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三方よし企業の実例から学ぶビジネス戦略

コラム&ニュース Tips
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はじめに

2019年8月19日は、資本主義社会にとって歴史的な日となりました。アメリカの主要企業が名を連ねる経済団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、企業トップ181人の署名入りで、ステークホルダー資本主義への転換を宣言したのです。従来の株主重視の資本主義から、売り手の企業に関わる全ての人に利益をもたらそうという、新しい資本主義にシフトする動きが、世界中で始まったのです。

しかし、日本では江戸時代に、既にこうした考え方が確立していました。それが近江商人の「三方よし」です。

「三方よし」の起源と意義

(1)「三方よし」とは何か

「三方よし」とは、近江商人の商法を表す概念で、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を意味します。これは、取引において売り手が利益を得る一方で、買い手も満足度を得、さらにその取引が社会全体を豊かにするという考え方を示しています。つまり、一方だけではなく、全ての関係者が満足するような取引を心がけるべきであるという原則です。

対象三方よしの意味
売り手商品やサービスを提供することにより利益を得る
買い手商品やサービスを購入することにより満足度を得る
世間取引が社会全体の豊かさに寄与する

この三つの要素がバランスよく成り立つことで初めて、取引が「良い取引」とされるのです。

(2)「三方よし」のルーツ、近江商人

近江商人の中でも、特に「日野商人」と呼ばれる集団が有名で、彼らは藩の財政難を救うために藩の公認を得て、商品の売買を通じて利益を上げる一方で、その利益を地域や社会に還元するという「三方よし」の精神を体現していました。

近江商人の中で最も歴史が古い「八幡商人」は、早くから江戸に進出し、「八幡の大店(おおだな)」と呼ばれる大型店舗経営に着手しています。豪商となった伴庄右衛門家では、代々「店の資産は主人の私有財産ではない」と戒めています。

近江商人の中では後発の「湖東商人」は、農民が農閑期に近江麻布の行商を行ったのが始まりです。代表格ともいえる松居遊見は、勤勉・倹約を励行していましたが、後進のために資金を使うべき時には徹底的で、ベンチャーキャピタルやエンジェル投資家の先駆けともいうべき存在でした。

これら近江商人の成功の源泉は、「三方よし」の理念にありました。彼らは自己利益だけでなく、相手や社会全体の利益も考え、持続可能なビジネスモデルを築き上げてきました。その精神は今日のビジネスにも引き継がれ、新たな価値創造へとつながっています。

(3)江戸時代の商人の神様、石田梅岩と「三方よし」

商人の神様といわれる石田梅岩は、江戸中期に活躍した思想家です。代表作「都鄙問答(とひもんどう)」では、商人は社会を担う重要な立場にあるので、儒教の教えである「仁義礼智信」を常に心掛けるべきだと、商人の生きるべき道を説いています。

「仁」はお客様を思いやる心、「義」は私利私欲にとらわれないこと、「礼」はお客様を敬うこと、「智」は知識を得て正しい判断を下すこと、これらを心に備えることでお客様の「信」となって商売は繁盛し、社会も良くなると教えたのです。

「日野商人」も石田梅岩の思想に大きな影響を受けました。上州の奉行所から日野椀商人売買禁止令を出されてピンチに陥った際に、当時の最先端の知識であった石田梅岩の教えも取り入れ、危機を乗り切ったといわれています。

明治時代になり、石田梅岩の思想は、日本資本主義の父・渋沢栄一に受け継がれ、「道徳と経済は本質的に一致する」という道徳経済合一の思想へと変遷していき、近代日本が形づくられていきました。

日本式経営の伝統的な価値観は、近江商人の「三方よし」と石田梅岩の思想によって醸成されていったといえるでしょう。

(4)「三方よし」のいま

近年、「三方よし」の価値観は、グローバル化が進む現代社会においても注目されています。これは企業活動が国境を越え、さまざまなステークホルダーが関与する状況で、利害関係者全体の利益を追求する考え方が必要とされるからです。

特に、SDGs(持続可能な開発目標)の実現に向けた企業の取り組みとして、「三方よし」の精神が見直されています。自社の利益だけでなく、お客様や社会への利益も考え行動することは、まさにSDGsの目指すところと一致します。

また、インターネットを活用した情報発信力の拡大により、「企業の社会的責任」や「倫理的な経営」を重視する消費者の意識も高まっており、「三方よし」の考え方はますます必要とされています。

