。

田中

はい。住友化学と共同で開発したピレスロイド系の新薬剤“メトフルトリン”を使った業界初の製品を近年立て続けに発売しました。

従来の蚊取り線香は火が消えたら効力がなくなるとされていましたが、弊社の『ライオンかとりせんこう』は、室内に限りますが燃焼完了後も約3時間効果が持続します。

また、『ライオンかとりせんこうプレミアム厚太』は、厚生労働省が初めて屋外使用を認めた蚊取り線香としても注目され、アウトドア需要の開拓にもつながりました。

OEMとして流通するプライベートブランド製品も含め、今では日本で売られている進化型蚊取り線香のかなりの割合を当社が製造しています。

ライオンかとりせんこう 燃焼後も効果持続
改良された蚊取り線香。燃焼後も効果が持続する

─そうした開発の背景には、どのような考えがあったのでしょうか?

田中

一言で言えば、安全性と利便性の両立です。従来の薬剤には海外で禁止されたものも多く、安全に対する信頼が揺らぎかねません。

だからこそ、当社は“より安全に、より効果的に、より便利に”というテーマで住友化学とSPマークの認証を得た製品(新薬剤使用)を共同開発し、それをきちんと明示しています。

これは業界では異例の取り組みでしたが、今では業界全体として取り組む動きが始まっています。

ライオンかとりせんこう 厚太
屋外使用の骨太。

「にぎわいある企業」への想い

 

─企業としての哲学も印象的ですね。「企業にはにぎわいが必要」とよくおっしゃっていますが。

田中

私にとって“にぎわい”とは、さまざまなバックグラウンドやスキルを持った人たちが共に働ける環境です。

会社は商店街のモールのようなもので、社員一人ひとりがテナントのオーナーのように、自分の役割に責任と誇りを持って働くことが大切だと考えています。

和歌山出身者が戻って働ける場を提供したいという思いもありますし、今では県外からのIターン、Uターンの人材も増えてきました。

―グループ会社の中には、創業500年以上の歴史を持つ和菓子屋「総本家駿河屋」もある。かつて経営難に陥った同社を県内外からの支援要請に応え再建に導いたと聞いています。

田中

我々の使命の一つは、地域の“価値あるもの”を次の世代に残すことだと思っています。

だから和菓子屋も、洗浄剤も、入浴剤も、すべてが“暮らしを支えるもの”。それぞれの役割を担いながら共に成長していく、そんな企業グループでありたいと考えています。

─最後に、今後の展望についてお聞かせください。

田中

10年後、20年後のビジネス環境がどうなっているかは誰にもわかりません。だからこそ、当社は柔軟性を大切にしています。

どんな時代でも通用する“生活者に寄り添った商品づくり”を続け、製造からパッケージまで責任を持って届けていく。その姿勢を守りながら、次の100年に向けた土台を築いていきたいと思います。

ライオンケミカルの歩みは、単なる老舗の存続ではなく、時代に適応しながらも変わらない価値を追求する挑戦の連続である。

伝統と革新が共存する企業の姿は、多くの中小企業にとっても希望の道標となるだろう。

ライオンケミカル 田中社長

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ライター:

株式会社Sacco 代表取締役。一般社団法人100年経営研究機構参与。一般社団法人SHOEHORN理事。株式会社東洋経済新報社ビジネスプロモーション局兼務。週刊誌・月刊誌のライターを経て2015年Saccoを起業。 連載:日経MJ・日本経済新聞電子版『老舗リブランディング』、週刊エコノミスト 『SDGs最前線』、日本経済新聞電子版『長寿企業の研究』

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