日本のモノづくりを支えてきた町工場。金属加工をはじめ、世界的に見ても高い技術力を持ち、「オンリーワン」の技術や製品を持つ工場は数多くあります。有限会社ウンノ研磨工業所は、熟練技のモノづくりに欠かせない産業用の切削工具・工業刃物の再研磨・再加工を行う会社。1965年に設立以来、50年以上にわたって日本のモノづくりを支える技術を極めてきました。
今回登場いただいた渡辺礼子さんは、ウンノ研磨工業所の二代目社長。「真摯に仕事に取り組む創業者である父の背中を見て育ち、経営を引き継ぐ決意をした」と語ります。「お客様をいちばんに。笑顔とあいさつで利他の心」の理念を掲げ、新工場の開設や将来を見すえて家業から企業へと社内改革に取り組む渡辺さんに、同社の事業と今後の展望、ステークホルダーへの思いを伺いました。
お客様のために。社員のために。創業者の長女がモノづくりの会社を継承
―まずは、御社の事業と成り立ちについて聞かせてください。
弊社は、1965年に設立したドリルをはじめとする切削工具・工業用刃物の修理全般を行う企業です。刃を付け直す再研磨、形状に手を加える再加工及び素材選びから新規に製作までを行うほか、工具の長寿命化につながるコーティング処理まで一貫した提案をしています。
父は現場で作業、母は配達と帳簿付けという二人三脚で始め、品川区の青物横丁にある知り合いの工場の間借りからスタート。私はその2年後に生まれたのですが、小学校にあがる時に同区の南大井に越し、中学入学に同じエリア内で移転したのが現在の社屋です。
父は仕事が好きでいつも一生懸命。ポリシーは「仕事はなるべく断らず、納期を守ること」。工具メーカーや問屋さんをはじめとするお客様との信頼関係を何よりも大切にし、気付けば500社ほどの取引先を抱えるまでに規模を大きくしました。現在、従業員は16名。生産性や利益の追求よりも社員の雇用を守ることを大切に、会社を存続させてきました。
―お父上が50年かけて発展させてきた会社を渡辺さんが事業を継承されたわけですが、そこに至る経緯を聞かせてください。例えば、子どもの頃から意識されていたのでしょうか。
ほとんど意識していなかったですね。振り返ると、工業高校の化学科を選択し、卒業後は服飾の専門学校に進んだのは、モノづくりという意味で家業と共通するものはあったかもしれません。ただ、専門学校卒業後はアパレル会社に入社し、当時の上司に連れていってもらったゴルフにはまり、退社してキャディとして働きながらプロゴルファーを目指すなど若い頃は自分の夢を追っていました。
ケガを機に弊社に入社させてもらい、事務所で働くようになったのですが、当時は父も私も事業を継ぐことは意識していなかったんです。それでも仕事の面白さや奥深さにはまっていくというか、自分なりに勉強してパソコンのスキルで請求業務を効率化したり、ネット環境を少しずつ整えていったり。そうすると現場の仕事も見えてきて、「もっとあそこをこうすれば」と思うようになりましたが、父やベテランの職人さんに教えていただく立場でしたから、自分から現場のカイゼンにまでは踏み込んだりはできなかったですね。
―経営を意識されるようになったのはいつ頃からでしょう。
3年前に常務に就任し、母から経理を引き継いだことが転機となりました。ちょうどその頃、東北方面への社員旅行があり、社員みんなの笑顔を見ていたら「この人たちにずっとうちで働いてほしい、ずっと笑顔を見せてほしい」と強く思ったんです。父はもう80歳、誰かが継がなければならない。実は、現場で働いている義理の弟に父がオファーしたことがあるのですが、「先輩社員の上に立つわけにはいかない」と断られていたそうです。
それなら、経理を任されている私が引き受けるべきなのではないか。「みんなうちで一生懸命働いてくれている。お客様にも信用が付いている。お父さんの代で解散というわけにはいかないでしょ」と父に持ちかけたのですが、最初は難航しました。
家族からも社員からもなかなか賛同を得られない。家業ではありますが、結婚して別に所帯を持っていることもあってか、中途半端な関わり方に見られていたんですね。そう思われているのなら自分を変えなくてはならない。経理担当ならではの「重役出勤」をやめて朝は早出をして、父がずっと続けてきたトイレ掃除を引き継ぐことから始めました。社長になった今も続けています。
