16年目の今語ろう
一般社団法人エコロジー・カフェのコミュニティをより面白いものに発展させるべく、定期的に会報を発刊していくことになりました。エコカフェという場所には誰がいて、どういった学びが期待できて何ができるのかを伝えていきます。発刊の目的は一人ひとりの会員の参画意識を高めること!こう言いきると固いので(笑)、お忙しい会員の方の目に会報が奇跡的に触れたときに、「あ、そういえば最近エコカフェに参加していなかったな。来月は参加してみよ!」と思ってもらえる情報を発信していきたいと思います。
そのうえで、栄えある第一回目のテーマとして、そもそもエコカフェってどうやってできたのかの経緯を押さえる必要がありますので、理事長の仁藤雅夫さんとアドバイザーの山崎俊已さん、事務局長の阿部清美さんの3人に集まっていただきました。
会員が知っているようで知らない、エコカフェのヒストリーや活用法、コミュニティとしての可能性などを紹介します。
※本取材は、2020年1月に行われたものであり、それぞれの肩書は当時のものとなります。
生物多様性の学びを提供するプラットフォームとして発足
―エコロジー・カフェの立ち上げってどういった経緯だったのですか?
山崎 そもそもの口火はぼくです。高校で1年上の先輩が密輸された絶滅危惧種のリクガメであるマダガスカルホシガメを警察から預かり、その善後策を相談されたんです。クリスマスイブの夜に。ワシントン条約で取引が禁止されている絶滅危惧種を継続的に保護し、飼育するには制度を理解した上での仕組みづくりが必要です。
ボクはその時点で7つのNPOの立ち上げに関わっており、「末広がり」の8つめとして環境系のNPOの在り方を模索していたタイミングでもありましたので、絶滅危惧種の保護飼育と子どもたちの学びの要素をかけあわせたNPOで仕組みをつくれば意義が大きい、と考えたのがきっかけです。
仁藤 私は自宅でカメを飼っていたこともあり、NPOの設立にあたって最初に山崎さんに声をかけていただきました。
山崎 仁藤さんは珍しいカメを飼育されていたんです。ぼくと先の先輩、仁藤さんの3人がいちばん最初のメンバー。次いでカメ好きの方を中心に声をおかけしました。
仁藤 カメを飼育している人は面白いもので、カメを飼っていることを声高に主張はしないんだけれども、飼っている人自体は意外にいるものです。うちで飼っていたのはもう死んでしまったのですが、ケヅメリクガメという種類でした。体重40kgくらいの個体で、名は亀山慎一。かわいい子でしたよ。それで時たま話している相手がカメ愛好家と知れると、一気に打ち解けることができたりするんです。
山崎さんから声をかけてもらってからの流れとしては、実際にカメの保護飼育と子どもたちの学びとの連関性のヒントを求めて、ウミガメの調査と保護を行っていた小笠原諸島を訪ねたことから固まっていったんですね。
山崎 当時、世界自然遺産登録を目指していた小笠原を実際に訪ねてみると、自然の森の中に非常に貴重な植生が見られ、絶滅危惧種のカテゴリーに属するような植物も多くあり、独自の進化を遂げていました。絶海の孤島に辿り着いた小さな種や植物がどのようにして環境に適用してきたかも含め、いろんな生き物が共に生きるという生物多様性の学びを子どもたちに提供できないか。そのためのプラットフォームとして保護と学びを両立させたエコロジー・カフェを設立するに至りました。
仁藤 子どもたちの学びや気づきを育てる方法について、ひいては新しい社会、未来づくりについていろいろな人が議論する。人が集まるところという意味でカフェという名称にしたんですよね。多様性ということで、いろんな分野、いろんな考えもった識者の方たちに発起人になってもらいました。
山崎 2004年の8月2日に発起人33名で発起行為をしました。多様性をテーマにさまざまな分野の識者に集まっていただけたこと、ディスカッションを経てコンセプトの整理と具体的な活動領域を決めたことは、エコカフェの行動規範となっています。
