法人情報
名称 | 株式会社サンボレ |
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代表者名 | 小田 修久 |
住所 | 広島県広島市佐伯区千同二丁目14番11号 |
URL | https://sanbole.com/ |
業種 | 自動車販売・車検・保険・ロードサービス事業 |
法人メッセージ
「土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる」。少年の記憶に刻まれた祖父の言葉を社名にした株式会社サンボレ。代表取締役の小田修久さんは、自動車販売・車検・保険・ロードサービス事業を展開し、地域で存在感のある企業に成長させてきました。経営者として転機になったのは、一般社団法人公益資本主義推進協議会(PICC)との出会い。
「祖父と父から受け継いだものとPICCの大久保会長に教わった公益性をかけあわせ、軸のある経営ができるようになった」と語ります。新社屋の元でさらなる発展を見すえる小田社長に、事業と会社を支える家族と社員、地域への想いを伺いました。
祖父にもらった「三惚れ」という言葉、父の「働くDNA」が起業への道を拓いた
―サンボレという社名は、「土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる」の「三つに惚れる」からきているそうですね。ユニークで唯一無二の社名だと思いました。自動車販売など自動車関連事業をされている御社がなぜこのような社名にされたのでしょうか。
「土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる」は、亡き祖父からもらった言葉です。自分たちが働くエリア、暮らす地域の方々を大切に想い、自分たちの仕事を天職とし、仕事を通じ人間的成長を実現する。そして何より、家族を大切に、家族の守りかたが大切。
「三つに惚れる」を大切に考えて、その想いを込めて社名にしました。
人はひとりでは幸せになれないし、また、ひとりでは何もできません。人との関わり、絆の中に全てがあり、私たちはその中のひとりです。弊社は、自動車関連の事業を通じて地域、業界、お客様、そしてそれぞれの家族が幸せになれる組織を目指しています。
また、サンボレは販売がメインの会社でしたが、東日本大震災、広島土砂災害、西日本豪雨などを経験から、災害時にも地域の役に立てる車屋になりたいと思うようになりました。それがJAFとの提携のキッカケです。2019年からJAF指定工場となり、販売・車検・保険の軸に加えロードサービス事業を本格稼働することになりました。
―とても含蓄のある言葉だと思います。心に刻んだ祖父の言葉を社名にし、地域貢献を重視した事業展開をされている御社のルーツは、ご家族にあるのですね。
自分が育ってきた家庭は、私が経営者の道に進む大きな要因になりました。兄と弟は野球で甲子園に行ったり、生徒会長をしたり、自己表現がうまかったのに対し、私は自分の居場所を見つけるのが苦手な子どもでした。昔気質の家でしたから、長男は跡を継ぐもの、次男は外へ、と小さな頃から言われていたので振り返れば自然な流れだと。
学生時代はあまり勉強熱心ではありませんでした。車やバイクに興味はありましたが、好きというほどではなかったです。たまたま卒業間際に先生のすすめで入学した自動車の専門学校で出会った人たちと波長が合い、そこからですね、自動車屋を天職にしよう、と思ったのは。そして、実際に起業を考えた時に、頭に浮かんだ言葉は「三惚れ」だったんです。
祖父は戦争を経験している世代で、厳格な人でした。
祖父が「三惚れ」という言葉を教えてくれた時は、決してポジティブには受け取っていなかったと思います。でも、なぜか心に残った。
そして、父の存在です。叩きあげのサラリーマンだった父は、懸命に働き、最後には数千人の部下を持つまでになりました。ですが、仕事一方ではなく、家族にもしっかりと目配りし、思春期の頃の私に寄り添ってくれたのも父です。「自分には父と同じ働くDNAがある」と思うことで励まされ、様々な場面を乗り越えられたのだと思います。社会に出て、父からもらった働くDNAと祖父にもらった言葉「三惚れ」を仕事で表現したい、と考えるようになったことは起業の理由の一つと思います。