時代が変わっても変わらない「三方よし」の精神。それは今も私たちにとって重要な価値観です。

三方よしのビジネスモデルを採用した成功企業例

(1)布団の西川

1566年(永禄9年)に創業された、「八幡商人」がルーツの老舗企業です。これだけ長い歴史を持っているので、何度か経営危機に遭っています。そのたびに、「三方よし」の精神に立ち返り、大きく飛躍していきました。

例えば、江戸時代中後期の7代目・利助の時には、新興商人が力を持ち始め、西川の業績も落ちていきました。その時に、従業員のモチベーションを上げるため、「三ツ割銀」という日本で初めてのボーナス制度をつくり、年2回の決算期に純利益の3分の1を従業員に分配しました。

現在の社是である「誠実」「親切」「共栄」も、「三方よし」の精神から定められています。「誠実」「親切」を通して、人間性を尊重する人間関係の中で「共栄」を実現することを目指しています。

15代目の現社長・西川八一行氏は、「変えてはいけないものは経営理念、変えなければならないものは経営手段である」として、新しい事業にどんどんチャレンジしています。現在は寝具の卸・販売よりも、各店舗に「ねむりの相談所」を設け、睡眠に悩むお客様にソルーションを提供することを事業の柱としています。

西川株式会社
所在地:〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町8-8

(2)焼肉の毛利志満

1879年(明治12年)、滋賀県竜王町出身山之上の竹中久次・森嶋留蔵の兄弟が、東京浅草に牛肉卸小売と牛鍋専門店「米久」を開業したのが始まりです。当時は、山之上から東京まで、14日間かけて牛を数頭連れてきました。数年で26店舗にまで成長し、近江牛の名声を不動のものにしました。

1978年から現在の「毛利志満(もりしま)」を開店。店名には「三方よし」の理念を反映させました。髪の「毛」ほど細いわずかな「利」益で、勤勉・倹約・正直・堅実の「志」を忘れず、すべての人に「満」足していただける店を目指すという意味です。

毛利志満の牧場では、兵庫県但馬牛の血を引く血統正しい生後7カ月の雌牛のみを育てています。黒毛和牛の中でも最高級と評される牛です。1頭100万円近くもする仔牛を10頭も仕入れてくる先物買いなので、良い牛に育つという正確な目利きが必要です。長年の経験で培われた毛利志満の強みがそこにあります。

丹精込めて育てた牛たちは、決して市場に売却しません。すべて店を訪れるお客様に食べていただきます。そうすることで、相場に右往左往することなく、最高品質の肉を安定した価格で提供できるからです。市場で利益を追求するよりも、創業当初から持っている「三方よし」の魂を受け継いだ結果、現在も多くの人に愛される店が継続しているのです。

森島商事株式会社
所在地:〒520-2531 滋賀県蒲生郡竜王町大字山之上2481

(3)伊藤忠商事

伊藤忠商事の創業者・初代伊藤忠兵衛は「湖東商人」でした。丸紅も忠兵衛が創業者です。彼が麻布の行商を始めた1858年(安政5年)が伊藤忠と丸紅の創業年となっています。

総合商社の伊藤忠は、「三方よし」の精神を現代に受け継いで事業を展開してきました。1995年に制定された経営理念「豊かさを担う責任」もその精神から生まれたものでした。ところが、コロナ禍によって経営環境が劇的に変化したため、原点に返る意味を込めて2020年に経営理念を「三方よし」に改定するに至りました。

折しも、その前年には日本政府が「SDGsアクションプラン2019」を策定し、本格的にSDGsを推進するようになっていました。SDGsは伊藤忠1社の力では達成できないという考えから、2021年4月に「ITOCHU SDGs STUDIO」を本社ビル敷地内に開設。SDGsに取り組む企業や団体を後押しする場として、情報発信ができる展示スペースを無償で提供しています。

また「ITOCHU SDGs STUDIO」では、エシカル消費(人・社会・地球環境に配慮した倫理的に正しい消費)ができるコンビニやカフェも設置されています。さらに、次世代を担う子どもたちが遊びを通してSDGsを学べる「ITOCHU SDGs STUDIO KIDS PARK」もオープンしています。

このように、伊藤忠は「三方よし」の経営理念の下、自社の利益だけでなく、ビジネスを通じて社会課題の解決を目指し続けています。

伊藤忠商事株式会社
所在地:〒107-8077 東京都港区北青山2-5-1

(4)日本生命

彦根出身の弘世助三郎の呼び掛けで、1889年(明治22年)に創業しました。日本生命では現在、「お客様本位の業務運営」と「サステナビリティ経営」を推進しています。これらの取り組みも「三方よし」の精神から生まれているものです。