仁藤 週3回くらいの打ち合わせに皆仕事が終わってから参加し、理念を作るだけでも相当時間をかけましたね。皆の熱量が本当に半端なかった。
阿部 私が事務局に入ったのは2005年11月。それまでに携わっていたNPOとエコカフェに共通で関わっていた方に依頼されたのがきっかけです。
仁藤 阿部さんが加わるまで運営がたいへんでした。いらしてからエコカフェがきちんと動くように。全体をコントールしているのが阿部さんです。
―運営が軌道にのるまでには、さまざまな苦労があったのではないでしょうか。
仁藤 当初の課題はリクガメの保護センターの場所探しやオペレーションなど、保護飼育をどう軌道にのせるかでした。埼玉県川口市のビルに場所を借りていたのですが、カメの甲羅を守るために疑似太陽光を当てたり、冬は熱帯育ちのリクガメが風邪をひかないよう暖房を設置したり、設備にも費用がかかりました。
阿部 3階建てのビルの屋上に土を入れて産卵できるようにもしましたね。カラス撃退用のネットも張って。リクガメは警察の押収品なので当初は預かっているという位置づけで、それを所有に切り替えるために環境省の許可が必要でしたが、なかなか決裁されず、2年くらい実質放置状態でした。(笑)エサ代は日々かかるのですが、それは誰かが出してくれるものではありませんでしたから、実質自腹で、結構な苦労をしました。
仁藤 警察も困っていましたね。近隣対策も必要でした。川口の施設は近くに住宅もあり、当時はオウムとかもいたので、鳴き声への苦情があり、理解を得られるよう周りの住民に施設を開放して見てもらったりもしました。
山崎 運営の基盤づくりは、とても大切に考えました。やはり生きものを扱っているので、単にメンバーを増やす、会を大きくするではだめで、活動自体をご理解いただけないといけないですから。初期は発起人33人に加え、20法人を含む40人のメンバーでしたが、そこから地道に会員を増やす活動を行っていったんです。
仁藤 当初は大口の寄付がありましたが、それでは運営が安定しません。広く薄くというと語弊がありますが、なるべくたくさんの人に協力してもらうことが会の持続的な発展のためには必要ですから、小口で継続的に支援していただく仕組みをどう作るか、そこにいちばん苦労しましたね。地道に会員を増やしたこと、理事の方にご尽力いただき、クレディセゾンさんやローソンさんのポイント寄付制度や自動販売機の飲料売り上げからの寄付制度を確立し、運営の基盤が整ったことは大きなターニングポイントになりました。
「知る、守る、伝える」をミッションに、自然と人間の関わりを探究する
―サスティナブルな社会が注目される今、改めてエコカフェの活動方針について教えてください。
阿部 エコカフェの活動の目的は、「知る=学ぶ」「守る」「伝える」の3つです。事業については、絶滅危惧種の保護と繁殖、身近な環境を利活用する方法の開発、子どもの環境教育などを柱にしています。
山崎 基本は「知る」ことです。46億年の地球の歴史の中で生命の起源を理解する、地球を構成している生きもの本質を知る。それは、自然の一員である人間、自分たちを知ることでもあるのですから。
仁藤 設立当初はとくに子どもたちが自然から学べ、気づきを得ることができるプログラムづくりについて何度も議論を重ねました。人類が誕生するはるか以前に地球に生命を落とし、生命をつないできた植物や動物の「生き残り戦略」から学べることは多い。小笠原の父島・母島の森の中の植物群にもそれを見てとることができました。単に森の中を散策したり山登りしたりするだけではなく、そのなかに学びの要素を組み込んだプログラムづくりを模索したことは、多彩なエコツアーやイベントの企画に発展しました。
山崎 人間は、自分たちの利便性を高めるために自然に感謝しながらも開発してきました。そういう自然という客体に対してどう向き合い、どのように残していくのか。資源が枯れつつあると言われる海の生きものたちとどう向き合っていくのか。ですから「知る」に次いで「守る」、エコカフェの会員は自らが守る行動をする。そして「伝える」。会員ひとりひとりがまわりの人たちに伝え、理解者を増やしていくこともミッションです。
