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親の責任か、学校・市の落ち度か? 福岡県みやま市・小1窒息死に6,000万円請求 SNSで割れる声

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福岡県みやま市小学一年生、給食でうずらを食べて死亡

6月6日、福岡県みやま市の市立小学校で発生した給食中の窒息事故をめぐり、死亡した小学1年生男子児童(当時7歳)の父親が、みやま市に対し、慰謝料など6,000万円の損害賠償を求めて提訴した。

事故が起きたのは2024年2月26日。給食で提供された「みそおでん」に入っていたウズラの卵を喉に詰まらせた児童は、教職員による救命措置を受けたものの、搬送先の病院で死亡が確認された。第三者委員会による調査では、児童に健康上の問題はなく、事故の直接的な原因は特定できなかった。

 

最後の言葉は「学校に行ってきます」遺族側の主張は?

今回の訴訟で遺族側が問題視したのは、教員の初動の遅れや判断の不備だった。担任教諭は新任であり、ウズラの卵が窒息リスクを伴うという知識を事前に共有されていなかったとされる。また、給食中に児童が異変を示していたにもかかわらず、その反応を見過ごした可能性があること、さらに校内での対応から119番通報に至るまでの判断に時間を要した点も、提訴の根拠として挙げられた。

保護者説明会に209人、「なぜウズラの卵を?」

 

事故の翌日、学校で開催された保護者説明会には209人が出席し、40分にわたり非公開で行われた。保護者たちからは、「ウズラの卵という危険性のある食材がなぜ使われていたのか」といった疑問が相次いだ。市教育委員会は、「球状の食品による窒息事故の事例は文部科学省の『食に関する指導の手引き』でも過去に明記されており、一定の認識はあった」と説明。

当面はウズラの卵を使用しないとしたうえで、「すべてのリスクを排除するのではなく、食材の特性を理解し、正しい食べ方を学ぶことも食育の一環である」と理解を求めた。

ウズラの卵はなぜ使われたのか?

 

なぜウズラの卵が使われていたのか。その問いには、献立を設計する現場の事情が関係している。ウズラの卵は、栄養価が高く、煮物や中華丼など多様なメニューに取り入れやすい食材として、長年学校給食で使用されてきた。見た目の彩りや子どもたちの好みにも合致することから、「定番食材」として扱われていたという。

文部科学省の「学校給食実施基準」や「学校給食衛生管理基準」では、特定の食材を排除する方針は取られておらず、多様な食体験を通じて子どもたちに栄養のバランスと食文化への理解を育むことが推奨されている。その背景には、給食を通じた食育という理念がある。ただし、その理念が安全管理とどう両立すべきかは、今回のような事故を経て根本的に見直される必要がある。

父親は説明会の場で、「大事な息子を返してくれ」と嗚咽交じりに語った。息子は負けん気が強く、学校が大好きな子だったという。友達を大切にし、祖父母に優しく、家族思いで、登校する朝には「学校に行ってきます」と元気に言い残していた。父親にとって、その言葉が息子との最後の会話になった。

教員は講習済みだったが…

 

担任教諭は2023年6月に救急救命講習を受講していたとされ、市教育委員会は「救命処置は適切に実施された」との見解を示した。しかし、保護者の一部からは、講習だけでは不十分であり、教職員への継続的な訓練や、緊急時の判断力の標準化が求められるとの指摘も上がっている。

事故後、学校では全校児童約260人を対象に心のケアが行われ、「食事ができない」「眠れない」「学校に行くのが怖い」といった声が数十人の児童から寄せられた。担任教諭自身も大きな精神的打撃を受けており、教職員の心のケアも急務となっている。

SNSで分かれる「親の責任か学校の責任か」

 

SNS上では、この事故と訴訟をめぐり、「親の責任」と「学校の落ち度」のどちらに重きを置くべきかで意見が大きく割れた。「小さいうちからよく噛むよう教えていなければ、家庭の責任ではないか」という投稿がある一方で、「学校に預けた子が命を落としたという事実の重みを軽視すべきでない」とする声も多い。

給食の安全管理が不十分だったとする批判に対して、「学校現場に過剰な責任を求めすぎてはいないか」と擁護する意見も目立つ。教育と保護、責任と現場負担のバランスが、社会的な論点として再浮上している。

問われるのは○○そのもの

 

学校給食は、単なる栄養補給の場ではない。地域と社会が子どもを育てる「共育」の象徴でもあり、その分、食の安全や教育の在り方には高い期待が寄せられる。しかし今回の事故は、その制度に内在するリスクが現実となった例である。かといって誰の責任なのだと問うのも難しい問題である。

事故から1年が経っての提訴ということを思うと、遺族にとってはしばらく経っても時間が止まったままなのだろう。悲劇であるが、学校や自治体が悪いのか?SNSでは遺族の対応を疑問視する声が多い。
どうしようもない悲劇は起きるもの。食べることで命を育むはずの給食が、命を奪う結果となったとき、その責任はどこにあるのか。教育現場の努力と限界、家庭の関わり方、行政の備え──この訴訟は、子どもをめぐる社会の構造全体に問いを投げかけている。

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ライター:

新聞社・雑誌の記者および編集者を経て現在は現在はフリーライターとして、多方面で活動を展開。 新聞社で培った経験をもとに、時事的な記事執筆を得意とし、多様なテーマを深く掘り下げることを得意とする。

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