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岸本周平・和歌山県知事死去 ノーパンしゃぶしゃぶ事件からの再起を語った名文に、いま再び光

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和歌山県知事 岸本さん
和歌山県HPより

「再び挑戦させていただくこと、どうか受け入れてはいただけないでしょうか」

和歌山県の岸本周平知事が4月16日、亡くなった。68歳だった。県関係者によれば、持病の悪化が死因とみられる。2022年の知事就任以降、誠実で現場主義を貫いたその姿勢は、多くの県民から信頼を集めていた。

岸本氏は官僚時代に「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」に関与し、世間から激しい批判を浴びた過去を持つ。しかしその後、決して過去を隠すことなく向き合い、社会に真摯に謝罪。再起への思いを綴った一篇のブログは、多くの人々にとって、やり直しの尊さと希望を感じさせる文章として記憶されている。

 

ブログに綴られた「20年前の過ち」と、人生を変えた懺悔

岸本氏が自らの過去を詳細に語った「ノーパンしゃぶしゃぶ事件について」と題するブログは、政治家としての覚悟と人間としての弱さを真正面から語った稀有な記録である。
事件について岸本氏は、「まだ30代の頃、先輩に誘われて2度、そうした店に行った」と事実を率直に認めたうえで、「問題は、これが接待であったこと」と本質的な責任を認めている。

バブル期という時代背景を言い訳にはせず、「人生が変わるほどの制裁を受けた」「友人や同僚が離れていった」と語るその筆致は、自身の弱さと向き合い続けた誠実な人物像を物語る。
なかでも、「人生は一度きりです」と書き出し、再挑戦への動機と志を語った後半は、多くの読者の心に残る部分だ。

「ここで言えることは、今の自分は、20年前の自分とは違う、ということです」

そう記した上で、彼はこう続ける。

「私には、日本、そして和歌山を良くする為に、他の政治家がやっていないことで、今、やらなくてはならない問題が山積されているのが見えるのです。私がやらなければこのままずるずると悪化してしまう問題が多くあるのです。それを、変えさせて下さい」

岸本氏がいかに深く悔悟し、そしてその上で政治という道に挑んだかが、ブログの一文一文から痛いほど伝わってくる。読者のなかには「この文章は時折、今でも読み返している」という声もあり、やり直しに不寛容な社会のなかで生きる私たちにとって、かけがえのない示唆を与えている。

 

官庁・財界・学界の経験を経て、政治の最前線へ

東京大学法学部を卒業後、大蔵省(現・財務省)に入省した岸本氏は、米プリンストン大学客員講師、経済産業省課長、トヨタ自動車政策スタッフなど、政官財の交差点で政策の最前線を担ってきた。奥田碩・元経団連会長のブレーンとしても知られる。

2009年には衆議院議員に初当選。財務副大臣を務めた後、選挙区での地道な活動を続け、保守地盤の和歌山で非自民系ながら複数回の当選を果たした。その姿は、竹中平蔵氏の政策ブレーンとしての手腕を持ちながら、民主党から出馬するという異色の経歴とともに、特異な信頼感を築いていった。

知事としての実務と信念 現場に足を運ぶ政治家

和歌山県知事としては、地元経済の振興や教育行政の改善、人口減少対策など、喫緊の課題に誠実に取り組んだ。特に現場主義を徹底し、どんな声にも耳を傾ける柔和な姿勢は、県内外で高く評価されていた。

「県庁に行くと明るく挨拶してくれる雰囲気になった」「周平さんは現場で汗をかく知事だった」との声が職員や市民から相次いでいる。

 

再起と挑戦の象徴、惜しまれる死

再起という言葉が似合う政治家はそう多くない。岸本氏はその数少ない一人だった。過ちを犯した人間に対し、過剰に厳しい処罰を求める傾向が根強い日本社会において、自らの過去と向き合い続けながら、信念を持って行動を続けた彼の人生は、どれほど多くの人に勇気を与えたことだろうか。

SNSには、「岸本さんのブログを読むたびに、自分もまた立ち上がろうと思えた」「信じられる政治家だった」「再起に寛容な社会であってほしいと改めて思った」といった声があふれている。

 

「信じられる政治」を掲げて

岸本氏は、こう綴っていた。

「信じられない政治に終止符を打つ。そして、信じられる政治を創るために」

その思いは、今もブログの一行一行に息づいている。そして、その信念は、彼の死を悼む多くの人々の胸に、確かに受け継がれていくはずだ。

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寒天 かんたろう

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ライター歴25年。月刊誌記者を経て独立。伝統的な日本型企業の経営や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

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