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【株式会社保志(アルテマイスター)】時代が求める「祈りのかたち」を創造

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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1900(明治33)年に創業し、仏壇、仏具、位牌などを製造・販売し続けている保志(福島県会津若松市)。

核家族化や洋風化が進み、昔ながらの供養や祈りの習慣が様変わりする中、現代の住環境に合い、人の心に寄り添う「祈りのかたち」を創り出しています。

社長の保志康徳氏に、経営に対する思いや将来のビジョンについて伺いました。

会津が誇る漆器産業の伝統技術を生かす

初めに、御社の事業概要をお聞かせください。

保志

創業から一貫して仏壇、仏具、位牌を中心とした製品の製造・販売を手掛けています。

創業者は仏具を作っていた指物師でした。戦後は後を継いだ経営者が日本中を行商して回り、戦災で焦土と化した都市部で賄えなくなっていた全国の仏具需要が会津若松に集まってきました。

会津の地で需要を取り込めた理由は、漆器産業の伝統技術という基盤があったからです。

さらに、当時は地元産の木材が汽車にたくさん積まれて大都会に運ばれていた中、仏壇そのものを作ろうということになりました。

しかし、仏壇は仏具と比べて大きく、作り方も違います。そこで、丸太を加工する製材所を自社で構えたわけです。

丸太を製材し、しっかりと乾燥させるまでには3、4年はかかるので、経営的なリスクが大きかったのは間違いありません。ただ、高度経済成長の時代で、何をするにも大きな需要を見込めたのだと思います。

マンションなどの住宅事情の変化や家族葬など小規模葬儀の広がりで、仏具業界は厳しい局面にあるのではないでしょうか。

保志

市場規模はピークアウトし、ライフサイクルで言えば衰退期。業界全体を見渡しても、国内に工場を持って製造しているのは我々くらいです。

一方、業界としての課題は、市場に向けたアプローチの弱さ。

つまり、「お客様はなぜ、その店に来てくださったのか」「どんな理由でその製品を選ばれたのか」といった販売時の状況が、メーカーに共有されていないんです。

そのため、両者が一緒になって市場拡大に取り組む共同作業も欠けています。

社会構造の変化に合わせた「厨子」で小売に進出

2002年に直営店舗の「銀座ギャラリー厨子屋(ずしや)」をオープンしたのは、そうした課題を解決したいとお考えになったからなのでしょうか。

保志

販売現場の情報が欲しかったからですね。

商品開発に向けて販売店側の要望などを聞いたとしても、その情報が全部正しいとは限りません。そのため、本格的に小売を始めることにしました。

もちろん、メーカーが小売を始めるわけですから、販売店側からすると面白くないのは当然です。

我々としても既存の販売店を飛び越えて商売をしようとは思っていなかったので、「とりあえず実験をさせていただき、うまくいけば一緒にやりましょう」と頭を下げて回りました。

仏壇ではなく「厨子」を選ばれた理由は何だったのですか。

保志

仏壇は一家のものですが、厨子は一人ひとりのものです。なぜ、日本で仏壇が成り立ってきたのかを考えると、分母にあったのは檀家制度や家長制度だと思います。

今はこれらの制度が崩れた中、仏壇は形だけのものとして残っているのではないかと推測しました。

もちろん、亡くなった方を弔う気持ち、供養しようという気持ちは今も変わりませんが、もはや仏壇だけですべてを受け止められるわけではありません。

宗派や家に捉われず、「私が弔いたい」「私が祈りたい」という思いに応えるために「厨子屋」をオープンしました。

厨子をお使いになっているお客様の中には、ご自身のヒストリーや次の世代に託すものなど、本当に大切なものを入れている方もいらっしゃいます。

「供養」を切り口にして日常をどう生きるかを考えるきっかけになっていて、もっと言えば死生観にもつながっていく装置ということですね。

「悲しむ方が希望を持って生きられる装置を作る仕事」

そのような考え方に至るまでには長年の積み上げが必要かと思いますが、子どもの頃から家業を継ぐ考えをお持ちだったのでしょうか。

保志

いいえ、「人が死んで儲かる商売は嫌だ」と思っていました。祖父には「継いでほしい」と言われていましたが、中学1年か2年のときに「継がない」と宣言したんです。

「大切な身内を亡くした人が、俺たちの作った仏壇に手を合わせると悲しみが癒える。こんなに尊い商売はない」と聞かされたものの、気持ちが変わることはありませんでした。

だから、大学を卒業後は仏壇と全く関係のない東京都内の上場企業に入社しました。

ところが、人事を担当したときにリストラの仕事に関わったんです。自分を含めた社員は単なる歯車に過ぎないということを痛感しました。

そんなとき、会社を切り盛りしていた叔父と父に「どうするんだ」と言われて。

「人が死んで儲かる商売は嫌だ」という考えは変わりませんでしたが、いろいろな人の話を聞いているうちに「大切な人を亡くして悲しむ方が、希望を持って生きられる装置を作る仕事」と思えるようになり、1993年に入社しました。

入社後、ご苦労されたことはありますか。

保志

最初は営業を担当したのですが、工場に移った2000年くらいは業績が悪かったんです。

そのため、銀行の貸しはがしに遭いました。先方の担当者に「うちの会社の土地ではなく、今後の経営を担保にしてほしい」とプレゼンテーションもしたのですが、「すぐに5億円を返済してほしい」と。

