
戦後80年という大きな節目が、もうすぐそこに迫っている。あの戦争を直接知る世代が少なくなる一方で、私たちはその記憶を、どのように受け継ぎ、語り継いでいくのか。
NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、戦争という巨大な悲劇を、国家の歴史としてではなく、青春期の若者たちが抱えた「心の爪痕」として描いている。
本稿では、主人公・のぶと嵩(たかし)の変化を軸に、ドラマが浮かび上がらせた「正義の崩壊」や「沈黙の意味」から、戦争が残したもの、そして私たちが向き合うべき問いを紐解く。
青春期に刻まれた「戦争の傷」──朝ドラ『あんぱん』が伝えるもの
『あんぱん』は、やなせたかしの人生をモチーフとしながら、戦争の中で揺れ動く若者たちの心の軌跡を丁寧に描いている。ドラマが扱うのは、戦火のなかで生きた“兵士の経験”や“戦地の悲惨さ”だけではない。そこに重ねられるのは、「国家の正義」と「個人の良心」のあいだで揺れ動く感情の複雑さである。
嵩は、戦地で「加害者」にも「被害者」にもなる。一方のぶは、戦時下の教育者として、正しいと思い込んだ言葉が人を傷つけていたかもしれないという事実に向き合わされる。戦争が終わった後も、彼らの心のなかでは決して“終わらなかった戦争”が続いているのだ。
「正しさ」の崩壊。教師・のぶが直面した愛国心の揺らぎ
のぶは、戦前の日本で女学校の教師として生徒たちを導いていた。教育勅語の理念に基づき、「国のために生きること」を美徳として教え、規律や忠誠を何よりも尊んできた。彼女自身、その「正しさ」に疑いを持つことはなかった。
しかし、戦局の悪化とともに、生徒たちの家族が戦地に送られる。彼女の言葉は、生徒を守る盾ではなく、戦地へ送り出す“追い風”となっていたのではないかという自責の念が募っていく。
戦後、国家の価値観が大きく転換されるなかで、のぶは自らが振りかざしてきた“正しさ”が、いかに脆く、独善的であったかに気づく。「正しさは、人を救うためにあるべきものではなかったのか」。その問いが、彼女の心に深く突き刺さる。
戦地体験とトラウマの描写。兵士・嵩の沈黙が語るもの
嵩は、画家を志す穏やかな青年として描かれる。だが、彼は徴兵により戦地に送られ、中国での厳しい現実に直面する。物資が尽き、飢えに苦しむ中で、現地の老婆から卵を奪い取る場面は、戦争が人間の尊厳をいかに崩壊させるかを象徴する描写となっていた。
「空腹は人を変える」という老婆の言葉。それは、嵩にとって、自らが“人間でなくなる瞬間”の告知だった。仲間の死、加害行為、極限の飢餓。嵩は、「生き延びる」という本能の前に、かつての価値観を手放さざるを得なかった。
“正義”が揺らぐとき。再会したふたりが示す、痛みと模索の現在地
戦後、のぶと嵩は再会する。しかし、それは劇的なものではなく、沈黙とぎこちなさのなかで始まる小さな交錯だった。
のぶは新聞記者となり、自身がかつて使っていた“強い言葉”への反省から、「誰かに寄り添う言葉」を探し続けている。教壇に立っていた頃とは異なる視点で、社会を、そして人を見つめている。
一方の嵩は、戦地での記憶に囚われ、まだ絵を描くことすらできずにいる。語ることも描くこともできない彼の沈黙は、深い苦しみと葛藤の表れである。
『あんぱん』はこの再会を、癒やしの物語として描かない。むしろ、それぞれが壊れた時間を引きずりながら、「いまを生きようとする」静かな姿として提示している。
NHK『あんぱん』が描く戦争。やなせたかしの体験と重なる視点
『あんぱん』の背景には、原作者のやなせたかしが戦地で体験した実話がある。彼は戦後、「飢えた人を助けるヒーローを描きたい」と語り、やがてアンパンマンという存在に辿り着いた。
やなせの「正しさ」もまた、戦争によって壊された。そしてそこから生まれたのが、“空腹を満たす”という最も素朴で普遍的な善意だった。
『あんぱん』は、戦争を過去の歴史として描くのではなく、そこに生きた“ひとりの人間の葛藤と再生”として描くことで、視聴者に問いを投げかける。「正しいって、なんだろう?」「沈黙の奥には、なにがあるのだろう?」
終戦から80年、いま“戦争の爪痕”にどう向き合うか
戦争を知らない世代が増えるなかで、戦争を描く意味はどこにあるのか。『あんぱん』はその答えを、「心の変化を見つめること」に置いた。
戦争は、ただ爆弾が落ちる出来事ではない。それは、誰かの信念を砕き、誰かの言葉を奪い、誰かの夢を変えてしまう。だからこそ、語り継がなければならないのは“個人の物語”だ。
のぶと嵩が示したように、戦争の記憶とは、静かで、苦しくて、けれどもどこかに再生の希望を含んでいる。
その記憶に耳を澄ますことこそが、平和を願う第一歩になるのではないだろうか。