仁藤 今、温暖化の問題がいろいろ議論されていますが、エコカフェの中では当初よりそうした専門家の先生たちにも入っていただき、エビデンスをおさえた活動をするという理念をたてましたので、学びと気づきは深いものがあります。それはビジネスの世界でも生かしていけていると思いますよ。今でこそSDGs、ESGは企業の責任と言われていますが、エコカフェの立ち上げの頃はそういう意識は全然浸透していなかったですよね。
山崎 時代がわれわれに追いついてきた感じもあります。先取りが好きなので、新しいことに取り組もうとみんなでよく話しました。手法も新しいもので、NPOの中で発起行為をやっているところはほとんどないですから。しかも組織の運営の仕方がオープンでフラットなプラットフォーム。誰もが偉くなく、年代によって経験が多いか少ないかの違いだけでメンバーに上下関係はありません。
阿部 大学の先生にフェローで入っていただき、専門的なお話を直接聞けるのは大きかったと思います。2005年には京都大学フィールド科学教育研究センターと生物多様性保全のための市民参加型教育研究に関する協定を結びました。京大の演習林では、人口減少などで林業が衰退したことによる森の生態の移り変わり、その中でシカが独自に繁殖するなど、森を舞台にした未だかってない生命の実験についてレクチャーを受けるなど、実地で考えを深める貴重な経験でした。
山崎 実地での学びというと、エコカフェではマングローブの北限である奄美大島に保護センターをおいています。奄美の人たちの暮らしは、海沿いの平野に集中していて、山は人が立ち入らない神々の世界。山に入るときに神様に「これから入らせてください」と断って入る風習があります。これは、古くは内地でも同じだったはずで、○○大権現という山の神があちこちに鎮座することからもわかります。風薫る5月山の神は田の神に変わる。私たちの国では仏教が伝わるずっと前から原始的な自然崇拝の神がいて、離島にはそれが色濃く残っていたりします。
阿部 エコカフェでは、離島体験ツアーも実施していますが、現地の人たちと意見交換する場を設けたり、自然博物館や郷土資料館に足を運んだり、学びを深める体験を大切しながら企画しています。
持続可能社会に不可欠な異文化理解やコミュニティづくりに15年の知見を活かす
―設立から15年がたち、新たな活動目標やテーマが見えてきているのではないでしょうか。
仁藤 エコカフェも自然界と同様にゆるやかに新陳代謝しています。会員の年齢層も中堅が強化され、まさに働き盛りの人たちがもうひとつのコミュニティでチャレンジしよう、というエネルギーが出てきています。それはSDGsに各企業・各セクターが目標を定めて取り組む時代の流れの影響も大きく、15年にわたって知見を蓄積してきたエコカフェへの期待が大きくなっているのだと思います。
山崎 実はSDGsの議論をするときはクロスカルチャーの議論をしないとうまくいかないのですが、グローバルな企業はもともとクロスカルチャーにしっかり取り組んできているのに対し、日本の企業の多くはその部分が非常に弱い。また、国境を越えた取り組みは、従来はODAなどの単発的な援助でしたが、これからフラットで持続的な関係によるものになっていきます。
そのときに大切なのは相手をしっかり理解すること。寒い地域で育まれた文化、暖かいところの文化というように、それぞれの自然環境の中で培われた文化は価値観のベースが異なることを理解しなくてはならない。その視点がないとグローバルに手を携えたいい関係はつくれないですから。
仁藤 異文化の理解は、自然を理解することと共通していますね。また、異文化理解は、まずは自らの地域や文化を理解しようとする視点が育ちます。自分たちの本質は何かをしっかり問うた生き方、地域づくりを考えていくことは、エコカフェのもうひとつの活動目標です。
