ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

トヨタ「センチュリー」を独立ブランド化へ 半世紀の伝統が導く“日本の頂点”再定義

コラム&ニュース コラム ニュース
リンクをコピー
トヨタ、センチュリー独立ブランドへ
イメージ画像

トヨタ自動車は10月13日、自社の最高級車「センチュリー」を独立ブランドとして展開する方針を明らかにした。トヨタブランドから分離し、レクサスとは異なる「日本の最高峰」として位置づける。現行のセダンとSUVに加え、2ドアの新型クーペが開発中であることも明らかになり、同社の高級車戦略は新たな段階へ入る。

トヨタ公式メディア「トヨタイムズ」で配信されたライブ発表会では、豊田章男会長とブランドクリエイションオフィスのサイモン・ハンフリーズ氏が登壇。5ブランド体制(トヨタ、レクサス、センチュリー、GR、ダイハツ)の戦略を明確にし、「センチュリーを日本の伝統美を体現する頂点ブランドとする」と説明した。発表ではオレンジ色の2ドアクーペ・センチュリーが公開され、従来の黒塗りセダンのイメージを一新する鮮烈な印象を残した。

 

「センチュリー」の軌跡 日本の威信を背負った半世紀

センチュリーの歴史は、1960年代の日本がまだ「高級車=欧米車」という価値観に挑戦していた時代に始まる。その原点は1964年発売の「クラウンエイト」にある。日本車初のV8エンジンを搭載し、欧米の高級車市場に挑戦した意欲作だった。わずか3年で生産を終えたが、このモデルこそがセンチュリー誕生の礎となった。

1967年、豊田佐吉の生誕100年を記念して初代センチュリーが登場。名前の“センチュリー”は「世紀」を意味し、まさに国産高級車の象徴として開発された。V8エンジン、楠杢パネル、和服でも乗降しやすい設計など、細部まで「日本らしい威厳と礼節」を追求。皇族や首相の公用車として採用され、後席のクロームメッキの窓縁は“手を振る額縁”とも称された。以後30年間、フルモデルチェンジを経ずに進化を重ね、静謐さと信頼性の象徴として存在し続けた。

 

1997年には2代目が登場。日本車初のV12エンジンを搭載し、極限の静粛性と滑らかさを実現した。内装には本木目パネルやジャガード織のウール地が用いられ、職人の手仕事による「走る美術工芸品」として完成度を極めた。

2018年の3代目では、環境性能を重視したV8ハイブリッドを採用。伝統の水平基調デザインに七宝文様のグリルをあしらい、現代的な格式を体現した。

そして2023年、SUVスタイルの新センチュリーが発表される。V6 3.5Lプラグインハイブリッドを搭載し、ショーファーカーでありながら“オーナーが自らハンドルを握るセンチュリー”を提案。この流れが、今回の「ブランド独立」への伏線だった。

 

トヨタの「頂点ブランド」構想と新たな挑戦

今回発表された戦略では、センチュリーを「レクサスより上位の位置づけ」とし、世界のマイバッハやロールスロイスと肩を並べる存在を目指す。SNSでは「センチュリーがクーペ、レクサスLSが6輪とはぶっ飛んでいる」「伝統と遊び心の融合に度肝を抜かれた」と話題を呼んだ。

自動車ジャーナリストの桃田健史氏は「センチュリーのブランド化は自然な流れ。マイバッハを超える戦略に期待したい」とSNSで評価。また元国産自動車メーカー開発者の安藤眞氏は「センチュリーは皇室車として生まれた特別な車。独立ブランド化によって、その精神を世界に示せる」と語った。

 

「次の100年」に向けた象徴

トヨタは10月末に開かれる「ジャパンモビリティショー2025」で、センチュリー・レクサス・カローラの3モデルを正式公開する見込みだ。半世紀前、欧米の高級車に挑んだセンチュリーが、今や「日本の頂点ブランド」として再び世界に挑む。その歩みは、単なる車の進化ではなく、日本のものづくりの誇りそのものを映している。

Tags

ライター:

ライターアイコン

寒天 かんたろう

> このライターの記事一覧

ライター歴26年。月刊誌記者を経て独立。企業経営者取材や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

関連記事

タグ

To Top