株主が存在しない相互会社という形態は、お客様が会社の構成員となるので、「お客様本位の業務運営」という視点は必須となります。お客様の目線は、株主よりも多様であり、時には厳しいものになります。通常の株主とは異なり、お客様とのコミュニケーションが密でなければなりません。

保険というものは、長い年月をかけてお客様と付き合うものです。つまり「お客様本位の業務運営」の根幹は、「お客様に対する長期にわたる保障責任を全うする」という思いを持ち続けることだとしています。そのためには、自社が持続可能になっていなければなりません。また、事業を誠実に行っていくことが、社会のサステナビリティに貢献することにもつながると考えています。

日本生命では、コーポレートガバナンスについて、コンプライアンスはあくまでベースであって、お客様の利益、企業の利益、企業で働く人々の利益、社会の利益、これらが調和して発展していく経営こそ、健全なガバナンスが実現していると考え、事業展開を行っているのです。

日本生命保険相互会社
所在地:〒541-8501 大阪府大阪市中央区今橋3-5-12

(5)東レ

世界的な素材メーカーであり、繊維産業から浄水器、宇宙開発まで、幅広い分野で活躍する東レも、1926年(大正15年)に滋賀県で創業された近江商人の精神を受け継ぐ企業です。「企業は社会の公器である」と「三方よし」という考えの下、事業を展開しています。

「人を基本とする経営」を掲げ、創業以来、良き社会人を育成し、社員のモチベーションを向上させることに務めてきました。「企業の盛衰は人が制し、人こそが企業の未来を拓く」という精神は、国内はもとより、習慣や文化が異なる海外の社員にも広まっています。

「発展」と「持続可能性」の両立という課題に対して、革新技術・先端材料の提供によって、本質的なソリューションを提供していくことを、グループの使命としており、アフリカで砂漠や荒廃地の緑化に取り組むなど、社会貢献にも尽力しています。

長期経営ビジョン“TORAY VISION 2030”では「自らの成長が世界の持続可能性に負の影響を与えない努力を尽くす」と宣言し、パリ協定やSDGsなど、世界的目標の達成を目指しています。

東レ株式会社
所在地:〒103-8666 東京都中央区日本橋室町2-1-1 日本橋三井タワー

(6)ヤンマー

1912年(明治45年)にヤンマーを創業した山岡孫吉は、世界初の小型ディーゼルエンジンを開発した人物です。琵琶湖の北、滋賀県長浜市高月町の農村に生まれた山岡は、故郷の農家が苦しんでいた過酷な労働環境を改善したいという一心で、エンジンの小型化にこだわり続けた、地域愛にあふれる発明家でした。

現在でもヤンマーでは、山岡の故郷でもある滋賀県の近江商人が大切にしていた「三方よし」の精神を忘れていません。その象徴となるのが、2018年、本社1階にオープンしたショールームです。建機事業の歴史や未来のコンセプトモデルを展示し、お客様とのコミュニケーションを深めています。

売り手が良くならないと、買い手も良くならないと考えるヤンマーでは、従業員のエンゲージメント向上を最重要のファクターにしています。工場の在り方を改善し、ショールームを開設していくことで、従業員の労働環境が大きく変わり、エンゲージメントを総合的に上げていきました。

さらに、年に1回、ショールームに地域の住民や子どもたちを招き、感謝祭を開催し、地域の活性化にも貢献しています。このショールームは、まさに「三方よし」を実現するための場所として機能しています。

ヤンマーホールディングス株式会社
所在地:〒530-0013 大阪市北区茶屋町1-32

(7)武田薬品工業

奈良県に生まれた初代・武田長兵衞は、14歳のときに薬種商を営む近江屋喜助の店の丁稚奉公となり、近江商人の信条を教え込まれました。その長兵衞が独立した1781年(天明元年)が武田薬品工業の創業年となっています。

当然、創業以来「三方よし」の経営哲学を持ってきましたが、それを明文化したのは五代目・長兵衛です。1940年、「三方よし」の現代版として社是「規」を定めました。これが2004年には「タケダイズム」となり、「誠実・公正・正直・不屈」がうたわれるようになりました。

さらに2019年には、「すべての患者さんのために、ともに働く仲間のために、いのち育む地球のために」という「私たちの約束」が追加されました。製薬会社として、患者のため良い医薬品を作ることは当然です。しかし、一緒に仕事をしている人間が成功しない限り会社は成功しませんし、地球のためにならない成功もあり得ません。これを企業理念として明確にしたのです。

