「挑戦者が消えるのは 社会の損失」。これは株式会社ボーダレス・ジャパンの代表取締役社長 田口一成さんが、2020年4月16日放送のテレビ東京系列「カンブリア宮殿」に出演した際に残した言葉です。
社会起業家を目指す若者に、ゼロから事業をつくる場と企業経営経験資金1,000万円を提供する育成プログラム「RISE(Road to Ideal Social Entrepreneur)」。26歳以上の社会起業家には、1,500万円の創業資金。加えてスタートアップには大変心強いバックオフィス支援体制の整備まで……。ボーダレス・ジャパンは田口社長の言葉通り、社会損失を阻止すべく社会問題の解決に挑む人々のサポートを続けています。
グループ企業約40社が名を連ね、さらなる広がりを続けるボーダレス・ジャパン。今回は創業期から在籍し、グループ企業として「ボーダレスキャリア株式会社」を立ち上げた髙橋大和さんに、ボーダレス・ジャパンとの出会いから今抱く想いまでを伺いました。
ボーダレス・ジャパン田口一成さんからボーダレスキャリア髙橋大和さんへ届いたメッセージ
ボーダレスキャリア株式会社(以下、ボーダレスキャリア)さんは、人間関係構築やコミュニケーションが苦手な人たちが就職活動する際の支援、マッチングをする会社です。コミュニケーションが不得手な人も一人ひとりが自活して就職できる世の中が理想ですが、残念ながら一般の人材会社ではどうしてもそういった不器用な人たちまでサポートすることはビジネスとしては非効率で、なかなかサポート対象になりえません。ボーダレスキャリアは、そういった人たちだからこそサポートしていこうと熱い想いを持って就職支援に取り組んでいます。本当に頑張っている人たちなので、ぜひここから日本をよくしていってもらいたいです。
社会問題を意識していなかった髙橋青年が、社会問題解決に情熱を注ぐボーダレス・ジャパンに入社したきっかけ
—株式会社ボーダレス・ジャパン代表取締役社長 田口一成さんより、このような熱い期待のこもったメッセージをいただきました。はじめに、そもそもボーダレス・ジャパンと髙橋さんとの出会いは、どのようなきっかけがあったのかお伺いできますか?
高校時代に3年間ずっと同じクラスだった吉田照喜(現ボーダレス・ジャパングループ・ポストアンドポスト株式会社社長)がボーダレス・ジャパンで転職して活躍していることを知ったのがきっかけですね。僕自身も転職を考えはじめた30歳の時。SNSを眺めていたら、吉田が海外進出するという投稿をしていたんです。その投稿だけでは何をしている会社かあまりわからなかったのですが、おもしろそうだなと思い、一度話をする機会をもらったのですね。そして、実際に東京に出てきてボーダレス・ジャパンの事業構想を聞き、自分もぜひやってみたいと思い、入社することになったのです。
—実際に入社した頃のボーダレス・ジャパンは、どのような会社だったのでしょうか?
入社当時、ボーダレス・ジャパンはまさしく創業期でした。今(2021年7月末現在)でこそボーダレス・ジャパンは「社会起業家のプラットフォームカンパニー」という言葉で表される機会も増えましたが、当時は、多国籍シェアハウスを運営する「ボーダレスハウス株式会社(以下、ボーダレスハウス)」と母乳育児専用ハーブティーを販売する「AMOMA」という2つの事業しかありませんでした。また、これまでのソーシャルビジネスのように寄付で事業を展開して得た利益を社会に還元するという従来の方法ではなく、直接的に社会に貢献できる事業を進めていきたいという事業構想が生まれたのも、その頃だったと思います。社会問題に直接アプローチできる事業を1つ1つつくっていきながら、利益を出し続けられるモデルをいかに生み出していくか、試行錯誤しながら、事業をゼロからつくる感覚で動いていましたね。
ボーダレスキャリアは、当事者として事業に携わるための決断
—ボーダレス・ジャパンへの入社から、ボーダレスキャリアの設立までの経緯をお伺いできますか?
入社後の5年間で、ボーダレスハウスの新規物件開発とバングラデシュの雇用創出を目的とした「BORDERLESS FACTORY」という当時の新規事業に携わりました。この2つの事業には「ユーザーとの接点」で大きな違いがありました。ボーダレスハウスはシェアハウスで日本と海外の人が一緒に暮らしながら、互いの差別偏見、価値観に影響を与えあっていこうという事業だったため、ユーザーとの直接的な接点が持てたんです。一方その後携わったバングラデシュの新規事業は、僕が日本で大口の契約をとることが現地の人の雇用に繋がるという間接的なものでした。やりがいはあったのですが、自分の性格上「目の前にいる人に当事者として真剣に向き合う仕事がしたい」という思いが強く、田口に相談してボーダレスキャリアの立ち上げへと繋がっていきました。
—入社当時からボーダレスキャリアの起業も頭の中で思い描かれていたのでしょうか?
