
ポルトガル代表FWディオゴ・ジョタが、28歳で交通事故により急逝。サッカー界に衝撃が広がっている。
結婚からわずか10日後の悲劇 ジョタが28歳で急逝
イングランド・プレミアリーグのリヴァプールに所属し、ポルトガル代表としても活躍していたFWディオゴ・ジョタが7月3日、スペイン・サモラ県で交通事故により28歳の若さでこの世を去った。乗っていた車両は炎上し、同乗していた弟アンドレ・シウヴァ(25歳)とともに帰らぬ人となった。
事故は現地時間3日午前0時30分頃、高速道路A-52で発生。高級車ランボルギーニで移動中、追い越しの際にタイヤが破裂し、車両がコントロールを失って道路から外れ、激しく炎上したという。スペイン治安警察によれば、他車の関与は確認されておらず、タイヤのパンクが直接の原因と見られている。
ジョタは2025年5月にリヴァプールのプレミアリーグ優勝に貢献し、続く6月9日にはポルトガル代表としてUEFAネーションズリーグ優勝を果たした。そして6月22日には長年のパートナー、ルーテ・カルドーソさんとの結婚式を挙げ、3人の子どもとともに家庭を築いていた。この事故は歓喜の瞬間が続いていた最中の悲劇だった。
医師の勧告で車移動を選択 リヴァプール復帰の途中だった
ジョタは事故直前、UEFAネーションズリーグの後に簡易な肺の手術を受けており、医師からは機内の気圧上昇を避けるために飛行機移動を控えるよう勧告されていた。そのため、リヴァプールのプレシーズントレーニングに合流するため、スペイン北部サンタンデールからイギリス・ポーツマス行きのフェリーに乗るべく、車での移動を選択していたとされる。
乗車していた車はリコール対象だった可能性
ジョタ兄弟が乗っていたとされるランボルギーニ・ウラカンは、過去に複数の安全リコールが報告されていた。英『The Sun』によれば、車両の視界を妨げるヘッドライトの不具合や、ドア解除ケーブルの固定不良による緊急脱出困難といった安全上の問題が指摘され、リコール対象となっていたモデルもある。ジョタの乗車していた個体がそれに該当するかは現在調査中のようだが、リコール履歴のある車種での死亡事故という疑惑は、サッカー界のみならず自動車業界にも衝撃を与えている。
世界中から追悼の声 “クラブの魂”が残した功績
ジョタは2020年にウォルヴァーハンプトンからリヴァプールに移籍し、公式戦182試合で65ゴール26アシストを記録。昨季(2024-25シーズン)はリーグ戦26試合で6ゴールを挙げ、リヴァプールのプレミアリーグ優勝に大きく貢献した。またポルトガル代表としても49試合に出場し14得点を記録。UEFAネーションズリーグでは優勝メンバーとして名を刻んだ。
この急逝を受け、サッカー界からは多くの追悼のコメントが溢れている。ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドもSNSで「受け入れがたい。安らかに眠ってくれ」とコメント。日本代表の遠藤航も「彼と過ごした日々はかけがえのない思い出」と哀悼の意を表している。
「20番」は永久欠番 クラブが示した敬意
リヴァプールFCは、ジョタの背番号「20」を「不滅の番号」として永遠に欠番にする方針を発表した。クラブの公式サイトでは、「この想像を絶する喪失に直面している家族、友人、チームメイトへの敬意を払い、クラブとしてこれ以上のコメントは控える」としている。彼の突然の死は、家族やクラブメイトだけでなく、世界中のサッカーファンにとっても大きな衝撃であり、彼が遺したプレーと人間性は、永遠に語り継がれるだろう。
サッカー界が失った“かけがえのない存在”
ジョタの死は、単なる一人の選手の訃報ではない。ピッチ内外で仲間を支え、家族を愛し、代表として国の誇りとなってきた彼の人生は、まさに“全力を尽くす”ことの象徴だった。その訃報は、私たちに「今日という日がどれだけ尊いか」を思い出させる。
彼が残した記憶と軌跡は、今後もサッカー界の心に刻まれ続ける。
安らかに。Diogo Jota。