自社の商品が「年間販売個数世界一のフィナンシェ」としてギネス世界記録に認定されたのは2015年。そしてそれ以来、毎年記録を更新し、ついに2020年にはお菓子部門として世界初となる6年連続認定を受けた洋菓子・パンメーカーの本社が兵庫県西宮市にあります。
その会社とは、株式会社シュゼット・ホールディングス。「アンリ・シャルパンティエ」のブランド名で思い出す人も多いのではないでしょうか。同ブランドの看板商品がギネス世界記録に認定されたフィナンシェです。アーモンドパウダーとバターがたっぷり入った生地を卵白でふくらませるこの焼き菓子が、年間二千数百万個も販売され世界の頂点を極めたのです。
現在シュゼット・ホールディングスでは、アンリ・シャルパンティエを含む4ブランドで国内145店舗、シンガポールで4店舗を展開しています。(2020年10月現在)
今でこそ快進撃継続中のシュゼットグループですが、実は深刻な販売不振と過剰な設備投資がたたり、経営難に陥った時期がありました。創業者は一大決心をして改革に乗り出したものの、1年ほどで急逝。その後を受けて社長となり改革を成功させたのが、創業者の長男で現社長の蟻田剛毅さんでした。
街中の小さな喫茶店として、蟻田さんの父がシュゼット・ホールディングスの前身である株式会社アンリ・シャルパンティエを創業したのが1969年です。以来50年以上にわたり、ケーキやクッキーの甘い香りを届け続けるシュゼットグループの社会貢献への取り組みや、ステークホルダーへの思いを蟻田さんにお聞きしました。
菓子屋としての本分を尽くす、世の中から求められているものを提供したい
–はじめに、洋菓子店という事業を通して、シュゼットさんはどのように社会に貢献されているかをお伺いしたいのですが。どのような思いを伝えたいと考えて事業をされておられるのでしょうか?
まず、いつも心がけているのは、「菓子屋としての本分を尽くす」です。欲を出して、「自分たちが何者か」を踏み外すと周りの皆さんに迷惑を掛けます。たとえば、カレー屋さんをずっとやっていた人が、「売れそうだから」といって突然ロールケーキをカウンターに並べ出したら「全然違うよね。何やってんの?」ってつっこまれるでしょ(笑)
私は父の尚邦(なおくに、1942~2011)から当社を継いだわけですが、社名変更前を含めてシュゼットという会社は創業してもう50年以上になります。常に考え続けていることは「菓子屋として何をすべきか。皆さんにお菓子を通じてどのような楽しさをお届けできるか」です。私たちは菓子屋なんですよ、これからもずっと。皆さんが菓子屋に求めることを掘り出し、……それにお応えして……また、次の展開を考え……ということを永遠に続けるのだろうと思います。
–確かに、シュゼットさんは複数のブランドがあり、その分利用させていただく側にとっては選択肢がたくさんあるのがありがたいです。それに、これを言うと失礼なのかもしれませんが、メインブランドのアンリ・シャルパンティエはあれだけの味と高級感がありながら決して高すぎない。
それを言ってもらえるのは失礼どころか、うれしいです。まさにアンリ・シャルパンティエの狙っていることだからです。「誰もが驚くような日本初や最先端を狙った尖ったものを、とんでもない価格で世に送り出して注目されたい!」といった類の色気はないんですよ。「アンリ・シャルパンティエ」は100店ほどのお店があり、全国の方に親しんでいただいています。「アンリさんのところのお菓子を知人に持っていったら喜んでくれた。アンリさんのでハズしたことがない」と仰っていただける、安心できるどまん中のブランドであることが重要です。
まあ、若い男女ならば、男性から女性へ愛の告白をする。エッジを立ててイチかバチかといったときに私たちの商品が選ばれなくても仕方ないところがある。でも、そこから交際が順調にいって、ご両親に「娘さんを僕にください」というときの手土産には、うちのお菓子を指名していただきたい。絶対にハズさない、というイメージが何より要求される場面ですから。従って価格もある程度予想が付く、想像の範囲内に収まることが重要です。
–ほかに自慢のポイントはどのようなものがありますか?
