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学校プールはなぜ消えるのか 水泳授業廃止と民間委託で広がる地域格差

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プール
PhotoACより

学校の水泳授業が、大きな転換点を迎えている。老朽化したプール、猛暑、教員負担、財政難。そこにコロナ禍による授業中止が重なり、廃止や民間委託の流れは一気に現実味を帯びた。問われているのは、プールを残すかどうかだけではない。子どもが水の危険を学ぶ機会を、どう守るかだ。

 

 

コロナ禍で止まった水泳授業は…

夏の学校には、かつてプールのにおいがあった。

プールバッグをぶら下げて登校し、空を見上げながら「今日は入れるかな」とそわそわする。プールカードに保護者の判をもらい忘れて、授業を受けられずに肩を落とす。塩素のにおい、濡れた髪、肌に残る日差し。そうした風景は、長く日本の学校に当たり前のようにあった。

だが、その当たり前はいま静かに変わり始めている。

各地で水泳授業の見直しが進む背景には、まず学校プールの老朽化がある。多くのプールは1960年代から80年代に整備され、更新の時期を迎えている。改修には1億円、2億円単位の費用がかかる例もあり、維持管理にも毎年まとまった支出が必要になる。

負担はお金だけではない。水質管理、清掃、設備点検、授業中の安全確認。こうした仕事の多くを学校現場が担ってきた。授業の準備だけでなく、事故を防ぐための緊張も教員の肩にのしかかる。

そこに猛暑が加わった。屋外プールは、いまや涼を感じる場所とは限らない。プールサイドの照り返しは強く、子どもを見守る教員も炎天下に立ち続ける。気温、水温、暑さ指数を確認し、危険と判断されれば授業は中止になる。水の中にいるから安全、とは言い切れなくなっている。

さらに、この流れを加速させたのがコロナ禍だった。

感染拡大防止のため、多くの学校で水泳授業が中止・縮小された。子どもたちが水に触れる機会は減り、泳力低下を指摘する声も出た。

老朽化した施設の改修費、維持管理費、教員の負担。コロナ禍は、それまで先送りされてきた課題を表面化させた。授業再開のタイミングで、本当に学校ごとにプールを持ち続ける必要があるのかという議論が動き出したのは、自然な流れでもあった。

 

民間委託は「丸投げ」ではない

水泳授業を民間スイミングスクールに委託する動きには、学校教育を外に出していいのかという不安もある。だが、それだけで否定するのは早い。

屋内温水プールなら、雨や猛暑に左右されにくい。水温も安定し、専門のインストラクターによる指導も受けやすい。泳ぎが苦手な子どもにとって、学校の大きなプールで一斉に泳がされるより、習熟度に応じて教えてもらえる環境の方が安心できる場合もある。

教員にとっても、水質管理や設備点検の負担から離れられる意味は小さくない。授業前後の管理業務に追われるより、子どもの体調や安全確認に集中できるなら、教育の質が下がるとは限らない。

ただし、ここには地域差がある。民間委託を選べる自治体と、選びたくても選べない自治体だ。

都市部なら、近くにスイミングスクールがある。公営プールもある。移動用のバスも組みやすい。では、民間プールがない地域はどうするのか。公営施設も古く、学校同士も離れ、移動だけで授業時間が削られる地域では、委託という選択肢そのものが取りにくい。

水泳授業の廃止は、単に学校からプールが消える話ではない。住む場所によって、子どもが水に触れる機会に差が出る可能性があるという話である。

 

水泳は「体育」だけでは終わらない

水泳授業を語るとき、つい泳力の話になる。25メートルを泳げるか。クロールができるか。フォームがきれいか。もちろん、それも授業の一部だ。

しかし、水泳授業の根っこにあるのは、競技力ではない。水の中で自分の身を守る力を育てることだ。足のつかない水に落ちたとき、人は想像以上に慌てる。服は水を吸って重くなる。靴は足を引っ張る。息は浅くなり、頭では落ち着けと思っても、体は思うように動かない。顔に水がかかっただけで呼吸が乱れる子もいる。水の怖さは、知識だけでは体に入りにくい。

だからこそ、実際に水に入る経験には意味がある。水に浮く感覚。力を抜けば沈みにくいという実感。慌てずに仰向けになる練習。着衣水泳で、濡れた服がどれほど動きを妨げるかを知ること。これらは黒板や動画だけでは届きにくい。

もちろん、施設がなければ座学で補うしかない場面もある。川や海の危険、AEDの使い方、救助を待つ行動を学ぶことは必要だ。だが、それで実技の穴がすべて埋まるわけではない。

AEDの使い方や水難事故の事例は座学で学べる。しかし、水に落ちたときに体が思うように動かなくなる感覚は、実際に水の中に入らなければ理解しにくい。

 

プールシェアという現実解

今後の現実解として浮かぶのが、プールシェアだ。

学校ごとに屋外プールを維持するのではなく、地域に拠点となる屋内プールを整備し、複数の学校で使う。授業時間以外は住民にも開放し、子どもから高齢者まで利用できる施設にする。学校だけで抱え込んできたものを、地域全体で使う形に変える発想である。

これは理にかなっている。年に数か月しか使わない屋外プールを各校に残すより、通年で使える屋内プールを地域で共有した方が効率はいい。水泳授業だけでなく、地域スポーツ、健康づくり、子どもの居場所にもつながる。

ただ、ここにも自治体の体力差が出る。財政に余裕がある地域なら、拠点プールを整備できる。人口密度が高ければ、複数校での共同利用もしやすい。だが、学校が点在する地域では移動そのものが負担になる。バスの手配、人員配置、時間割調整。仕組みとしては有効でも、実務の段階で難しさが出る。

プールシェアは有力な答えだ。だが、どの地域にも同じように置ける答えではない。

 

プールをなくした後に何を残すのか

学校プールの廃止をすべて悪と決めつける必要はない。老朽化した施設を無理に使い続ける方が危険な場合もある。教員の負担を放置したまま、命を守る教育だから続けるべきだと叫ぶだけでは、現場をさらに追い詰める。

それでも、ここで考えるべきことがある。なくすのが老朽化したプールなら、その後に子どもが水を学ぶ機会をどう残すのか。そこまで含めて議論しなければ、単なる施設整理で終わってしまう。

民間委託でもいい。公共施設の活用でもいい。複数校での共同利用でもいい。方法は一つでなくていい。ただ、自治体の財政力や住む場所によって、泳ぐ経験を得られる子どもと、ほとんど得られない子どもが分かれるなら、それは教育環境の差として残る。

コロナ禍で水泳授業が止まったとき、多くの学校は何とか日常を回した。だが、その間に失われた水の経験は、簡単には取り戻せない。泳げないことは、すぐには問題に見えにくい。テストの点数のように、毎日数字で突きつけられるわけでもない。けれど、川や海で足を取られたとき、水に慣れているかどうかは大きな差になる。

夏になると、水難事故のニュースが流れる。大人たちは胸を痛め、なぜ防げなかったのかと考える。だからこそ、水の危険を体で知る機会をどう残すのかという議論は避けて通れない。

学校プールが消えること自体は、時代の流れなのかもしれない。老朽化した施設をすべて維持することが正解とも限らない。問題は、その後に何を残すかだ。水泳授業を続けるかやめるかではなく、子どもたちが水の危険を学び、自分の身を守る力をどう育てるのか。そこを曖昧にしたままでは、プールの廃止だけが先に進んでしまう。

 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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