世界中に広がったコロナパンデミックは、日本にも容赦なく襲いかかりました。そのような中で武田薬品が開発した新しいコロナワクチンが、2022年4月に承認されました。零下15度以下の冷凍保存を要する先行のmRNAワクチンと異なり、通常の冷蔵保存が可能で、年間2億5000万回接種分が山口県の工場で製造されます。

世界トップクラスの製薬企業をメガ・ファーマと呼びますが、武田薬品は日本企業として初めてメガ・ファーマの仲間入りをしたのです。

武田薬品工業株式会社
所在地:〒103–8668 東京都中央区日本橋本町2–1–1

(8)無印良品

無印良品は、西友のプライベートブランドとして1980年(昭和55年)にスタートしました。当時のコンセプトは、ソーシャルグッドでした。ソーシャルグッドとは、社会によいインパクトを与える活動・商品・サービスを指します。

それまで捨てられていたサケの頭や尾の周りの部分や、割れてしまった干しシイタケなどを安く販売し、社会問題となっている食品ロスを減らすことも目指しました。生産者、店舗、社会によい、まさに「三方よし」の精神で誕生したブランドでした。

1989年に良品計画が設立され、無印良品のブランドを引き継ぎました。無駄な装飾を省いた、シンプルで分かりやすい商品を提供する姿勢は今も変わっていません。

しかも2018年には、良品計画の中にソーシャルグッド事業部が新設されました。まさに無印良品の原点「三方よし」を再確認する施策でした。この事業部が主体となって、無印の店舗で、地元の農産物直売所なども販売しています。店舗まで足を運べない高齢者ために、移動販売の「MUJI to GO」もスタート。しかも車両と運行は地元のバス会社に委託するなど、地域経済にしっかりと貢献し、ソーシャルグッドを実現しています。

株式会社良品計画
所在地:〒170-8424 東京都豊島区東池袋4-26-3

(9)伊藤園

1964年(昭和39年)に創業した伊藤園は、お客様第一主義を強調しており、「三方よし」を企業理念に明示しているわけではありません。しかし、常務執行役員CSR推進部長(2017年当時)笹谷秀光氏は、「発信型三方よし」で運営されていると語っています。近江商人の思想には「陰徳善事」(人に知られずとも善行を積む)が根強くありますが、逆に良い取り組みをどんどん発信していくことで「三方よし」が実現しているというのです。

伊藤園では、栽培された茶をすべて買い取るので、農家の経営は安定化します。耕作放棄地を使うので地域課題も解決し、環境保全や雇用の創出もできます。伊藤園は高品質な茶葉を安定的に調達でき、農家も経営が安定し、地域も活性化するという「三方よし」です。

さらに、こういった取り組みを積極的に発信していくので、他業種からの参入もあります。例えば、時期によって繁閑の差がある運送業者が、閑散期に耕作放棄地でお茶を作り、そのお茶を自社で運ぶことで経営を安定化させています。まさに「世間よし」です。

インターネットが普及した現代では、こうした「発信型三方よし」が求められているのかもしれません。

株式会社伊藤園
所在地:〒151-8550 東京都渋谷区本町3-47-10

(10)アスクル

従業員数50人未満の中小事業所は全体の約94%です(2021年経済センサス基礎調査より)。そういった少人数のオフィスに、大規模事業所なみのサービスを提供することを目的として、1993年(平成5年)に創業したのがアスクルです。創業当時から、「三方よし」の精神で運営されています。

社名の由来となっている「注文した商品が明日には来る」というビジネスモデルも、リーズナブルな価格も、すべてお客様の声から始まっています。「お客様のために進化する」という企業理念のとおり、常にお客様の声を聴きながら、商品、サービスの内容、システム、そしてアスクル自身も進化させつづけているのです。

そのためには、アスクルで働く人たちが心身共に健康な状態であることだと大切だと考えています。現場の最前線で働く物流センターの従業員に食事を無料で提供する「働く人を応援する仕組みづくり」に取り組んでいます。

さらに、コピー用紙1箱に対して2本の植林をする「1box for 2trees」を2010年から実施、2015年にはインドネシアの「木の畑」から収穫した原材料でオリジナルコピー用紙を作るまでになりました。原材料をサスティナブルに確保し、事業活動を通じて社会課題を解決する取り組みも積極的に進めています。