材料でいえば、バターなどは他社さんと相当違うかもしれません。日本ではあまりなじみのない前発酵の弊社専用発酵バターを使っています。創業者がヨーロッパを訪れた際に焼き菓子を食べたら、風味というかコクというか、とにかく味が違ったそうです。「なぜか」と調べたら、理由はその発酵バターにありました。自社でも使ってみようと思って、国内の乳業メーカーに生産を依頼したのですが、工程管理が複雑でなかなか受けていただけなかった。またヨーロッパ産に負けない濃厚な風味を実現するには相当質の良い生乳も必要になる。これはメーカー探し以上の難題でした。
でもね、一団体だけ、「協力してもいい」というところがあったんですよ。「JA浜中町(浜中町農業協同組合)」という、日本の最東端根室市に程近い北海道東部を拠点とする農協さんです。
–もしかして、「牛乳をアイスクリームのハーゲンダッツが原料に使っている」ことで知られている、あのJA浜中町さんですか? なかなか意欲的・先鋭的なJAというイメージがあります。
シーキューブという弊社の別ブランドで販売しているティラミスでも乳のすばらしさを実感していただけます。こちらで使うのはバターではなく、チーズなのですが、やはり浜中町を含む根釧地区の生乳を使用したこだわりのマスカルポーネをティラミスに使っています。
バターにしてもチーズにしても、「フランスなどヨーロッパが本場」というイメージがあるかもしれません。しかし、乳製品は振動で質が変わるそうです。ですから、長距離を運んできたものよりも日本でしっかりと作ったものの方が味や風味が勝る可能性が大いにある。クオリティーを測る検査の数値も非常に高い。
そのような素晴らしい素材が生まれる生産環境を整えてくださっている JA浜中町さんや地元の方には感謝しかありません。少しでもお返しできたらと思って、浜中町の就農支援にも会社として力添えさせていただいています。シーキューブの焼きティラミスの売り上げの一部は新規就農者の子牛の購入費用などに充てていただいています。
自己満足のチャリティーにはしない。だから、収益維持にこだわる
–それはすてきな話ですね。
でも、こういった活動は単発的な寄付行為ではなく、私たちの事業活動継続において必須の生産者支援を目的としたチャリティーなのです。
チャリティーって、「チャリティーのためのチャリティー」になるケースもあるような気がしています。
もちろん、やらないより少しでもやった方がいいのですが、寄付行為の主体となる組織にとって必然性のないスポット的なものや突発的なものは、どうしても継続性において難を抱える。そしてその脈略なく訪れるエンディングは、やめられた側にものすごいショックを与える。これは、自分が阪神・淡路大震災の被害者だったときの経験で、誰が悪いわけでもないのですが、それでも救援物資やサポートを促す報道などは日に日に減っていく。
あのときの「もしかしたら、もう見捨てられたんじゃないか」という怖い思いが自分の心の中のどこかにある。
だから、JA浜中町さんなどへのチャリティーは「絶対に続けなくてはいけない。この乳を使わせていただき、本業で適正な収益を残し、キチンと生産者の皆さまに還元する」。このループの維持が仕事を続ける励みにもなっています。
その上でもう一つ、「自分たちの本業や主力事業に返ってくるところでの支援にする」ことを心がけています。自分たちのメインストリームに関係する部分が一番メンテナンスしやすいですし還元もしやすい。責任のある行動につながるのではないでしょうか。
株式会社シュゼット・ホールディングスのステークホルダーへ向き合い方
社員やご家族に対しての思い
–各ステークホルダーについては、まずは社員の方についてお聞きします。社員からの言葉などで、社長として最もうれしかったのはどういったことでしょうか?
私が「アンリ・シャルパンティエ」を引き継いだのは、経営危機のときでした。自社商品に対する世間の評価も高くありません。家業ですので、「アンリ」のおかげで私たち家族はやってこられて、私自身は大学まで出させてもらいました。仕事として、社長としてよりも、「自分の思い出の『アンリ』はこんなもんじゃないんだ」といった悔しい気分でいっぱいでした。
社内の雰囲気は活気がなくて、白けていて……私に対しても、「今まで経営にノータッチで急に社長になった若造に何ができるのか」といった思いもあったと思います。私は直前まで全く畑違いの広告代理店に勤めていましたし。
製造・販売部門のみならず、やるべきことは山積していました。本当だったら、そこまでは余裕がないのですが、「技術の底上げも必要だろう」と考えました。「製菓コンテストに参加してみよう。その世界大会で勝ったら従業員のプライドにつながる」って提案したんです。
「商品を買ってもらえるかどうかの汲々(きゅうきゅう)のところに、そんなことやってなんになる。新社長、どうかしているんじゃないか」って思った社員もいたかもしれません。
そしたら、駒居崇宏というシェフが、「社長、やりましょう」といって手を挙げてくれたんです。実は駒居って、それまでは神戸あたりのローカルな大会でもそれほどの結果を残していなかったんです。それが、見違えるように腕を上げ、さまざまな大会でも上位に進出し始めました。とうとう2017年には、世界大会の2位にまでなったんです。「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」という、2年に1度フランスのリヨンで開かれ、「パティシエ・コンクールの最高峰」といわれるメジャーな大会です。
いやあ、「どんな苦しいときでも一生懸命訴えかければ、共鳴する人間もでてきて、期待以上のこともやってくれるんだな。こちらの本気度が問われているんだな」と思いました。それだけでなく、西山という別のシェフも同じ大会でまたも銀メダルを獲得。そこに続く他の若手たちもメジャーな大会で賞を取ってくれています。
–社員をステークホルダーとして大切にする会社は、社員の家族も大切にすると思います。社員の家族に対しては、どういった思いを持たれていますか?
