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ESGと企業の人権尊重の取組について

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企業法務のスペシャリストである弁護士 熊谷文麿先生による、ESGと企業の人権尊重の取組についての概説コラム。

はじめに(人権尊重ガイドライン策定の経緯)

わが国において、ESGに対する関心が高まってきたが、Eの環境やGのガバナンスに比べて、人権を含むSの社会の分野については相対的に馴染みが薄かったように思われる。

これに対して、近年、欧米を中心に、グローバル化の進展によって、企業活動が人権に及ぼす負の影響が拡大しているのではないかという議論が盛んとなり、企業活動による人権侵害についての企業の責任に関する国際的な議論が活発になる中で、2011 年「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために」が国連人権理事会において全会一致で支持され、OECD(経済協力開発機構)による「OECD 多国籍企業行動指針」の 2011年改訂、ILO(国際労働機関)による「多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言」の 2017 年改訂に際して、国家の人権保護義務や企業の人権尊重責任が盛り込まれた(人権尊重ガイドライン1頁~3頁)。

このような国際的な動きを受け、日本政府は、国連指導原則を踏まえて、2020年に「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020-2025)」を策定し、2022年9月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「人権尊重ガイドライン」という。)を発表した。

この人権尊重ガイドラインでは、企業は、その人権尊重責任を果たすため、
①人権方針の策定、
②人権デュー・ディリジェンス(以下「デュー・ディリジェンス」を「DD」といい、「人権デュー・ディリジェンス」を「人権DD」という。)の実施、
③自社が人権への負の影響を引き起こし又は助長している場合における救済といった人権尊重に向けた取組を行うことが求められている。

既に、フランス、ドイツ、オランダ等においては、人権DDの実施を一定の企業に義務付ける法律が制定され、米国等でも強制労働を理由とする輸入差し止め等の法規制が強化されており、日本企業においても、今後は、取引先からの取引停止のリスク、投資の引き上げ等の経営リスクの観点や、ブランドイメージの向上といった企業価値の向上という観点から、企業が人権尊重に向けた取組を行うことに大きな意義が生じている(人権尊重ガイドライン4頁5頁)。 

人権尊重ガイドラインにおいて企業に求められる人権尊重の取組の特徴

このように欧米や国連を中心にビジネスと人権に関する関心が高まっているといっても、わが国においても、これまで各企業が人権侵害を生じさせないための一定の取組や調査を行っていなかったわけではない。そこで、本稿では、これまでわが国において一般的に行われてきたと思われる取組等と比較して、人権尊重ガイドラインで求められる人権尊重の取組(以下「人権尊重の取組」という。)の特徴と思われる点を中心に論じたい。

(1)「人権」の範囲

まず、人権尊重ガイドラインでは、企業が尊重すべき「人権」とは、国際的に認められた人権と定義しているが、他方で、各国の法令を遵守していても、人権尊重責任を十分に果たしているとは限らず、法令遵守と人権尊重責任とは、必ずしも同一ではないとしている。

つまり、国際的に認められた人権について、わが国の法令で適切に保護されていない場合には、国際的に認められた人権を可能な限り最大限尊重する方法を追求する必要があるとしているのである(人権尊重ガイドライン7頁8頁)。

これまでM&Aで行われてきた対象会社に対する法務DD、株式上場準備における自社の労務DD、内部監査室による社内の内部監査といった調査は、労働基準法の順守といった国内法の順守の観点に限定される傾向にあったが、人権尊重の取組としては、国際的に認められた人権という、より広範な人権に関する調査が求められる。

(2)「負の影響」の範囲

人権尊重ガイドラインでは、人権DDには、「負の影響の特定・評価」が含まれるが、ここでいう「負の影響」には3つの類型があるとされており、企業は、①自ら引き起こしたり(cause)、又は、②直接・間接に助長したり(contribute)した負の影響にとどまらず、③自社の事業・製品・サービスと直接関連する(directly linked)人権への負の影響についてまでを、人権 DD の対象とする必要があるとされている。

②のcontributeの例として、ある企業が実現不可能な納品期限を設定してサプライヤーに納品を依頼した結果、サプライヤーの従業員が長時間労働を強いられた場合が挙げられている。

また、③のdirectly linkedの例として、小売業者の受託者が委託契約に反して児童を就業させた場合や、ある企業の融資先が合意に反して地域住民を強制的に立ち退かせた場合が挙げられている(人権尊重ガイドライン7頁8頁)。 このように自社の直接の活動だけでなく、受託者等の取引先の企業活動についての責任も求められており、また、負の影響が発見された場合の対応策として、受託者等の取引先との取引停止は、負の影響への監視が行き届かなくなるとして、むしろ、受託者等の取引先との関係を維持しながら負の影響を防止・軽減するように努めることが求められている。

これまでM&Aの法務DDの対象は対象会社の事業に限定され、また、株式上場準備における労務DDの対象や内部監査室の内部監査の対象は自社の事業に限定される傾向にあったが、人権尊重の取組としては、受託者等の取引先の負の影響という、自社以外による負の影響を含む調査が求められる。