アスクル株式会社
所在地:〒135-0061 東京都江東区豊洲3-2-3 豊洲キュービックガーデン

(11)サントリー

1899年(明治32年)に鳥井信治郎が20歳の若さで創業したサントリーは、次のような強い信念を持っていました。「事業によって利益を得ることができるのは、人様、社会のおかげだ。その利益は『お客様、お得意先』と『事業への再投資』と『社会への貢献』に役立てる」。これを「利益三分主義」と呼び、現在でもサントリーの企業理念の一つになっています。

飲料メーカーとして着実に成長していったサントリーですが、信治郎は1921年に本格的な社会貢献事業を始めます。大阪の生活困窮者たちに対して無料診療や施薬を目的とした「今宮診療院」を開設し、現在も「邦寿会」として継続しています。その後、「邦寿会」から特別養護老人ホームや保育園などを開設。2008年には最新鋭の高齢者向け総合福祉施設「どうみょうじ高殿苑」を開いて、2011年には大阪市から地域包括支援センター事業を受託しています。

社員は「働き改革」で生まれた時間を自己の成長につなげるために、ボランティア活動を積極的に行っています。社内イントラサイトで、ボランティア情報を掲載し、申し込みシステムとして活用しています。今では枚挙にいとまがないボランティア活動が社員たちによってなされています。

お客様においしい飲料を提供し、福祉事業やボランティアで社会に貢献し、その活動を通じて社員も成長する。まさに「三方よし」を実践する企業です。

サントリーホールディングス株式会社
所在地:〒530-8203 大阪市北区堂島浜2-1-40

(12)パナソニック

1918年(大正7年)にパナソニックを創業した松下幸之助は、「経営の神様」と呼ばれているだけあり、当然「三方よし」の精神を大事していました。日本の高度経済成長期を支えた大企業であることは、誰もが周知のことでしょう。

2020年から始めた値引き不可の指定価格制度も、「三方よし」のスキームだとパナソニックは語っています。簡単にいうと、家電量販店が在庫リスクを負わない代わりに、パナソニックが販売価格を指定し、そこからの値引きを認めないというものです。

従来の取引では、量販店はメーカーから商品を買い取ります。買い取ってしまっているので、残った商品は値引きしてでも売らなければなりません。その結果、量販店の利益は減ってしまいます。値引き不可の指定価格制度では利益が減らず、在庫のリスクもないので、量販店にとってメリットがあります。

お客様のほうも、いつどこで買っても同じ価格なので、安心感や信頼感があります。「違う店で買ったほうが安かった」「3日後に買ったほうが安かった」ということもなくなり、メリットになります。

パナソニック自身も、高付加価値商品を適正価格で販売できて、適正な利益を確保できるというメリットがあります。

もちろん、この取り組みは始まったばかりなので、業界内でも賛否の声があることは事実ですが、量販店からはおおむね高評価を得ています。いずれにせよ、常に「三方よし」の視点で物事を見つめ直すという精神が根付いている会社だと分かる取り組みです。この精神があったから、世界的な家電メーカーに成長したのでしょう。

パナソニックホールディングス株式会社
所在地:〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル

(13)たねやグループ

1872年(明治5年)に創業した老舗和菓舗です。近江商人発祥の地、滋賀県近江八幡を拠点にしています。「三方よし」の精神を生かし、常に時代をリードするお菓子作りを展開してきました。

創業当時から、「天平道(てんびんどう)」「黄熟行(あきない)」「商魂(しょうこん)」の3つを理念として掲げています。「天平道」は、商いの道は人の道ということ。「黄熟行」は自然に学び、手塩にかけ、思いやりや真心を忘れないということ。「商魂」は、お客さまに喜んでもらえたかどうかを心の基本とすること。

これらの理念を分かりやすい形にした「末廣正統苑(すえひろしょうとうえん)」という冊子を作っています。社員は1人残らず、それぞれの番号が入った「末廣正統苑」を持ち、朝夕に唱和することを通して理念を浸透させています。接客マニュアルを覚えさせるのではなく、理念を共有させることで、通り一遍の接客ではない、心の通ったサービスができるのです。

「自然やステークホルダーへ配慮ができないような商品は廃番にする」というくらい、変わり続けることには一切厭いません。そもそも創業時は材木屋だったのです。企業理念は一切変えず、世の中が求めていることには柔軟に対応する姿勢が、150余年続く長寿企業をつくり上げたのです。

