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江戸の庶民はサステナブルだった|江戸から学ぶ日本らしいSDGsとは

コラム&ニュース コラム
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皆さんは江戸時代がサステナブル社会だったことをご存知でしょうか?
パーソナル栄養士の石川威弘です。

私は長期の海外旅行をする機会があり、様々な国を訪れる中で日本の歴史に興味を持ち、歴史番組から書籍、落語や講談に触れるようになりました。

その中で江戸時代の庶民の生活に興味を持ち色々と調べてみると、当時の工夫や社会の仕組みに驚かされました。様々なものがリサイクルされ、壊れたものを修理する習慣が当たり前にあり、むやみやたらにゴミを出さなかったそうです。

つまり、リデュース(ゴミ削減)、リユース(再利用)、リサイクル(再資源化)の3Rが当時から実践されていたようです。まさに今私たちが目指そうとしている循環型社会が当時は実現できていたのです。

今回はそんな江戸時代の暮らしを知ることで、現代に生きる私たちにどんなことができるのかを考え、日本型のSDGsを作るヒントを探っていきたいと思います。

江戸の庶民はミニマリストの集まりだった

まずは江戸時代の庶民の暮らしを見てみましょう。

18世紀頃には江戸の人口は100万人を超え、当時としては世界1、2を争う大都市となっていました。そんな大都市に住む庶民の多くは長屋に住んでいました。

長屋にも広さが様々ありますが、四畳半に家族みんなで住むことが一般的だったようです。

家族全員の生活用品を四畳半という狭い部屋に納めるわけですから、生活用品は最低限のものだけ揃えていました。

現代のような洗濯機、冷蔵庫、テレビなど家電製品は当然一つもありませんから、場所を取るもので言えば布団や食器や服くらいのものだったのでしょう。

まさに江戸の庶民はミニマリストの実践者ばかりだったということです。

物に溢れた現代だからこそ物を持ちすぎないように生活するミニマリストの考え方は江戸時代に遡れば当たり前の生活だったようです。

服はシーズンごとに縫い直し、古着を着るのが当たり前

物を大切にするという考え方は江戸のファッション事情からも伺えます。

先ほど述べたように四畳半に家族全員で暮らすわけですから、場所を取る服は最小限に抑えなければなりません。現代のように夏物、冬物と言ったオールシーズンの服を持つわけにはいきませんでした。

当時の庶民は基本的に3~4着だけ服を持ち、シーズンごとに着物を縫い直して着まわしていました。

暖かい春は生地を二枚縫い合わせた裏地のある袷(あわせ)を着て、夏になると裏地を取った単衣(ひとえ)に縫い直します。

夏から秋に変わる頃に再び裏地をつけて袷を縫い直し、冬の寒さが厳しくなる頃には袷に綿入れをして暖かい着物に縫い直したそうです。

現代の感覚からするとあり得ない話ですが、オールシーズンで3~4着という究極のミニマリスト生活だったようです。また、江戸の庶民は新品の着物を買うことはほとんどありませんでした。

基本、古着を買い求め、擦り切れたり破れたりしたら、他の布を継ぎ当てて着ていたそうです。裾や袖が擦り切れて着れなくなれば、子供用の服に縫い直したり、おしめや雑巾にして使っていました。

今は安い服を1シーズンだけ来て、その後すぐに廃棄してしまうということも当たり前の話ですが、その消費行動が環境に及ぼしている影響を考える必要があるかもしれませんね。

傘や下駄や提灯などの生活用品は直して使う

全てのものが手作りだった江戸時代、新品は非常に高価で購入するということは滅多にありませんでした。生活用品は直してずっと使い続けるのが当たり前だったそうです。

物が壊れて修理に出す際にどこに持っていけばよいかわからないという経験をしたことがある方は多いのではないでしょうか。

しかし江戸では違います。街中に様々な修理業者が歩き回っており、歩いている修理業者に声をかければ軒先で直してくれました。

代表的な修理業者として、破損した鍋釜の修理をして歩く鋳掛屋(いかけや)、割れたせとものを直す焼つぎ屋、提灯張り替え屋、下駄の歯入れ屋などがいたそうです。

街中には常に修理業者が歩き回っているため、壊れた物を直すのも時間がかからず、生活にしっかりと根付いていたようです。

お皿や茶碗が欠けた際に金継ぎをして使い続けるという文化が今も日本には残っていますが、江戸時代の直して使うという文化がいまだに残っている一つの例でしょう。

壊れたらすぐに捨ててしまう現代よりもよっぽどサステナブルで環境にも優しい時代だったのではないでしょうか。

新しい物を次から次へと買い求めるのが当然になっている現代ですが、一度立ち止まって昔の文化を見直す時期がきているのかもしれませんね。

武士のうんちは高く買い取る、糞尿までもリサイクルする江戸のサステナブル社会

物は直して使い続けると言うのが当たり前の江戸時代。それと共にリサイクルをして、極力再利用するという文化も発展していました。

各家庭の廃品や不用品を回収する屑屋(くずや)という業者は落語にも登場するほど一般的でした。またいらなくなった紙を買い取る紙くず買いという仕事もあったそうです。

当時紙は貴重だったため、紙くず買いが買い集めた紙は紙屑問屋に持ち込まれ、再生紙業者に渡って、再生紙へと生まれ変わります。

使わなくなった紙すらも買い取ってもらえるのは、今の感覚からすると嬉しいですよね。

他にも燃やしたあとに残る灰を買い取る灰買い、溶けたろうそくのロウを買い取り、ろうそくを作り直すろうそくの流れ買い、古い茶碗を買い集め漆を塗り直して売る古椀買いなど、多くのリサイクル業者がいました。