社名については、悩んでいた頃に墓参りに行き、祖父と数年前に亡くなった母に手を合わせていると自然に「サンボレ」が浮かんできました。「社名にすれば、いつも近くにじいちゃんとおふくろがいて、叱ってくれているような気がする。二人に恥じない経営者になろう」、と決意してサンボレを社名に決めたのです。
地域は自分たちが根を張る場所、ともに成長するのがサンボレの在り方
―小田さんは、PICC広島支部で活動されていますが、三惚れの一つ 「土地に惚れる」は、PICCの地域貢献と重なっていると思います。
そうですね。6年前、知人の経営者の方に誘われてカンボジアでのボランティアに参加した時、その関係の会でPICCの大久保会長に出会いました。そこから大久保秀夫塾(PICC会長の大久保秀夫氏が主宰する経営塾)で学ぶようになり、企業の公益性や経営の在り方を教えていただきました。弊社は「車屋」という商売ですから、芯にあるのは商売人の根性です。それを経営の理念に昇華すること、会社を社会の公器にすることを具体的な言葉で教えていただいたことは、私の経営者人生に大きな影響をもたらしてくれました。
PICCに出会う前の私は、稲盛和夫さんや本田宗一郎さんの本を読み、そこに出てくる言葉を経営の指針にしようとしていたのですが、借り物の服を着ているようで、身についていなかった。そういう言葉を社員に話しても伝わらない。地に足がついていない状態だったと思います。
大久保塾では、公益資本主義の原則である「社会性、独自性、経済性」について、現場で使いやすいようにかみくだいて教えてくれます。言葉の使い方を教わることで、思考が固まり、経営の軸ができた。社員にも「社長の自分が思うとおりに動かなくてもいいから、お客様のためになっているかを追求する、それだけはぶれてはだめだよ」と自分の言葉で言えるようになりました。
また、祖父や父がかけてくれた言葉を再構築し、自分が起業した原点を捉え返すことができるようにもなりました。大久保秀夫塾で学んだ言葉や思考と自分自身の原理原則をかけあわせて商売していく。社員やお客様、地域社会、関わる全ての人に貢献していくことがPICCの活動だと思っています。
―具体的には、どのような地域貢献活動をされているのでしょうか。
地域とは、経済性を追求して儲ける場所ではなく、自分たちが根を張る場所であり、必要とされるサービスを提供する場所です。その象徴として実施しているのが創業2年目の2007年から行っているサンボレ祭です。地域の方にゲームやビンゴ大会、模擬店や野菜詰め放題などを楽しんでいただくチャリティーイベントです。
『良いお店は地域を明るくする』という理想と『車屋でも地域の役に立てる』という存在意義への挑戦で始まったイベントです。
第一回目は来場者数450名/お手伝いボランティアさん20名と記憶しています。それから毎年増え続けて、駐車場もないのに10月最後の土曜日は来場者が1,500名までに膨れ上がる地域の一大イベントに育ててもらいました。
当時は弊社の敷地にいくつかのブースを手作りして運営しました。
地元の障がい者施設で作ったブローチ等の作品を展示販売して売上を寄付するブース、ボランティアの方に唐揚げやポテトの屋台を家族で運営して貰い売り上げを競う飲食ブース、ニジマスを寄付してもらいプールの中で泳がせ、手作りの竿で釣り上げ、釣った魚を炭火焼で焼いて食べる魚ブース、親子で楽しめる様に射的ブース、毎年いろいろな地元の商売人が宣伝を兼ねて出店するブースなどです。
そして最後は来場者みんなで行う大ビンゴ大会。とても盛り上がります。
地域の子供達が飛び入りで店の運営に関わって商売を経験したりもします。当日を楽しみにお小遣いを貯めて参加してくれる子もいます。地域の大人たちが知り合い、仲良くなったりする場作りにもなっていることを感じます。
このサンボレ祭りはお金では測れない価値があると思います。
また、3年前に社屋を新しくした時には、パートスタッフの子どもたちの居場所になるフリースペースを2階につくりました。子どもたちが学校に行きたくない時にやってきてそこで宿題をしてもいいし、母親と一緒に何か作業をしてもいい。店舗を手伝ってくれているうちの父が子どもたちを近所の川へザリガニ釣りに連れていったりもします。
建築コストが倍になりましたが、これからの未来を作る子どもたちに貢献すること、お金以外の価値を自分が働くプロセスで見出したいと思い、挑戦しています。