株式会社たねや
所在地:〒523-8533 滋賀県近江八幡市北之庄町615-1

(14)ツカキグループ

1867年(慶応3年)の創業以来、「三方よし」を理念に掲げてきた京都のファッション専門商社です。

より具体的には、「売り手よし」は「利益を上げ、自立したビジネスを行い、世間の風潮に流されない自律性を持つ」、「買い手よし」は「今、お客さまに喜んでいただき、20年、30年後も永く信頼をしていただく」、「世間よし」は「世の中に役立つビジネスを行い、社会貢献に努める」と定めています。

ツカキグループでは、「三方よし」の実践には、やりがいのある社内環境が必須だと考えています。そのために、例えばプロジェクトリーダーを若手が務め、力を発揮するチャンスを与えています。それによって社内が活気にあふれ、モチベーションが上がり、結果的にお客様の信頼を得て、商品の評価へとつながっています。

伝統文化を絶やすことなく、未来に伝えることを使命としているため、京都の伝統工芸である西陣織のマーケット拡大を図り、世界の名画を織物で再現するといったアートという新分野の開拓にも力を注いでいます。その技術は、2010年、世界最大の国際ファーコンベンションIFF REMIXにおける銅賞や、2023年、西陣織大会・内閣総理大臣賞など、数々の業績に表れています。

文化事業や文化的施設の保存や再生にも、努力を惜しみません。社会や地域に支持され、育てられてきたツカキグループの「感謝のかたち」だと考えているからです。

塚喜商事株式会社
所在地:〒600-8412 京都市下京区烏丸通仏光寺上ル二帖半敷町661(ツカキスクエア)

(15)とくし丸

2012年(平成24年)に徳島県で創業した移動スーパーのとくし丸。トラックを走らせ、顧客に食品を届けるというアナログなビジネスですが、2022年現在、47都道府県でトラックの台数は950台に達し、契約スーパーは140社を超えました。

ビジネスモデルは次のとおりです。とくし丸のスタッフは、約1カ月かけて8000世帯を調査し、「本当に買い物で困っている人」を探します。そういった人がいる周辺のスーパーに、とくし丸がノウハウを有償で提供します。

スーパーは、販売パートナーに商品を販売委託します。販売パートナーが顧客を訪問して商品を販売します。

このサービスは、徒歩圏内に店舗がなく、「買い物難民」となっているシニア層に喜ばれています。行動範囲が狭くなったシニア層にとっては、好きなものを選んで、購入し、食べることは、最高のエンタテインメントなのです。

スーパーにとっても、安定した売り上げを確保できます。地域社会にも貢献できるため、ブランディングや社内の意識改革にも役立ちます。

販売パートナーにとっても、トラックさえ用意できれば、未経験であっても成功を収められるとともに、地域貢献をしている実感を持つことができます。

地方自治体にとっても、シニアの社会的孤立を解消し、地域のコミュニティーが再生するので、社会問題の解決につながります。また、販売パートナーになるためにUターン・Iターンをしてくる人もいるため、雇用の創出にもつながっています。

とくし丸、スーパー、販売パートナー、買い物客、地方自治体が喜ぶ、「三方よし」ならぬ「五方よし」を実践している成長企業です。

株式会社とくし丸
所在地:〒770-0846 徳島市南内町1丁目65-1 リバーフロント南内町3F

(16)イシダグループ

1893年(明治26年)に創業した、食の安全安心を支える計量包装の総合機器メーカーです。明文化された企業理念は、ずばり「三方よし」です。

普段の生活でイシダの製品を目にしたことがないという人が多いと思いますが、実はポテトチップスなどの袋菓子や、生鮮食品、惣菜などの食品は、すべてイシダの「はかる・包む・検査する」機器を利用して商品の形になっています。食のライフラインを安定供給させることを使命としている会社です。これが「買い手よし」「世間よし」の部分です。

「売り手よし」は、当然そのような事業を通じて利益を得ることもそうですが、イシダではそれよりも、社員一人一人に安定して働きがいのある職場環境を提供することに力を注いでいます。お客様に喜ばれ、社会に役に立つために自ら考えて行動できる人には、年齢に関係なく活躍する機会が与えられます。女性活躍推進や社内交流なども活発です。