また、M&Aの実務では、人権侵害等の違法行為に対する対応として、株式譲渡契約に、対象会社が人権侵害等の違法行為を行わないことの表明保証と当該規定に違反した場合の損害賠償といったサンクションを規定することで対応していたが、人権尊重の取組としては、このような対応では不十分で、より継続的・積極的な負の影響の防止・軽減策が求められる。

(3)ステークホルダーとの対話

人権尊重ガイドラインでは、ステークホルダーとの対話は、企業が、そのプロセスを通じて、負の影響の実態やその原因を理解し、負の影響への対処方法の改善を容易にするとともに、ステークホルダーとの信頼関係の構築を促進するものであり、人権 DD を含む人権尊重の取組全体にわたって実施することが重要とされる(人権尊重ガイドライン11頁)。

その例として、人権DDにおいて、負の影響の特定・評価の前提となる関連情報を収集するために、ステークホルダーとしての労働組合・労働者代表、NGO等との協議によることが挙げられており、企業が人権への負の影響を正確に理解するためには、潜在的に負の影響を受けるステークホルダーと直接対話することに努めるべきとされている(人権尊重ガイドライン18頁)。

また、負の影響に対する適切な措置を検討するにあたっては、ステークホルダーとの対話を行うことが期待されている。

これまで、M&Aにおける法務DD、株式上場準備における労務DD、内部監査の主体は、企業の管理部門や弁護士等の専門家であり、情報収集の範囲も、労働組合や労働者代表との対話によって情報収集することまでは行われていなかったと思われるが、人権尊重の取組としては、労働組合や労働者代表を含むステークホルダーとの対話まで求められることになる。 

3.人権尊重の取組の実践に向けて

人権尊重ガイドラインによれば、人権尊重の取組は、採用、調達、製造、販売等を含む企業活動全般に実施されるべきであるから、全社的な関与が必要となる。したがって、企業トップを含む経営陣が、人権尊重の取組を実施していくことについてコミットメントするとともに、積極的・主体的に継続して取り組むことが極めて重要とされる。

但し、人権尊重の取組は多岐にわたっており、企業の人的・経済的リソースの制約を踏まえると全ての取組を直ちに行うことは困難であることから、まず、より深刻度の高い人権への負の影響から優先して取り組むべきである(人権尊重ガイドライン10頁)。

以下では、①人権方針の策定、②人権DD、③救済、の各取組について、ポイントとなる点について論じたい。

人権方針の策定

人権尊重ガイドラインによれば、人権方針とは、企業がその人権尊重責任を果たすというコミットメントであり、①企業のトップを含む経営陣で承認されていること、②企業内外の専門的な情報・知見を参照した上で作成されていること、③従業員、取引先、及び企業の事業、製品又はサービスに直接関わる他の関係者に対する人権尊重への企業の期待が明記されていること、④一般に公開されており、全ての従業員、取引先及び他の関係者にむけて社内外にわたり周知されていること、⑤企業全体に人権方針を定着させるために必要な事業方針及び手続に人権方針が反映されていること、という5つの要素を満たす必要があるとされる。

また、策定については、労働組合・労働者代表、NGO、使用者団体、業界団体といったステークホルダーとの対話・協議をおこなうことでより実態を反映した人権方針の策定が期待されている。

例として、以下のような進め方が挙げられている。

まず、人権方針を策定する前に、負の影響を受け得るステークホルダーが誰で、自社の事業にどのように関係して存在しているかを把握する。そして、社内の問題事例等の情報収集を行うとともに、労働組合との対話や「ビジネスと人権」分野に精通した専門家との協議を実施し、自社グループ事業で重要と思われる人権課題を列挙して整理する。その上で、リスクが高いと特定される部分については、その専門家の意見も聞き、その知見を反映させる、という進め方である(人権尊重ガイドライン13頁)。

この点、日本弁護士連合会の「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス」(以下「人権DDガイダンス」という。)にも記載があるが、日本企業の多くは、人権問題について、採用・人事上の差別禁止やハラスメントといった人事の問題としてしか捉えておらず、自社や取引先の事業活動が人権問題を引き起こす危機に直面している事実を理解できずにいるのではないかと思われる。

したがって、まずは、一般論としてでもビジネスと人権において想定される人権問題はどのようなものがあるかを知ったうえで、自社が影響を与える可能性のある人権を把握するための社内外の情報収集を行い、ステークホルダーや専門家との協議を実施するのが有効ではないかと思われる。

また、人権DDを行う場合にはその結果を踏まえて人権方針を改定することも有用である。

人権DD

人権尊重ガイドラインによれば、人権DDとは、企業が、自社・グループ会社及びサプライヤー等における人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、取組の実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくために実施する一連の行為である(人権尊重ガイドライン7頁)。