ボーダレスキャリアの立ち上げは、入社当初から思い描いていたものではないんですね。実をいうと、僕は入社前まで社会問題にはあまり興味がなかったというか、意識していなかったくらいなのです。ただ僕には「人との出会いが人生に影響を与え、変化・成長するきっかけになる」という信念があります。ボーダレス・ジャパンに入社する前に働いていたスポーツジムでも、一緒に運動をすることで身体に変化が起こったり、歩けるようになったりしたユーザーの方に「ありがとう」と言われると、心の底から喜びを感じていました。それが仕事選びの軸としてあるので、自分が事業を立ち上げるなら、人の人生に直接的に影響を与えることができる、「当事者」としてかかわれる事業をしたいと思っていたのです。
—実際に当事者としてかかわれる事業を立ち上げようと思った際に、なぜ今の「不遇な過去や家庭環境によりなかなか就職できずに悩んでいる若者」に着目したのでしょうか?
児童養護施設の存在を知ったことが大きかったです。実はそれまで、児童養護施設の存在を知らなかったんですよ。ただある日たまたま見かけた、養護施設から巣立つ人とその人を支えようと真摯に向き合う職員さんの動画を通して、「なんとかしたい」という気持ちが芽生えたんです。
抱える過去や背景が枷となり不安が大きく一歩を踏み出せないでいる若者と、その人に「君は何がやりたい?」と問いかけ続ける職員さん。そのやりとりを見てはじめて、不遇な過去からくる大きな不安を抱えながら社会に出て苦しんでいる人がいること、その人たちをなんとか支えようとかかわり続けている大人がいることを知りました。そしてなにより、本人のせいではない部分が人生の足かせになっていることに、不条理を感じたんです。
ボーダレスグループの斬新な事業承認制度と心強いサポート体制
—— 本人のせいではない部分が人生の足かせとなっている現実を「なんとかしたい」という想いからボーダレスキャリアは立ち上がったとのことですが、ボーダレス・ジャパンには「社長会」という事業承認の場がありますよね? 事業の構想を練って承認までには結構な時間がかかったのではないでしょうか?
目の前の当事者にかかわる事業に携わろうと決意して、不遇な過去や家庭環境を抱える若者が社会に出たあとのアフターケアをする構想を考えはじめてから社長会で発表するまで、5カ月くらいかかったと思います。ただ承認を受ける段階ではすでに3社の取引先企業と話を進めていましたし、5カ月の間に養護施設へ足を運んで当事者とも何度も話をしていました。事業プランの発表時には採用できる会社も働きたいという若者もいるという、すぐに動き出せる状態を作っていたため、承認自体は1回で通りましたね。
—ビジネスモデルとしては最初から「ステップ就職」で提供しているお試し就職から紹介先での正社員雇用の形を構築していたのでしょうか?
最初はボーダレスキャリアで雇用契約を結ぶ、いわゆる派遣の形を想定していました。しかしその企業に就職して働けるかを判断するためには、派遣ではなく直雇用を想定したお試し就職の期間を設けたほうがいいと思い、今のモデルを採用しています。
—当時の社長会では、どのような質問や意見が寄せられたのですか?
「自社雇用はしないのか」という意見、質問はありましたね。何か1つ新たな事業を立ち上げて、自分のところの社員として雇用していく道もいいのではないかと。そのモデルも5カ月間の構想の中にあるにはあって、それでいこうと思っていた時期もあったんですよ。しかし当事者の声に耳を傾けた時に、自社雇用だとその事業がその人のしたいことと合致しない可能性があると気づいたんです。僕らがいろんな業種に繋げる人材紹介の形をとることで、いろんな人や仕事とかかわるチャンスを生み出せると思いこのモデルを採用しました。
—ボーダレス・ジャパンといえば、新規事業にまとまった資本金の提供があることで、メディアでも話題になりました。2017年の設立時からそのような創業時のサポートはあったのでしょうか。
当時からそのサポートはありましたよ。ボーダレスキャリアは有料職業紹介事業と労働者派遣事業の許認可申請を出す関係上、支援額として2,000万を出資してもらいました(※)。
※現在は1,500万円。定期的に見直される
また事業のスタート時点では、従業員は経営者の僕しかいません。創業期は営業などの対外的な仕事に注力したいものですが、実際のところ手続きなどの事務的な仕事に手を取られがちです。また広報やPRにも注力したいけれども、そこまで手が回らないという人がほとんどではないでしょうか。
ボーダレス・ジャパンには、そんなスタートアップのグループ企業を経理や労務、法務など経営に必要不可欠な面からサポートしてくれる「バックアップスタジオ」と、マーケティングや広報、採用など事業立ち上げの伴走者となってくれる「スタートアップスタジオ」という2つのチームがあります。ただボーダレスキャリアの立ち上げの頃は「バディ」という名前で親しまれていましたね。僕にも専属のバディがついて、WEBサイト作りやマーケティングを担ってもらいました。バディがいたからこそ僕は、企業や若者と接することに専念できたんです。
「恩送り」文化が定着しているボーダレス・ジャパンで、価値観にも変化が起こる
—— 出会ってから約9年。髙橋さんにとってのボーダレス・ジャパンはどんな存在となっていますか?