事業のみならず、次世代育成、スポーツ支援など、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいます。

創業以来、一度も赤字を出したことのない超優良安定企業となっている秘訣は、企業理念「三方よし」の実践に他なりません。

株式会社イシダ
所在地:〒606-8392 京都府京都市左京区聖護院山王町44

(17)小泉産業グループ

近江の国に生まれた小泉太兵衛が麻布を仕入れ、行商を始めた1716年(享保元年)が小泉産業の創業年となっています。太兵衛は「三方よし」を基本に、商いに打ち込んでいきました。家訓には「お得意様、お客様の信用・信頼を得ることを何事にも優先する」「投機的な仕事、濡れ手に粟の商法は厳しく戒める」などの信条が残されています。

現在は、照明事業、家具事業、設備機器販売・施行事業、物流事業などを手掛ける企業へと成長していますが、300余年を経た今も、小泉産業には変わらずその精神が刻み込まれています。社章の三つ鱗(鱗に見立てた正三角形を積み上げて描いたもの)は、まさに「三方よし」を表現しています。

また、企業の永続的な発展の源泉を「ヒト」と捉え、社是に「人格の育成向上」を掲げ、実践しています。社会貢献では、児童養護施設への「デスク・コタツ」寄贈活動、大学での「照明基礎講座」、地域清掃活動など、社内では家族見学会、入社してから段階的に行われる教育プログラム「コイズミアカデミー」、組織風土改革など、実にさまざまな活動を展開しています。

「小泉らしさ」は残しつつ、常に最適な事業構成や組織を模索し、時代に即した柔軟な経営体制で、お客様や社会への貢献を目指しています。現在は、「モノ売りからコト売りへ」という方針で、お客様に付加価値を提供できる体制を敷いています。

小泉産業株式会社
所在地:〒541-0051 大阪府大阪市中央区備後町3-3-7

(18)フジテック

1948年(昭和23年)に創業したフジテックは、「三方よし」の精神をもとにしたサステナビリティ方針を掲げている、エレベーター・エスカレーター・動く歩道の専業メーカーです。

2023年5月より、フジテックは自社の工場からエレベーター製品を運搬する際に、1車両でトラック2台分の荷物を運ぶ「ダブル連結トラック」を新たに2車両導入し、話題となりました。貨物自動車運送事業を営むセンコー株式会社と、旭化成ホームズ株式会社 施工本部 物流部をパートナーとして開発された取り組みです。

物流業界では、ドライバーに対して「時間外労働の上限規制」が適用され、深刻な労働不足が予測されています。いわゆる「2024年問題」です。ダブル連結トラックは、長距離輸送で1人のドライバーが大型トラック2台分の荷物を輸送できるので、「2024年問題」への対応策になると期待されています。

社会課題の解決に貢献すると同時に、効率的で安定した物流体制の構築を図り、社会・パートナー企業・自社にとって利益のある「三方よしの輸送法」を開発したことにより、第24回物流環境大賞(2023年)特別賞を受賞しています。

フジテック株式会社
所在地:〒522-8588 滋賀県彦根市宮田町591-1

(19)タオルのやまうち

1920年 (大正9年)の創業以来、山内株式会社は経営の基本姿勢として「三方よし」の精神を守り続けてきました。ビジネス環境が目まぐるしく変化する今日においても、そして未来においても、この精神は決して変わることはないと語っています。

使う人にとって本当に良いものだけを適正な価格で供給し、そうして得た利益は、お客様、仕入れ先、製造パートナー、消費者、株主などに還元すると同時に、社会貢献につないでいくと宣言しています。

タオルは人の顔に直接触れるものですから、素材や検針・検品には最善を尽くしています。

素材については、トレーサビリティーを徹底的に確保し、誰が、どこで、どんな種類の綿花を、どのような方法で栽培したのかということまで、客観的な資料に基づき把握しています。

検品・検針については、専門の検査会社を設立し、人による触診や、最新鋭の検針機器よるチェックを何度も入念に行い、最大の安全性を追求しています。万全を期すため、検査ラインは完全な一方通行として、絶対に前の工程に戻すことはできない仕組みも構築しています。

本当に良いもの、お客様に自信を持ってお薦めできるタオルを作るために、これだけの手間を掛けているのです。ここまでの取り組みは、「三方よし」の精神が根底にないと、なかなかできないことでしょう。

山内株式会社
所在地:〒592-0013 大阪府高石市取石2丁目18-16

(20)クラダシ

2014年(平成26年)に創業したクラダシは、買い物を楽しむことで得をするソーシャルグッドマーケット「Kuradashi」を通じて、フードロスの削減や、誰もが気軽に社会貢献に参加できる仕組みを構築しています。具体的には、賛同メーカーにより協賛価格で提供を受けた商品を、最大97%OFFでお客様へ販売し、その売り上げの一部が社会貢献活動をしている団体へ寄付されるというものです。