特別なことをしているわけではありません。ごくごく平均的なところだろうと思います。でも、実はそれが大事なのかもしれません。季節による繁閑の差が激しい商売なので、どうしても時期が不規則なシーズンもあります。たとえば、以前はクリスマス直前になると、ケーキ作りで夜中の2時3時までフル稼働なんてこともありました。
しかし、一昨年などは夜10時には殆どのスタジオ(工場)で従業員が帰宅できました。それでいて、冷凍のクリスマスケーキではありません。すべて前日、あるいは当日の朝に作っています。「売るのは作れる分だけ。社員に過度な負担を掛けてまで必要以上に作らない」ようにしています。それでも生産総量は以前とほぼ変わっていません。
これは、先ほどお話しした駒居がリーダーになって製造工程を見直すことで、「少しでも効率よく作れないか、少しでもお客様の手元に届けられないか」と現場でがんばってくれているからできることです。
社員とその家族の日常もしっかりと守れるようにする。そういったことが、大事にするべきことなんだろうなと思っています。一昨年のクリスマスだったかな、我が社で最も多くクリスマスケーキを作っているスタジオ(工場)のチーフが、「クリスマスの当日に、初めてまだ起きている息子に会えました」って報告しに来ました。私も「おー、それはよかった」と喜び合いました。
–経営を立て直したからこそ、できることですよね?
実は、この再建にものすごい人の縁を感じる出来事がありました。
私は家業に入る2、3年前に、広告代理店に勤めながら早稲田大学の大学院に通っていたんです。このときに指導を受けていたのが、現在弊社の顧問を務めてくださっている相葉宏二教授でした。先生は、太陽神戸銀行(現三井住友銀行)に勤めていたことがあります。長く芦屋にも住まわれたこともあり、アンリもよくご存じだったんです。うちの会社を同大学院のフィールドワークで採り上げてくださった際には経営の問題点を指摘するリポートも作って、父に渡していました。
売り上げもまだ落ちておらず、経営上の問題はあっても当人らは気づいていない時期で、父は先生のせっかくのリポートを「学者さんの言っていることだから」とほったらかしにしていました。その後何年かたち、業績が悪くなって、急にそのリポートの存在を思い出したそうです。読んでみて、「ああ、相葉先生の指摘通りだ…」と創業者は思ったそうです。私はシュゼット入社直後、まだ経営陣に入っていなかった時期、「あの相葉先生にもう1回来てもらってくれ」と命じられました。そうやって、再建計画は先生に指導していただきながら立てました。
苦しいときって、「スーパー新商品はないか。それがあれば、起死回生の一撃になるのではないか」と考える傾向が当時の弊社にはありました。でも先生の意見は、「結局、フィナンシェしかないでしょ。それを柱にするべきだ」でした。先生にしたらそれまでのうちの姿をみて、「新製品を次々と出して、浮ついていてどうするんだ。みんなが求めているのはそこじゃない。あのフィナンシェのアンリじゃないか」と思われていたようです。相葉先生もある意味、うちの古いなじみのお客さんだったんです。
父もその意見を聞いて、「それでいきましょう」と迷いがなくなったようです。最初に申し上げた、「皆さんが菓子屋に求めること、それを探し出して……それにお応えして……」もここから来ています。
取引先に対しての思い
–先ほどお話にあったJA浜中町さんなどは代表的な取引先の一つだと思いますが、ほかにステークホルダーとなる取引先もたくさんあるのでしょうね。
フルーツなどであれば、JA兵庫六甲(兵庫六甲農業協同組合)さんにお世話になっています。実は兵庫県って、農産物の種類は全国有数の多さでJAさんや県もそれをもっとアピールしたい。一方、うちは四季折々にさまざまな農産物を使ったお菓子を作りたい。互いにニーズが一致して、いいパートナーになっていただいています。
そのJA兵庫六甲さんが開催されたイベントのつながりで、「二郎いちご(にろういちご)」の生産農家さんとも取引があります。六甲山の北側あたりが生産地で、水分量の多さが特長のみずみずしい、イチゴ狩りで大人気の品種です。普通だったら、私たちには扱えないのですが、たまたま、うちをひいきにしてくださる生産者さんがいて、無理を聞いていただいています。
地域社会に対しての思い
–今や全国に店舗を展開されていますが、地元の人たちは、「芦屋・西宮のお店」という意識が強いのでしょうね。
