
雨の日、足を滑らせて通勤中に捻挫。治療費は自己負担で済ませるべきか、労災を申請するべきか――。
通勤中や勤務中の軽いケガでも、条件を満たせば労災保険の対象になる。しかし、いざ申請となると「面倒そう」「会社に言い出しにくい」など、心理的なハードルを感じる人は少なくない。制度としては整っていても、実際に利用されない背景には何があるのか。申請の流れとともに、その“壁”をどう乗り越えるかを整理した。
制度はあるのに使われない? 労災申請が敬遠される理由
厚生労働省によれば、労災保険は業務中や通勤途中に起きた事故・傷病に対して給付を行う制度で、事業主が保険料を全額負担している。しかし、軽傷の通勤災害や職場でのちょっとしたケガについて、申請に二の足を踏むケースが多く見られる。
その主な理由は次のようなものだ。
- 制度をよく知らない:「労災は大ケガのときだけ」と思い込んでいる
- 会社に言い出しにくい:「申請=業務の責任を問う」ように感じる
- 手続きが複雑そうに見える:書類の準備や会社・病院とのやり取りが面倒
- 健康保険と混同してしまう:つい普段通りに保険証で診察してしまう
実際には、通勤途中の捻挫や業務中の切り傷でも、一定の条件を満たせば労災保険の対象となる。会社の協力が得られれば、申請手続きはそれほど煩雑ではない。
申請の流れ:労災指定病院かどうかで手続きが変わる
労災の療養(補償)給付を受ける方法は、以下の2パターンに分けられる。
● 労災指定医療機関で受診した場合(最もスムーズ)
- 会社から「様式第5号(療養給付請求書)」をもらう
- 会社に証明欄を記入・押印してもらう
- そのまま病院に提出
- 病院が労基署に請求 → 治療費は窓口負担ゼロ
● 指定外の医療機関で受診した場合
- 診察費用をいったん自己負担
- 後日、会社に証明欄を記入してもらった様式を自分で作成
- 領収書を添えて、労働基準監督署へ提出
- 後日、口座に返金(時効は支出翌日から2年間)
心理的ハードルを超える3つのポイント
労災申請の際に感じる「面倒くささ」や「言い出しにくさ」を軽減するには、以下の3つを押さえておくとよい。
- 上司や労務担当に早めに相談する
ケガをした時点で「通勤中か業務中か」を共有しておくと、あとからトラブルになりにくい。 - 労災指定医療機関を事前に調べておく
通勤経路や勤務先近くに指定病院があるかを確認しておくと安心。 - 書類提出のコピーを残す
万が一、労基署とのやり取りが必要になった際に備え、控えは必ず手元に。
労災保険の主な給付一覧
給付名 | 金額の目安 | 対象 | その他の情報・条件など |
---|---|---|---|
療養(補償)等給付 | 全額支給(自己負担なし) | 通勤災害・業務災害による傷病の治療 | 労災指定医療機関で受診した場合は窓口負担なし。指定外は一時立替→後日請求可能。 |
休業(補償)等給付 | 給与の約8割(60%+特別支給金20%) | 業務または通勤災害による休業(4日目以降) | 初日から3日間は会社が賃金を補償、4日目以降に支給。 |
障害(補償)等給付 | 障害等級に応じた一時金または年金 | 後遺障害が残った場合 | 1〜7級は年金、8〜14級は一時金。程度により支給額が異なる。 |
傷病(補償)年金 | 障害年金に準じた金額 | 長期療養を要し、一定期間を過ぎても治癒しない重症傷病 | 業務開始後1年6カ月を経過しても治癒せず、障害等級1~3級に該当する場合に支給。 |
遺族(補償)等給付/葬祭料 | 年金または一時金、葬祭料は一定額(31万5千円+α) | 労働災害・通勤災害による死亡事故 | 遺族年金・一時金の選択制。受給順位は配偶者→子→父母→孫→祖父母→兄弟姉妹。 |
要注意!労災対象外とされる主なケース
一見、労災の対象になりそうでも、実際には補償の対象とならないケースが存在する。以下に、典型的な「対象外」となる事例と、その理由を表にまとめた。
区分 | 対象外の例 | 対象外となる理由 |
---|---|---|
通勤災害 | 途中でカフェに寄って休憩し、その後ケガをした | 通勤経路からの「私的な逸脱」があるため、対象外とされる |
通勤災害 | 飲み会に参加するためにルートを外れ、その帰りに転倒 | 飲酒や私用のための逸脱は「通勤」とみなされない |
通勤災害 | バイク通勤の途中で、正規ルートから外れて遠回り中に事故 | 合理的な経路と認められないため、通勤災害とはされない |
通勤災害 | 自家用車で出勤中、同乗者の用事で寄り道し事故に遭う | 他人の私的用事への同行は、合理的な通勤とは見なされない |
業務災害 | 昼休みに私用で外出中にケガをした | 業務との因果関係がなく、完全な私的時間と判断される |
業務災害 | 勤務時間外に私用のスマートフォン操作中に転倒した | 業務とは無関係な行為であるため、対象外とされる |
業務災害 | 勤務地でのケガだが、業務命令を受けていない場所で遊んでいた場合 | 勤務場所内であっても、業務と無関係な行動中の事故には補償が適用されない |
業務災害 | 明らかな自傷行為や喧嘩によるケガ | 故意または違法行為によるケガは、原則として労災補償の対象外となる |
共通 | 偽装された通勤やケガの事実 | 虚偽の申請が発覚した場合、給付は無効とされ、場合によっては罰則が科される |
特に誤解されやすい「通勤中の寄り道」について
労災保険における通勤災害の認定では、「合理的な経路および方法での通勤」であるかどうかが鍵を握る。以下のような行動は、一時的に通勤が中断されたと判断され、その間に起きたケガは労災の対象外となる。
通勤中でも対象外となる寄り道の例
- コンビニでお菓子を買う(娯楽目的)
- 美容院に立ち寄る
- 飲食店で友人と食事をする
- ネットカフェや娯楽施設に立ち寄る
こうした行為は、私的行為として通勤の「逸脱」とされ、通勤災害とはみなされない。
例外的に通勤と認められる行為(厚生労働省令に基づく)
- 処方薬の受け取り(医療目的)
- 保育園への子どもの送り迎え
- 日用品の購入(短時間・合理的範囲内)
これらは日常生活上必要な行為であり、最小限の範囲であれば、通勤経路に復帰した後の事故については通勤災害として再び認められることがある。
労災と認められるかどうか迷ったら
以下のような点を確認することで、労災の対象となるか否かを判断する手がかりとなる。
- 業務との関係性があるか
- 合理的な通勤経路で発生した事故かどうか
- 私的な目的が含まれていないか
これらを自分だけで判断するのが難しい場合には、会社の労務担当者や最寄りの労働基準監督署に相談するのが確実な対応である。なお、申請を行ってから、労基署の調査によって最終的に給付の可否が決定されるケースも少なくない。
まとめ
通勤中や業務中に起きた軽傷の事故について、「これくらいで労災になるのか」と判断に迷う場面は多い。だが、制度を正しく理解していなければ、本来受け取れる補償を自ら放棄してしまうことにもなりかねない。
「通勤中」「業務中」という言葉には、法律上の明確な定義がある。軽傷であっても、まずは相談すること。自己判断で諦めることが、最も大きな損失となる可能性があることを忘れてはならない。