賛同メーカーは、従来廃棄していた商品を売ることができる、消費者は大幅な割引価格で購入できる、社会貢献団体は寄付金をいただける、そしてクラダシ自身も利益を得られるという、「四方よし」のビジネスモデルです。

創業当時はあまり理解を得られず苦戦しましたが、2015年9月25日、国連総会で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され、潮目が変わりました。「目標12 つくる責任 つかう責任」のターゲットに「2030年までに廃棄物の発生防止、削減、再生利用及び再利用により、廃棄物の発生を大幅に削減する」というものがあったからです。まさにクラダシの事業そのものでした。

その後、事業は成長し、2020年には、第3回日本サービス大賞・農林水産大臣賞を受賞するまでになりました。今後も日本・世界で取り組まれるSDGsの活動とともに、クラダシのビジネスは拡大し続けるでしょう。

株式会社クラダシ
所在地:〒141-0021 東京都品川区上大崎3-2-1 目黒センタービル5F

「三方よし」を実現していくための具体的な方法

上記の事例から分かるとおり、企業理念・経営理念として「三方よし」を掲げているだけでは、実践につながるとは限りません。実際に、上記の企業のすべてが「三方よし」を明文化して掲げているわけではありません。要は、経営者はもとより、社員一人一人にその精神がしっかり根付いているかということが重要です。

近江商人の時代から続く企業であれば、「三方よし」の精神は「DNA」のように不可分一体になっているかもしれませんが、そうではない企業はやはり理念としてしっかり文章にしておくべきでしょう。たねやグループのように、社員がそれを毎日唱和することも良い方法でしょう。

科学哲学の中に「パラダイム論」というものがあります。科学者でさえ、パラダイム(思考の枠組み)に影響されて、科学理論を導き出しているというものです。例えば、自然にも魂が宿るというパラダイムを持っていたアリストテレスは、石を地面に落とすとだんだん速くなる現象を、「故郷が近づくと足が早くなるのと同じだ」と説明しました。魂を持った石が、生まれ故郷の地面が近づくと、うれしくて速度が速くなるというのです(現代では、この現象は重力加速度として説明されています)。

つまり、社員のパラダイムが「三方よし」になっていれば、どんなことでも「三方よし」を基準にして考え、行動することができるということです。そういった社員教育が、第一に必要なのではないでしょうか。

「三方よし」を継続するための課題と対策

世の中のすべてが「三方よし」で動いているわけではありません。そして、時には「一方よし」「二方よし」の利益追求をしている企業が成長していくこともあります。短期的には、「三方よし」の企業が苦しい立場になることもあるでしょう。

しかし長期的に見れば、確実に「三方よし」のビジネスが残っていくはずです。上記の事例でも、創業100年以上の企業が多いのはそのためです。クラダシの例でも分かるように、時代の流れによって、「三方よし」のビジネスは確実に理解されていきます。しっかりと信念を持って、苦しい時は耐える覚悟も必要です。

「それは精神論だ」といわれるかもしれませんが、そもそも「三方よし」が精神論です。その精神に基づいてビジネスをしていこうという信念があれば、打開策はきっと見つかるはずです。「そんなに甘くはないさ」という人は、そもそも「三方よし」には向かないのだと理解して、違ったビジネスのやり方を模索したほうがよいのではないでしょうか。

まとめ

いかがでしたか? 近江商人の時代から現代まで、多くの企業に「三方よし」の精神は脈々と受け継がれてきました。ステークホルダー資本主義やSDGsなど、現代はまさに「三方よし」の精神で経営していく企業が台頭していく時代です。成功事例に学び、皆様のビジネスにも、ぜひ「三方よし」を生かしていただきたいと思います。

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ライター:

1964年生まれ、群馬県出身。国立群馬高専卒。専攻は水理学と水文学。卒業後、日刊紙『東京タイムズ』をはじめ、各種新聞・雑誌の記者・編集者を務める。その後、映像クリエーターを経て、マルチメディア・コンテンツ制作会社の社長を6年務める。現在は独立し、執筆と映像制作に専念している。執筆は理系の読み物が多い。 研究論文に『景観設計の解析手法』、『遊水モデルによる流出解析手法』、著書に科学哲学啓蒙書『科学盲信警報発令中!』(日本橋出版)、SFコメディー法廷小説『科学の黒幕』(新風舎文庫、筆名・大森浩太郎)などがある。

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