
「クッキーやケーキを作るとき一番大切なのは、オーブンの温度ではなく、それを誰かのために作ろうという気持ち」。そう語ったのは、アメリカ・ペンシルバニア州の田舎町で愛された“ステラおばさん”だ。彼女のクッキーには、材料だけでは表現しきれない、温かく優しい想いが詰まっていた。4月13日、ステラおばさんの生誕117年を迎えるこの日に、彼女が残した「利他の精神」とクッキーに込めた思いに迫る。
ステラおばさんとは?
クッキーが好きな人は聞いたことがあるであろうステラおばさん。この人物は実在する人物なのだ。
ステラおばさんは1908年、アメリカのペンシルバニア州・ダッチカントリーで生まれた。ダッチカントリーは、ドイツ系移民が築いた田園地帯で、伝統的な生活様式を守る「アーミッシュ」と呼ばれる人々が暮らす地域として知られる。彼らは電気や自動車を使わず、質素な暮らしを大切にしてきた。
この地で幼稚園の先生をしていたステラおばさんは、子どもたちから親しみを込めて「アントステラ(ステラおばさん)」と呼ばれていた。彼女は日々、子どもたちに温かな心を伝え、時にはお尻を叩きながらも、同じ回数だけクッキーやケーキを焼いてふるまったという。彼女が作る大きくて香ばしいクッキーは、村のお菓子コンテストで優勝するほどの評判だったという。
クッキーに込めた「利他の精神」
「クッキーやケーキを作るとき一番大切なのは、オーブンの温度ではなく、それを誰かのために作ろうという気持ち」
これは、ステラおばさんが晩年に甥のジョセフに語った言葉。クッキー作りを通じて彼女が伝えたかったのは、「他者を思いやる気持ち」そのものだった。
ステラおばさんは、いつも村の人々のためにクッキーを焼き続けた。畑仕事で疲れた人、寒さに震える人、落ち込んでいる人。彼女のクッキーは、そんな人々に寄り添う存在だった。材料を計る手、オーブンの温度を見守る目、焼き上がったクッキーを丁寧に並べる指。そのすべてに「誰かのために」という思いが込められていた。
日本に広まった「ステラおばさんのクッキー」
1982年、甥のジョセフ・リー・ダンクルは、日本にクッキー文化を広めたいと考え、ステラおばさんのレシピを再現した「ステラおばさんのクッキー」を立ち上げた。日本の人々にクッキーを届けるため、彼は幼少期の思い出を頼りに、ステラおばさんに学んだクッキー作りの技術を忠実に再現したのだ。
「クッキーを焼くときは、必ず誰かの顔を思い浮かべる」。それがジョセフが最も大切にした言葉だったという。
この思いは「Warm Heart Communication(温かな心の交流)」という理念として、現在も株式会社アントステラの根底に受け継がれている。店舗では毎日15種類前後のクッキーが店内オーブンで焼かれ、訪れる人々に温かな香りと共に届けられている。
ステラおばさんの教えが生きる「生誕祭」

4月13日、ステラおばさんの誕生日に合わせ、「ステラおばさん生誕祭」が開催される。誕生日当日は「量り売りクッキー17枚1,000円」の特別イベントや、人気の「チョコレートチップクッキー」のキーホルダープレゼントなどが行われる。これらのイベントは、単なる販促ではなく、「感謝の気持ち」を伝えるために企画されているという。
特に印象的なのが、SNSでの「#ステラおばさんじゃねーよ!」コンテストだ。これは、ハリセンボン近藤春菜さんの「ステラおばさんじゃねーよ!」の突っ込みにちなんだキャンペーンだが、ユーモアの中にも「人とのつながり」を感じさせる温かみが込められている。
未来へ続く「Warm Heart Communication」
ステラおばさんがクッキーを焼き続けたのは、決して名声やお金のためではなかった。彼女が願ったのは、クッキーを通じて「誰かが笑顔になれること」。
その思いは、時代を超えて今も受け継がれている。忙しい毎日の中で、ふと立ち寄ったクッキー店から漂う甘い香りが、ステラおばさんの温かな心の伝承かもしれない。
「誰かのために」。その精神が込められたクッキーは、これからも多くの人々の心を温め続けるだろう。
【参照】
・ステラおばさんと焼き菓子(株式会社アントステラ)
・「ステラおばさん生誕祭」3月20日より開催(PRTimes)