家業から企業へ。新工場の開設、社内体制の変革へと攻めの姿勢で取り組む
―社長に就任されて新体制になり、変革したこと、逆にあえて変えていないことはありますか。
変革のひとつは、昨年に茨城工場の移設を決めたことです。発端は、3年前に常務取締役に就任した時に社員の前であいさつし、「家業から企業にしたい」と抱負を語ったこと。その時に父が所有している茨城の土地に工場を建てたい、と宣言したのです。
東京の工場は会社が管理していますが、土地は借地。建物も土地も自社所有の新しい工場を建てることは、事業の拡大はもちろん、会社にとって大きな意味のあることだと考えたからです。宣言したことで、私だけではなく父の夢にもなりました。当初は5年計画を立て、2022年に着工で動いていたのですが、土地の許可が予想以上に早く下り、資金繰りもコロナでチャンスが巡ってきて、一気にたたみかけよう、と2020年着工、2021年5月竣工で移設する運びになりました。
義理の弟が東京と茨城の工場を統括する工場長に就任し、現場の最高責任者として全幅の信頼を置いています。また、ベテランの社員を東京の責任者かつ私の右腕的な役割として配属しました。社員を指導するほか現場の改革のアイデアも出してくれ、とても頼りになる存在です。
また、弊社の理念を明文化もしました。「お客様をいちばんに。笑顔とあいさつで利他の心」。これまでに見聞きしてきた父の考えや行動指針を思い出しながら文字にしたもので、社員に浸透させようと書き起こしたものを壁に貼り出しています。
―最後に、今後の発展の礎になる御社の強みについてお聞かせください。
新品の工具は資価格が高く、希少な資源の排出や費用も莫大です。再研磨した工具を使用することで、設備投資のコストを削減できます。50年以上の歴史を持つ弊社ならではの知識と技術で、お客様の設備の状況に応じたコスト低減プランを提案しています。
弊社では、お客様の多彩なニーズに応える加工設備を有しているのはもちろん、コンピューター制御機能付きの自動研削盤ではむずかしい部分でも職人によるきめ細かな手技で素早く対応できるのが強みです。近年は半導体関連の発展により部品も小さいモノづくりが主流になる中、刃物も極小のものに移行しているので、熟練の職人の手作業ならでは技術が貢献できるところは大きい。
お客様が求めているのは精巧なドリルではなく、ドリルを使ってあける「穴」ですから、そのための縁の下の力持ち的な存在が弊社です。大切なのは技術の押し付けではなく、お客様のニーズにあった形状で刃を研磨すること。これは父の時代からの教えで、私も現場の社員とともにいつも胸に刻んでいます。これまで以上にお客様に貢献できるよう、努力していく所存です。
*参考
有限会社ウンノ研磨工業所/品川区中小企業支援サイト (city.shinagawa.tokyo.jp)
ステークホルダーへの感謝
お客様への感謝
株式会社サカイ様
弊社のお客様は切削工具の問屋さんが多く、中でも最大の取引先が株式会社サカイ様です。東京・港区三田に本社があり、地方に営業所が5か所ある品数が豊富な問屋さんで、創業時から現在まで深くお付き合いをさせていただいております。社員の方も熱心な方々ばかりで、お仕事をいただくだけではなく、弊社の社員はお客様とのお付き合いの仕方という学びもいただいています。サカイさんがいなかったらうちは存続できなかっただろう、というほどの重要なお取引先で、深く感謝しています。
日進工具株式会社様
ニッチでトップを走る工具メーカーの日進工具株式会社様は、弊社の創業時、父が先々代の会長さんに懇意にしていただき、仕入れ先やお客様をご紹介いただいたことで軌道に乗りました。現在は、お取引よりも人的交流でお世話になっており、社長さんをはじめ経営陣の方々に企業価値の高い経営とは何なのかということを教えていただいています。「企業たるものこういうもの」という私にとってお手本のような存在の大きな会社です。
株式会社東新商会様、大洋ツール株式会社様
最近、株式会社Cominix様の傘下に入った切削工具商社の株式会社東新商会様ですが、先代の会長さんの頃からお付き合いくださっているお客様です。
工具メーカーの大洋ツール株式会社様は、お取引をはじめ技術的なことでも大変お世話になっており、特に大洋ツールの高萩会長さんには父も私もご面倒を見ていただき、親身になって悩みを聞いていただける、唯一のお人で公私交えてお付き合いいただいていることに深く感謝しています。