先ほどもお話ししましたが、僕はもともとは社会問題をあまり意識して生きてきたわけではありませんでした。それがボーダレス・ジャパンに入ってから、変わっていきましたね。田口や鈴木(ボーダレス・ジャパン代表取締役副社長)だけではなく、ここに集まってくる人たちが、心から「この問題をなんとかしたい」と言っている人ばかりなんですよ。その心に清さと熱量を感じています。こんなコミュニティは、世の中を探してもなかなか見つからないのではないでしょうか。ボーダレス・ジャパンは、自分の価値観が変えられる場所だと思っています。
—— 髙橋さん自身が変わるきっかけをくれる人や環境がボーダレス・ジャパンにはあったのですね。そこにいる皆さんや会社に感謝を伝えるとしたら、どんな「ありがとう」のメッセージを伝えたいですか?
ボーダレス・ジャパンには「恩送り」という言葉、文化があって、僕はそれが好きなんです。自分の事業を黒字化することが、次の人、新しい事業を支える土台となっていくんですよ。僕は、「人間は支える側になることで幸福度があがる」と思っていて。だから自分が支える側になるチャンスも与え続けてくれているボーダレス・ジャパンに感謝しています。
そしてやはり「こういう社会の問題は解決しなければならない」「恩は返すのではなく送るべきだ」といった価値観を持たせてくれて、「僕を変えてくれて、ありがとう」という深い感謝の思いがあります。
—— ボーダレス・ジャパンが今後、こうなっていったらもっと素敵な組織になって、社会もよりよい方向へと進むのではないか、と感じる部分はありますか?
おそらく2021年7月末時点で、ボーダレスグループには約40の事業があるはずです。これだけの大きな規模感になってくると、社長会で全社の社長が一堂に会するだけでも時間調整が大変なんですよ。こういう課題が見えてきたら多くの企業ではおそらく、「意志決定の方法を見直さなければ」という効率重視の方向へと舵を切るのではないでしょうか。しかしボーダレス・ジャパンをはじめボーダレスグループの各社は、この通例と戦い続けなければならないと思っています。効率的な決定方法を見いだすのではなく、「ボーダレス・ジャパンでは、みんなの声が反映されるこんな仕組みをとっています」と、グループ全体で新しい集団、組織の在り方をつくりだし、世に発信、提案していきたいですね。この発信はきっと、世の中全体をいい方向へと進めるために一石を投じることになるのではないでしょうか。
<プロフィール>
髙橋 大和
ボーダレスキャリア株式会社代表取締役社長
1981年生まれ。長崎県出身。コナミスポーツ&ライフ(現:株式会社コナミスポーツクラブ)退社後の2012年に、高校の同級生繋がりで株式会社ボーダレス・ジャパンへ入社。国際交流シェアハウス事業「ボーダレスハウス株式会社」の新規物件開発担当を経験したのち、2014年にバングラデシュの雇用創出を目的とした革製品OEM事業の事業部長を担う。2017年5月からは「ボーダレスキャリア株式会社」を立ち上げ、不遇な過去や家庭環境によりなかなか就職できずに悩んでいる若者の就労支援事業「ステップ就職」をスタートさせる。信念は「人の力で人は変えられる」
ボーダレスキャリア株式会社
https://www.borderless-japan.com/social-business/borderlesscareer/
〒162-0843 東京都新宿区市谷田町2-17 八重洲市谷ビル6F
TEL : 03-5227-8890
ボーダレスキャリア株式会社の記事はこちらからも読むことができます!
株式会社ボーダレス・ジャパン
https://www.borderless-japan.com/
東京オフィス
〒162-0843東京都新宿区市谷田町2-17 八重洲市谷ビル6F
TEL:03-5227-6980