少し前までは、そうでもなかったんですよ。CSR(企業の社会的責任)活動も熱心ではありませんでした。CSRには「地域社会への貢献」も含まれますが、そういった点はおろそかになっていました。
うちはある程度の生産量・経営規模になったので、「機械を使って、大量生産しているんじゃないか」と思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、以前も今も変わらず手作業に頼る部分が多くあるんです。それはつまり、「人手が必要」ということです。
なのに、地域との関りが薄かったからか「アンリのスタジオ(工場)が西宮にある」というのもあまり知られていなくて、地元の人からも勤め先として意識してもらえていませんでした。
「これはなんとかしないといけないな」と考えていたときに、兵庫県のスケート連盟さんと縁ができて、初心者のスケート教室の後援をするようになりました。ちょうど西宮市にスケートリンクができたタイミングです。西宮市内の全公立小学校を配布対象とした、そのスケート教室の告知チラシで弊社ブランドの名前を大々的にPRしてくださった。何せ教室の名前が「アンリ・シャルパンティエ スケート体験スクール」です。
当然、ご家庭でも話題になるので、大人たちの間にも、一気に「地元西宮に本社とスタジオ(工場)を構える会社」としての認知度が高まりました。
教室もすごい人気で、参加するのに抽選となっています。「うちの子を何とか・・・」と頼まれることもありますが、本当に人気でお断りせざるを得ません。申し訳ないことです。
あと、同じ西宮市内の近所付き合いということでは、ケータリングの2ndTable(セカンドテーブル)株式会社さんがいらっしゃいます。ケータリングのメニューって、「何か一品、これがすごい」という以上に、「嫌いなものが一つも含まれていない」のが大事なのではないでしょうか。2ndTableさんのものは、クセがなくてまんべんなく全部おいしいんですよ。うちのお菓子の品ぞろえを考える際にも大事なことですのでとても勉強になります。
金融機関への思い
-GURULIで紹介させていただいているほかの皆さんにもお尋ねしているのですが、銀行との付き合いはどのようになさっていますか?
弊社は創業時から三井住友銀行さんにお世話になっています。
この付き合いが実に長いんですよ。父が創業した頃からで、まだ、「住友銀行」の時代でした。あちらは旧財閥系の大銀行で、こちらは「街中の喫茶店」ですから。普通だったら、相手にしていただけないですよね。
上場企業で役員を務めていた祖父の口利きがあってのことだったと思うのですが、よくここまで面倒を見ていただいていると思います。
株主への思い
–そのお父様は経営改革に乗り出したとたん、69歳で心不全で亡くなられたと聞いています。蟻田(剛毅)さんへの事業承継の準備も十分な時間がなかったようにも思えます。
父が急死して困ったことは、当然、数限りなくありましたが、弊社の株が何人かの親族に分散しており、経営上の不安定要因になっていたこともその一つです。母もその株主の一人だったのですが、私が社長を継いで1年半ぐらい経ったころ、突然自身の株を「譲る」と言ってくれたんです。苦労して父と二人で立ち上げた会社の株ですから、相当な決断だったと思います。本当に感謝しています。きっかけは私を取り上げてくださったテレビ番組だったようです。それを見て「剛毅はしっかりやっているらしい」となったようでした。その上、他の株主とも話をつけて全てを私の元に集まるようにしてくれたのです。テレビさまさまです。
【プロフィール】
蟻田 剛毅(ありた ごうき)
株式会社シュゼット・ホールディングス 代表取締役社長。関西学院大学法学部卒表後、株式会社電通に入社、コンビニエンスストアのスイーツなどを担当する。在籍のまま、早稲田大学大学院に入学し、2年後国際ビジネスコースを修了する。2006年に電通を退社し、株式会社アンリ・シャルパンティエ(現:株式会社シュゼット・ホールディングス)でアルバイトとして働き始め、翌年に入社。2010年に副社長、翌年、2011年に代表取締役社長となる。赤字転落渦中での就任だったが、V字回復させた。モットーは「お菓子を通じて、お客様に“喜び”と“驚き”を。」
本社 〒662-0927 兵庫県西宮市久保町5-16 ハーバースタジオ43南館(登記上:兵庫県芦屋市公光町7-10-101)
Tel:0798-36-8700
従業員数402名(2020年10月現在)