社員への感謝
全員に心から感謝しています。新型コロナの感染拡大で、社員や家族に万一があってはいけないと考え 時差出勤や少々休みをとってもかまわない、と伝えたのですが、意に介さず、通常通りに仕事に励んで頑張ってくれています。
美濃部 覚(みのべさとし)さん
その中でもキーマンとして2人あげさせてください。現在、統轄工場長として頑張ってもらっている義理の弟の美濃部さんは、昨年まで本社の工場長でした、茨城の職人が辞めると同時に仕事に支障がでる問題が発生した時に、即時休日も返上して東京と茨城を往復し、お客様の信頼を回復させました。本当に身を挺してくれて、「どうしてそこまで頑張れるの」と訊ねると、「お客さんが待っているから。会社のためじゃないよ、お客様のため」と。それでいいんです。父の経営理念がそうですし、お客様をいちばんに考えてやってくれることがこの仕事はいちばん大切ですから。彼が見せてくれた「利他の心」は、弊社の生命線です。
鳴島重典(なるしましげのり)さん
弊社はこれまでひとつの機械をひとりが担当する単能工のスタイルでしたが、何かあった時にお互いにバックアップしにくいなどの弱点がありました。今、多能工化を模索する中で管理職として頑張ってくれているのが、鳴島さんです。現在55歳のベテラン社員で、能力が高い方ゆえに昔気質の父とぶつかることもあったのですが、じっくり話を聞くと、アイデアが豊富で、裏付けもある。若い社員に指導もできる。そこで、工場長の下につき、茨城にいることが多い工場長の代わりに東京本社をまとめるポストに抜擢しました。待望していた右腕的な存在ができ、私としてもほっとしています。改革の責任はもちろん私にありますが、全幅の信頼を置いています。
取引先への感謝
税理士 奈良先生
税理士の奈良先生と弊社は20年のお付き合いで、私が常務になってからは経理ソフトの導入をすすめていただくなどの実務だけではなく、経営者としての考え方や、数字から見る経営判断の仕方を教えていただきました。今期で交代されるのですが、私が役員として経営を見ることができるようになったのは先生のご指導の賜物で、深く感謝しています。
金融機関への感謝
さわやか信用金庫 立会川支店
これまでメガバンクとの取引が中心だったのですが、入出金が中心で、特に融資の相談はしていませんでした。私の代になっていちばんお世話になっているのはさわやか信用金庫の立会川支店です。社員の給料の振込みに切り替えたほか、融資の相談や資金繰りの相談にも親身に乗っていただき、芹沢支店長さんや担当の山本さんにも大変お世話になっています。
株主への感謝
有限会社ですので株は父と母と私が所有しています。お取引先などまわりの方たちにいい会社と評価されて初めて株主も潤います。これからもますます精進していきたいと思います。
地域社会や環境への感謝
南大井寺下町会
両親は南大井寺下町会の役員を長年していて、私も小さな頃から町内の方たちに見ていただくなど、まわりに支えられて育ってきました。恩返しの気持ちを込めて、両親と同じように町内の行事などに積極的に参加したいと思っています。
会社のある地域だけではなく、広く地域社会や環境に貢献していきたいですね。例えば、廃材のリサイクル。弊社は金属工具の修理業なので、廃材には金属と砥石の粉が混ざり、廃棄物になってしまうのですが、何かに活用できないだろうか。業界でもリユースやリサイクルを考え出していますので、運用方法を模索していきたいですね。
先ほどお話しした、弊社の理念を明文化しようと、父の言葉を思い出しながら自分なりに書き起こしてみた時のことです。
ふと、工場で額に汗を流し、納品に間に合わせるために常に努力していた父の姿が目の前に浮かんできて、あ、これを守っていけば何とかなる、と確信しました。「お客様をいちばんに。笑顔とあいさつで利他の心」という理念には、父の思いが宿っているのだと思います。
これからも社員とともに、お客様、取引先、地域の皆さんにご恩返しができるように精進していきたいと思います。
<プロフィール>
渡辺礼子
代表取締役社長
<企業概要>
有限会社ウンノ研磨工業所
〒140-0013 東京都品川区南大井5-8-3
設立:1965年10月1日