そして、人権DDガイダンスによれば、人権DDとは、「企業の役職員がその立場に相当な注意を払うための意思決定や管理の仕組みやプログラム」であり、経営責任の有無の判断基準を提供することにあるとされ、これはすなわち「人権リスクに関する内部統制」であるとされる(人権DDガイダンス2頁)。

この点、人権DDガイダンスにも記載があるが、日本企業においては、人権DDが事業にブレーキをかけるのではないかという懸念を持つ経営陣がいる可能性があり、また、企業活動が人権への負の影響を生じさせる可能性を論じることをタブー視する傾向が見られる。

このような傾向は、人権尊重の取組を人事部門等の一部の管理部門の仕事として押し付けたり、CSR報告書に掲載するための体裁上の取組と割り切ってしまう可能性があるが、このような姿勢は、社会から、「偽装」や「欺瞞」といった批判を受ける可能性がある。

したがって、まずは、経営陣が、人権DDについて、自らの経営責任を果たすために必要な取組であり、企業の持続可能な成長につながるとの共通認識を持つことが重要である。

その上で、リスクが重大であると考えられる事業領域を特定し、人権への負の影響の深刻度の高いものから対応していくことが有効であると思われる。

なお、人権DDの結果を開示することは透明性と説明責任の観点で有意義であるが、負の影響を受けたステークホルダーを二次的なリスクにさらされることがないような適切な配慮が必要なことに留意すべきである(人権DDガイダンス45頁)。

救済

人権尊重ガイドラインによれば、企業は、自社が人権への負の影響を引き起こし、又は、助長していることが明らかになった場合、救済を実施し、又は、救済の実施に協力すべきである。

他方で、自社の事業・製品・サービスが負の影響と直接関連しているのみの場合は、その企業は、救済の役割を担うことはあっても、救済を実施することまでは求められていない。

ただし、こうした場合であっても、企業は、負の影響を引き起こし又は助長した他企業に働きかけることにより、その負の影響を防止・軽減するよう努めるべきであることに留意が必要である。

そして、救済の具体例として、謝罪、原状回復、金銭的又は非金銭的な補償のほか、再発防止プロセスの構築・表明、サプライヤー等に対する再発防止の要請等が挙げられる(人権尊重ガイドライン29頁)。

この点、救済を行うことが企業責任を認めることになり、訴訟提起やさらなる賠償請求にさらされるのではないかという懸念が企業側に生じることが想定される。しかし、違法行為や契約違反についてはそもそも法的責任が生じるのが当然であって、問題としては、このような明確な法的根拠がない場合の対応をどうするかであるが、人権尊重ガイドラインによれば、負の影響の性質や影響が及んだ範囲に応じて、人権への負の影響を受けたステークホルダーの視点から適切な救済が提供されるべきであるとされているところである。

また、他企業への働きかけについては、企業が、製品やサービスを発注するに当たり、その契約上の立場を利用して取引先に対し一方的に過大な負担を負わせる形で人権尊重の取組を要求した場合、下請法や独占禁止法に抵触する可能性がある。そのため、人権尊重の取組を取引先に要請する企業は、取引先に対して強要するのではなく、取引先と十分な情報・意見交換を行い、その理解や納得を得られるように努める必要があることに注意が必要である(人権尊重ガイドライン12頁)。

今後の実践に向けて

このように、人権尊重の取組は、全社的かつ取引先の事業活動まで含む点で、従前M&A等で行われてきた法務DDよりも広範でより踏み込んだ調査を求められ、さらに、ステークホルダーとの調整や救済も求められる点で難易度が高い取組と思われる。

そして、人権尊重の取組をどの部署が行うのが望ましいかという議論については、仮にCSR担当部署やサステナビリティ委員会のような部署があったとしても、日常的に現場の実情や人脈に触れている者でないと表面的な解釈に終わってしまう危険があることから、サプライヤーによる人権侵害の可能性があるなら調達部門が、顧客の人権侵害の可能性があるなら事業部が共同して人権DD等を行う必要がある(人権DDガイダンス39頁40頁)。

その際の人権や負の影響に係る法的な解釈や対応策の検討について、法務部や弁護士等による法的なサポートが必要なことは言うまでもない。

引用:
「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」令和 4 年 9 月ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議
「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス」2015年1月日本弁護士連合会

筆者:
熊谷文麿(弁護士)
東京大学法学部を卒業後、公共系シンクタンクにて電気自動車のカーシェアリングの社会実験、政策評価、各種計画策定等の国・自治体を顧客としたコンサルティング業務に従事。その後、外資系投資銀行であるバークレイズ証券の投資銀行部門を担当する社内弁護士として、国内外の数千億円規模の資金調達や大型のIPO・M&A・デリバティブ等のファイナンスやコンプライアンス関連の法務に従事。

佐藤総合法律事務所に入所後は、クロスボーダーのM&A、TOB、危機管理等の企業法務全般を幅広く行っている。また、株式会社GMOクリック証券社外監査役、株式会社GMOアドパートナーズ社外取締役兼監査等委員等、複数社の社外役員を兼務しており、様々な業態の企業経営にも関与している。

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