山崎 他方で、今、国際政治は分断の時代で、多くの先進国は行き着くところまで行ってしまった。新しい技術による利便性を開放すべきなのに、それをディレクションする行政が上手く入れず、GAFAのようにどこにも税金をきちんとおさめなくてもいいようなことが許されてしまっています。グローバルな民主主義・資本主義の盲点です。政治の分断が経済の分断に。そうするとこれからの時代にぼくらが模索しなくてはならないのは江戸時代のような環境に順応した社会生活ではないか。
新しい価値観として小さな枠組みで最適化しながら、枠組み内でまかなえないものは外と取引する。そういう目線で一度地域を見つめ直し、地域が培ってきた価値観を大切にしながら新たな時代づくりをするのもひとつの手ではと感じています。
阿部 多様な自然の本質を「知る」「守る」「伝える」を通じて、エコカフェの目標は最終的には、自然に生かされる持続可能な社会にしよう、というスローガンに集約されるのではないでしょうか。子どもたちには身近な自然、各地で学びができるような地域ごとの仕組みができるといいですね。学校教育だけではなく地域ぐるみで学べるような仕組みづくりを模索していきたい。
仁藤 地域などのコミュニティは、子どもの教育はもちろん、大人、これからリタイアするわれわれ世代にも大きいですね。とくに都会は地縁が薄く、地域コミュニティも少ない。定年退職したときに孤独にならないためにはどうすればいいのか。早くから共感するもうひとつのコミュニティに属することは精神的な安定につながります。
自然から学ぶことで人類は発展してきたので、その基本軸や本質を大事にしているエコカフェに入り、忙しさとエコカフェの気楽さのようなもの、二足のわらじをはくような生き方はとても大事なのではと思います。SDGsの潮流だけではなく、企業人は、人として生物多様性を考えないといけない。教育についても次世代づくりとして企業が考えないといけない分野です。そういう意味でも程よいプラットフォームになっているエコカフェに参加する方が増えていってほしいですね。阿部さんがいい企画をたくさん用意しています。
阿部 多彩な分野から錚々たるメンバーが集まり、毎年新しい人も加わるエコカフェですから、これからは会の中だけでなく対外的に働きかけるきっかけづくりをしたいです。世の中を動かすようなことを。今はまだ具体的なことは決まっていませんが、公益法人を目指していますので、それに向けて動いていきたい。先達の財産を受け継ぎながらひとつでも新しいものをつくり出したいですね。
山崎 若い人たちに自分が経験した役立つものをバトンタッチしてリレーしていけるコミュニティがあるといいよね、というのもエコカフェをはじめたきっかけのひとつでした。従軸のダイバーシティという意味でも理想的な組織、プラットフォームになっていると思います。
仁藤 エコカフェは「会員になったらこれをやりましょう」ではなく、会員の人たちに「どうぞ提案してください」というたてつけです。活動によく参加している人・意欲的な人が旗をふって活動を深めていく。これまでもメルマガを送っていますが、今回新たに会報をつくることで、発信の幅が広がると思います。海外にもエコカフェに賛同してくれている人が増えてきていますし、これからの展開に期待してください。
<プロフィール>
理事長 仁藤雅夫
株式会社スカパーJSATホールディングス 取締役 CFO
スカパーJSAT株式会社取締役CFO執行役員副社長 経営管理部門長
アドバイザー 山崎俊巳
宇部市政策アドバイザー
美波町参与
元総務省大臣官房総括審議官
元内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局次長(内閣審議官)
事務局長 阿部清美
一般社団法人エコロジー・カフェ事務局長
株式会社ビーエスFOX番組審議委員
一般社団法人エコロジー・カフェ
東京都千代田区神田駿河台2-1-34プラザお茶の水ビル304
TEL03-5280-2377
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