他行がすぐに融資をしてくれて事なきを得たのですが、苦境に立たされたおかげで強くなれたと感謝しています。

「仕事は楽しいもの」という定義を広めたい

経営者として意識されていることがあれば教えてください。

保志

経営にとって大事な要素は人と財務基盤なので、毎年の利益は使い道をあらかじめ決めています。まずは1年間の社員の給与に加え、機械や建物、お客様へのサービス向上に向けた設備投資の資金をプール。

残った分は会社で貯め込まず、社員に分配する仕組みです。だから、決算書の営業利益はいつもぎりぎりなのですが、率直に言うとゼロでいいと思っています。

損益計算書(PL)で言えば、人件費を利益に含めているということですね。親族も株を持っていますが、誰もお金に固執しないのが立派なところだと思います。会社も配当金は出していません。

我々が目指しているのは、「仕事はつらいもの」という定義を変えることです。

自分の好きなことをしてお客様に喜んでいただき、社会貢献をしてお金もいただける仕事は楽しいものという定義が広まった会社は、自然にいい会社になります。

さらに、そういう会社を目指そうという会社がどんどん増えれば、世の中も良くなってくるはずです。

本当に社員を大切にされているのですね。

保志

毎月1日に合同朝礼の時間を取り、会社で起きていることなどを私からも報告しています。

コロナ禍が明けて復活したのは、さまざまな部署からランダムに集めた社員たちとの定期的な昼食会。PLの情報も全社員向けにすべて開示していて、幹部社員は日次決算も把握しています。

また、社員旅行も5年ぶりに復活しました。会社が全額の費用を負担していますが、面白いのはその中身です。

行き先も日程もさまざまな国内外12コースを用意し、社員はどこに行くかを自分で決めて旅行会社とやり取りします。

クリエイティブな業態の会社なので文化に触れる、あるいはその土地に行かなければ体験できないことがあるコースを設定しており、全社員が必ず参加する決まりです。

さらに、2022年からは10月上旬の土曜に「オープンアルテ!」という社員のご家族向けイベントを開催しています。社員が自分のご家族をアテンドし、自分の職場や工場、製品を見学してもらう機会です。

今年の参加者数は28組・78名で、社員からは「家族に『とても良い職場だね』と言われたことで、良い環境で働けることに対して感謝の気持ちが生まれた」という感想が聞かれました。

ご家族からも「社員同士が部署を超えて交流している壁のない会社という印象」といった声をいただいています。

親族内承継には固執しない

次世代へのバトンタッチに向け、準備をされていることはありますか。

保志

自分の後継者はまだ白紙ですが、誰が社長になっても良い体制をつくっておこうと考えています。

次の時代の経営者が三方よしの精神でやっていける環境をつくりたいですね。ファミリーで事業を承継する方が収まりは良いかもしれませんが、それに固執はしていません。

社長になるべき人がなってくれればいいんです。社員とそのご家族、お客様のことを思いながら、法人格を次代にバトンタッチしていくことが大切だと思います。

今の業種・業態も大切にしますが、祈りをアウトプットする装置にはこだわりません。人々が元気に生きられる、落ち込んだときに手を合わせれば光が差すような装置をつくっていきたいですね。

日本の精神性を世界へ パリで厨子の展示会を計画

改めて、次の100年の展望についてお聞かせください。

保志

経営的な課題はマイルストーンをどう立てるか。市場がピークアウトしたという現状には危機感を持っていますが、業界全体の年商は自社の20倍もあります。だから、あまり悲観はしていません。

コロナ禍の間は海外で仏壇を作っている同業他社が製品を供給できなくなり、我々にものすごい数の受注が集中して大変でした。他社がどんどん業界を去っても、我々が最後の1社として残ると考えています。

もちろん、残存者利益に期待するだけではなく、これから入社してくる若手の夢や希望、可能性を広げるため、海外で認められるようになることも必要です。

我々は「世界の精神文化に貢献する」という社是を掲げていますが、仏壇が役割を果たしてきた祈りは世界に共通します。

人間は有史以来祈っていると思いますが、利他の祈りを身近に醸成する装置を世界に広げたいと思い、2025年春にパリで厨子の展示会を開きます。

日本の精神性、利他の気持ちを打ち出すためには厨子が必要です。

そうした取り組みを切り口として「日本はどんな国なのか」「アルテマイスターの製品はどんな場所で作られているのか」ということに興味を持ってもらうことが、1つのゴールになると考えています。

また、仏壇・仏具などの加工、塗装、加飾技術の可能性を広げる取り組みとしてUV漆塗料(紫外線硬化型漆塗料)を開発し、2023年からトヨタ自動車の高級車ブランド・レクサス「LM」のオプション内装の一部に採用されています。

最近は仏壇・仏具の製造機械を自分たちで作れるようにもなってきたので、新しい技術を生かした次の事業展開も探っていきたいですね。

アルテマイスター 保志については、日経新聞電子版に掲載されている加藤俊の連載『長寿企業の研究』でも「仏壇・仏具の保志、デザインで存在感 銀座に直営店」というテーマで取り上げています。以下から読むことができます。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC197TU0Z10C24A3000000/

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ライター:

株式会社Sacco 代表取締役。一般社団法人100年経営研究機構参与。一般社団法人SHOEHORN理事。週刊誌・月刊誌のライターを経て2015年Saccoを起業。社会的養護の自立を応援するヒーロー『くつべらマン』の2代目。 連載: 日経MJ『老舗リブランディング』、週刊エコノミスト 『SDGs最前線』、日本経済新聞電子版『長寿企業の研究』

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