
冷蔵ケースの前に立つと、無数のペットボトルの中で、ふと視線が止まる一本がある。透明なボトルに揺れる琥珀色。見た目はいつもの麦茶と変わらないのに、その周囲だけ空気が少しざわついている。2026年4月21日、HIKAKINがプロデュースした「ONICHA」は、発売前の炎上を経て、ついに店頭に並んだ。そして今、問われているのはただ一つ、「結局、おいしいのか」というシンプルな疑問だ。
「炎上の先」にあった本当のスタート
発売前、この商品はすでに一度ピークを迎えていた。HIKAKINの「地味でワクワクしない」「退屈な飲み物」という発言が波紋を広げ、麦茶という日常に深く根ざした存在への言及として、多くの反発を招いたからだ。
だが、その騒動は発売と同時に役割を終える。本来、飲料にとって重要なのは、話題ではなく“飲まれたあとの評価”だからである。炎上で集まった視線は、そのまま商品に注がれることになる。つまり「ONICHA」は、注目された状態で一斉に“試される”という、特殊なスタートラインに立っていた。
飲んだ人たちが口にした「普通」という言葉
発売直後、SNSには一気に感想があふれた。「飲みやすい」「口当たりがやわらかい」といった肯定的な声は確かにある。だが、それ以上に広がったのが「普通の麦茶」という言葉だった。
想像していた味と大きくは違わない。驚きはないが、違和感もない。その感覚を、多くの人が同じ言葉で表現した。「普通」。この一言が、評価の中心に座った。
一見すると肩透かしにも見えるこの反応は、しかし麦茶という飲み物の本質を突いている。そもそも麦茶は、強い個性やインパクトを求められるジャンルではない。むしろ、食事に寄り添い、誰でも飲めて、飽きないことが価値になる。極端に言えば、「普通であること」が最適解に近い飲料でもある。
だからこそ、この評価は単なる否定ではない。日常に入り込む条件は満たしている、という意味でもある。
「おいしいかどうか」だけでは測れない評価軸
では、「ONICHA」は成功なのか。それとも期待外れだったのか。その答えは、単純な味の良し悪しでは決まらない。
飲料は、最終的に“習慣になるかどうか”で評価が定まる。一度飲んで終わるのか、それとも次も手に取るのか。ここにこそ、本当の分岐点がある。
「ONICHA」は、ラベルをはがすと“鬼みくじ”が現れるなど、体験的な仕掛けを持っている。これは初動の購買には強く作用する。しかし、二回目以降の選択には、別の理由が必要になる。価格、飲みやすさ、安心感、そして「これを選ぶ意味」。そのどれかが、日常の中で繰り返し手を伸ばす理由にならなければならない。
今回の「普通の麦茶」という評価は、その入口に立ったことを示しているに過ぎない。
なぜ「普通」がここまで話題になったのか
興味深いのは、この“普通”という言葉そのものがトレンド化した点だ。多くの人が同じ感想を抱き、それを共有した。
これは裏を返せば、「期待値が大きく揺れていた」ということでもある。炎上によって注目度が高まり、「何か違うものが出てくるのではないか」という予感が膨らんでいた。その期待に対して、実際に手にしたものは“日常の延長線上にある味”だった。
ギャップは、失望ではなく、言語化として現れた。それが「普通の麦茶」という言葉だった。
この先、「選ばれ続ける理由」は生まれるか
今後の焦点は明確だ。「ONICHA」が“普通”を超える理由を持てるかどうかである。
例えば、子どもがジュースではなく選びたくなる飲み物というコンセプトを、どこまで具体化できるか。あるいは原材料や製法、ストーリーといった要素をどう積み重ねていくのか。商品そのものだけでなく、語られる内容が重要になる。
HIKAKINの強みは、発信を継続できる点にある。一度の発売で完結するのではなく、その後も意味づけを更新し続けることができる。そこに、この商品の伸びしろがある。
逆に言えば、そこが止まった瞬間、「普通の麦茶」という評価はそのまま定着する。
“普通の麦茶”は失敗なのか、それとも成功の入口か
「ONICHA」をめぐる一連の流れは、炎上から評価へと移り、ようやく本当のスタート地点にたどり着いた。発売前に注目を集め、発売後に飲まれ、そして今、「普通」と評されている。
この“普通”は終わりではない。むしろ、ここからどう意味を上書きしていくかが問われている。
冷蔵庫を開けたとき、次に手が伸びるのはどの一本か。その選択の中に入り込めるかどうか。「ONICHA」が試されるのは、話題が落ち着いたその先の日常である。