仕事に関係ない、生産性のないスペースにお金を使うのは、普通の企業ではできないことで、商売人だから可能でした。よく「お客様を喜ばせる」と言いますが、それはメーカーの発想で、「この車で地球環境をよくして喜ばせよう」など技術や商品ありきのサービス展開です。商売の現場では、たくさんの店舗の中からお客様に選んでいただくために、「喜んでいただける」ことが目指すところであり、地域貢献もそのひとつです。変化していくお客様のニーズにおいていかれないよう常に挑戦しながら、地域に喜んでいただける会社でいられるよう、これからも努力していきます。
ステークホルダーへの想い
社員・家族へ
サンボレを育て、磨いてくれるのが家族や働いてくれている社員、パートのスタッフたちです。私の商売への想いを具現化し、地域に広めてくれる大切な方たちで、銀行に借金して新社屋を建設した時も、応援し、許してくれました。家族と社員、そして社員の家族に報いながら、地域の中で会社をより発展させていきたいと決意しています。
社員・家族へ
父への感謝の想い
子どもの頃から私の最大の理解者であり、最初に私を承認してくれた人です。何よりも私に働くDNAをくれたことに感謝しています。現在は仕事を引退し、サンボレを手伝ってくれていますが、近くにいてくれることで、父が私にしてくれたように社員を承認してあげたい、という意識を持ち続けていられると思います。経営者としてより努力し、父がくれた働くDNAを開花させていくことで、恩返ししていきたいです。
社員・家族へ
妻への感謝の想い
妻とは会社を設立する前から交際していて、お金もない、将来が定まっていない頃に結婚を申し込みに行き、義父に怒られました。「ちゃんと食えるようになってから結婚しなさい」と。その後会社を設立し、3年後に結婚するまでの間、妻は自分と社員のために毎日晩御飯を作ってくれ、サポートしてくれていました。
社員・家族へ
社員たちへ
現在社員3人、パートを含めて9人の体制です。
店長をつとめてくれている女性社員は、子どもが3人いるシングルマザーで、8年前に洗車のアルバイトで入社し、そこから営業に抜擢しました。働きぶりをみて彼女ならもっと活躍できると思ったからですが、最初は苦労していたと思います。地道に努力を重ねて力をつけて店長をまかせるまでになり、彼女がいたからこそ店舗を大きくすることができました。常にお客様の顔を思い浮かべて仕事に取り組み、会社のことを考えてくれる店長に心から感謝しています。
地域社会へ
先ほどもお話しましたが、弊社の社名は「土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる」の3つに惚れることを意味します。
地域で商売をするということは、店舗の明かりで道が明るくなる、商売を通じて近所の人が顔見知りになる。向こう3軒両隣を明るくするのが商売の基本だと思います。
そして、地域に受け入れてもらえているからサンボレが存在できています。さらに、地域の方がサンボレに関わってくれればよりうれしい。関わりの表現が車を買うことでも、買わなくても声をかけてくれることでもいい。JAFのロードサービス事業も、とても大変なのですが、今、目の前で困っている人を助けることができる事業ですので、地域の皆さんの安心にも役立っていると思います。
まだまだ伸びしろ満載の事業ですので、日々勉強中です。サンボレを認めてくれ、関わってくれていることに感謝しながら、地域のために発展していきたいと思います。
地域社会へ
興亜商事株式会社 代表取締役社長 奥村雄介さん
奥村さんは、カンボジアでのボランティアに参加した時にアテンドしてくれた方です。帰国後は一緒に食事をするなど親しくなり、PICCの同志でもあることから、腹を割って話せる仲になりました。もともとコンサルタントをされていて再生資源の回収を行う家業を継いだ方ですから、いわゆる「意識が高い」ところが目立ったりもして、私がそこをずばり突いたり、互いに思ったことを言い合える貴重な存在です。
未来世代へ
まず、一緒に働いてくれる社員とその家族が幸せになれることを目指します。身近な人をないがしろにしない経営が弊社の経営です。そして、地域の子どもたちの未来を作る助けをしていきたい。スタッフの子どもたちと話していると、世代が違うと、悩みも、見えている世界も違うことがわかります。私自身も会社も、それぞれに魅力も可能性もある子どもたちの力になれる存在でありたい。
ライター: