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「歩くだけで画面が持つ」是枝裕和監督が絶賛 千鳥・大悟に重なった“北野武の背中”

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箱の中の羊
映画『箱の中の羊』公式インスタグラムより

第79回カンヌ国際映画祭で公式上映された映画『箱の中の羊』が注目を集めている。上映後には約10分間のスタンディングオベーションが続き、主演を務めた大悟にも大きな拍手が送られた。

作品を手掛けた是枝裕和監督は、大悟について「歩いたり走ったりするだけで画面が持つ」と評価。「たけしさんを感じた」とも語っている。

芸人として活動してきた大悟が、なぜ是枝作品の主演に起用されたのか。作品内容や監督の発言、カンヌでの反応から、その理由が少しずつ見えてきた。

 

 

「綾瀬はるかの夫役が大悟?」 最初の違和感が、やがてリアルに変わった

映画『箱の中の羊』は、亡くした息子と同じ姿をしたヒューマノイドを迎え入れた夫婦の再生を描く作品だ。近未来が舞台ではあるものの、物語の中心にあるのはテクノロジーではない。喪失を抱えた人間が、どうやってもう一度“誰かと生きる時間”を取り戻していくのか。その不器用な感情の揺れが、静かに積み重ねられていく。

綾瀬が演じるのは、ヒューマノイドを受け入れようとする妻・音々。一方、大悟が演じる夫・健介は、亡き息子の姿をした存在を前に、戸惑いを隠せない男だ。

発表当初、多くの人が驚いた。

「綾瀬はるかの夫役が大悟なのか」

それは決して悪い意味だけではない。ただ、これまでの日本映画で繰り返されてきた“理想的な夫婦像”とは少し違って見えたのだろう。

しかし、その“違和感”こそが、是枝監督の狙いだった。

完成披露試写会で、大悟は「監督に“本当に自分でいいんですか”と聞いた」と振り返っている。それに対し、是枝監督は当初「違和感はない」と答えていたが、後に「あの違和感がよかった」と笑いながら明かしていた。

現実の夫婦は、映画のように均整の取れた組み合わせばかりではない。疲れた顔で仕事から帰ってきて、言葉足らずのまま食卓を囲み、感情をうまく整理できないまま日々を過ごしている。『箱の中の羊』が描こうとしているのは、そうした“生活の手触り”なのだ。

その空気を成立させるためには、整いすぎた俳優ではなく、“暮らしの匂い”をまとった人間が必要だったのかもしれない。

 

是枝監督が見ていたのは「芸人・大悟」ではなかった

興味深いのは、是枝監督が大悟を起用するきっかけになったのが、漫才やコントではなかったことだ。

監督が見ていたのは、テレビ東京系の番組『ヤギと大悟』だった。

ヤギと一緒に田舎道を歩き、畑を眺め、地元の人々と言葉を交わす。派手な演出があるわけではない。むしろ、何も起きない時間がゆっくり流れていく番組だ。

だが、その“何も起きない時間”を、大悟は成立させていた。

高齢の女性に話しかける時も、子どもと向き合う時も、大悟はどこか相手の呼吸に合わせている。笑わせようと急ぐのではなく、まず相手の話を受け止める。その自然な距離感に、人柄がにじんでいた。

ネット上でも、「目の前の相手をちゃんと見て話している」「包容力がある」といった声が多く見られた。

これは、映画において極めて重要な才能でもある。

是枝作品には、感情を大声で説明する人物が少ない。沈黙や視線、歩き方、食事中のわずかな間によって、登場人物の感情を映し出していく。

だからこそ、大悟の“余白”が生きた。

演技をしているというより、その人物として“そこにいる”。海外ジャーナリストからも「父親役を自然に演じていた」という評価が上がったのは、その空気感ゆえだろう。

 

「今こんな顔の役者はいない」 大悟が持つ“昭和”の空気

是枝監督は大悟について、「今こんな顔をした役者はいない」と語っている。

もちろん、美形ではないという意味ではない。

むしろ、大悟には“説明しきれない人間臭さ”がある。

強面に見えるのに、笑うと子どものような無邪気さが残る。雑に見えるのに、人との距離の取り方にはどこか温かさがある。

ネット上では、「昭和のガキ大将みたい」「今どき珍しい空気感」という声も上がっていた。

確かに大悟には、どこか古い日本の匂いが漂う。

空き地で遊び、近所の大人に叱られながら育った時代の気配。決して器用ではないが、人との関係の中で自然と育ってきたような空気だ。

今の芸能界では、洗練された振る舞いや“正しさ”が求められる場面が増えた。SNSでは少しの言葉が切り取られ、芸能人たちは常に炎上と隣り合わせにいる。

その中で、大悟はどこか“不完全”だ。

けれど、その不完全さが、人間らしさとして観客に伝わる。

是枝監督が、大悟の背中にビートたけしを重ねた理由も、そこにあるのだろう。

技術ではなく、“人生の気配”が画面からにじみ出る存在。

歩くだけで空気を変えられる人間は、そう多くはいない。

 

カンヌで見せた“スターではない魅力”

今回のカンヌでは、大悟の意外な一面にも注目が集まった。

上映後、観客の拍手に照れくさそうに笑う姿。綾瀬をエスコートしようとして、少しぎこちなく手を差し伸べる姿。SNSには「かわいすぎる」「少年みたい」という声が相次いだ。

実際、大悟はイベントの中で「車から降りた時に綾瀬さんへ手を出せるか、それだけ考えてる」と話していた。

普通なら、世界的映画祭では“スターらしく振る舞う”ことを意識するのかもしれない。しかし大悟は、緊張している自分を隠そうとしなかった。

その不格好さが、逆に人を惹きつけた。

完璧なスターではない。だが、だからこそ観客は感情移入してしまう。

遠い世界の人間ではなく、“どこか近くにいそうな人”が世界の舞台に立っている。その光景に、多くの人が胸を熱くしたのだろう。

 

なぜ今、大悟のような存在が求められるのか

今回の『箱の中の羊』が映し出したのは、“芸人の俳優挑戦”という話だけではない。

むしろ、今の時代、人々がどんな人間に惹かれるのかという変化だった。

SNSでは誰もが自分を整え、綺麗に見せようとする時代だ。一方で、現実の人間はもっと不器用で、矛盾を抱え、感情をうまく整理できない。

だからこそ、大悟のような“隙のある人間”に、人は安心する。

強そうなのに、どこか寂しそう。
適当に見えるのに、相手をちゃんと見ている。
照れ屋なのに、人前に立ち続ける。

そうした矛盾を抱えたまま生きている姿が、観客にはリアルに映るのだ。

是枝監督は、おそらくそこを見抜いていた。

大悟は、“芸人なのに演技がうまい”のではない。

生き方そのものが、画面に映る人なのだ。

そして、それこそが今の映画界で最も貴重な才能なのかもしれない。

 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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