そんなリサイクル業者の中には人々の糞尿を買い取る下肥買いという業者もいました。人の糞尿は肥料として使えるため、買い取った糞尿は農家に持っていき農家で買い取ってもらっていたそうです。

この糞尿にもランクがあったそうで、大名屋敷で集めた糞尿は価値が高かったと言われています。それぞれの身分による食べ物の違いから、肥料としての効き具合も違っていたのかも知れません。

こうしてゴミとして捨てられるはずの物を再資源として活用する仕組みも江戸には整っていました。

ふんどしまでレンタル!リサイクルだけでなくレンタル・シェアの文化も現代以上だった

ここまで江戸の3Rの取り組みをご紹介してきましたが、江戸ではレンタルやシェアの文化も根付いていたようです。

最近では、シェアハウス、シェアカー、レンタサイクルなど所有するのではなくレンタルやシェアをすることが一般的になってきています。

現代のシェアハウスでは水回りやトイレなどを共同で使っているところも多いため、抵抗がない人も増えていますが、江戸時代の長屋はどこもトイレは共同のものを使っていました。

また、生活施設以外に生活用品はほとんどがレンタルかシェアをしていたそうです。江戸には損料屋という業者がたくさんいました。

今で言うところのレンタルショップで、布団や手ぬぐい、鍋蓋、冠婚葬祭のときに使うさまざまな用品を損料屋から借りていたそうです。

生活用品からたまにしか使わないものまで多くのものをレンタルやシェアで賄っていました。その中でも一風変わった商品がふんどしです。

ふんどしは当時高級品だったそうで、下級武士にはなかなか購入できる代物ではありませんでした。そのため損料屋から借りる武士が多かったそうです。

日本にシェアハウスやシェアカーが定着したのも昔からなんでもレンタルやシェアをするのが一般的だったからなのかもしれません。

古きを尋ねて新しきを知る

今回は江戸のサステナブル社会を紹介してきました。当時の江戸は世界筆頭の大都市でありながら、世界一サスティナブル社会を実現できていた都市だったのでしょう。

その証拠に江戸の町は大都市でありながらゴミが一つも落ちていない綺麗な街だったと当時江戸を訪れた外国人は記録を残しています。

その背景には、モノを大切に使い回し、最後まで使い尽くす「もったいない」の精神があったのかもしれません。

その後、江戸は明治以降東京に生まれ変わり、文明開花や高度経済成長を経て、大量生産大量消費の街へと移行しました。

温故知新という言葉がありますが、今こそ古きをたずねて、そこから新しい知識・見解を導くことが大切なのではないでしょうか。

SDGsの機運が高まる中、日本型のSDGsは江戸にヒントがあるのかもしれません。

まずは私たち一人一人が「もったいない」の精神を思い出し、物を大切に使うことから始めていくのがよいかもしれませんね。

◎プロフィール
石川威弘(いしかわ たけひろ)
パーソナル栄養士/エキスパートファスティングマイスター
著書 気まぐれ断食 (SBクリエティブ)
インスタグラムフォロワー 1.7万人
東京農業大学を卒業後、タニタ食堂五反田店にて勤務。
世界の食事情を見るために世界一周の旅へ出発するため、タニタ食堂五反田店を退店。
世界一周帰国後、フリーランスとして活動を開始。
成城石井やDeNAトラベルなど企業タイアップのセミナー講師や書籍の出版、TBSの番組へ出演などマルチに活躍。
現在は一人一人の生活にあった食事の提案とファスティングを活用したダイエット指導を主な仕事として活動中。

HP
https://iyasaka-table.com/
https://www.instagram.com/fasting.m_takehiro.i/

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ライター:

パーソナル栄養士/エキスパートファスティングマイスター 著書 気まぐれ断食 (SBクリエティブ) インスタグラムフォロワー 1.7万人 東京農業大学を卒業後、タニタ食堂五反田店にて勤務。世界の食事情を見るために世界一周の旅へ出発するため、タニタ食堂五反田店を退店。世界一周帰国後、フリーランスとして活動を開始。成城石井やDeNAトラベルなど企業タイアップのセミナー講師や書籍の出版、TBSの番組へ出演などマルチに活躍。現在は一人一人の生活にあった食事の提案とファスティングを活用したダイエット指導を主な仕事として活動中。

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