「ソーシャルグッドな活動をしている誰か」を訪ね、その人との雑談を通じてその活動に込めた思いなどを紹介していく「#ソーシャルグッド雑談」。
第7弾となる今回は、デンマーク ロラン島在住のニールセン北村朋子さんのご自宅にお邪魔しました。
「教育」「食」「再生可能エネルギー(再エネ)」「民主主義」など、多様なテーマをカバーする「文化翻訳家」として活躍している朋子さんは、日本とデンマークのさまざまなつながりを公式・非公式にコーディネートしてきた立役者でもあります。
日本からオンライン参加の我有さんによる「脱炭素DX研究所」の設立と所長就任の近況報告からスタートした雑談は、日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)が遅れている理由へと進んでいきました。
写真右: ニールセン 北村 朋子(にーるせん きたむら ともこ)
文化翻訳家/Cultural Translator。DANSK主宰。一般社団法人日本サステイナブル・レストラン協会アドバイザー。京都芸術大学 食文化デザインコース講師(2024年4月開講)。AIDA DESIGN LAB理事。日本でセールスプロモーションや映像翻訳家として活躍したのち、2001年よりデンマーク、ロラン島在住。2012年デンマーク・ジャーナリスト協会東デンマーク地区ジャーナリスト賞受賞。
写真左: 八木橋 パチ(やぎはし ぱち)
バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初めて就職。2008年日本IBMに入社。現在は社内外で持続可能な未来の実現に取り組む組織や人たちとさまざまなコラボ活動を実践し、取材・発信している。脱炭素DX研究所 客員研究員。WORK MILLにて「八木橋パチの #混ぜなきゃ危険 」連載中。
写真下: 我有 才怜(がう さいれい)
2017年メンバーズ新卒入社。社会課題解決型マーケティングを推進するほか、気候変動への危機感や市民運動への興味から国際環境NGOでも活動中。2023年4月1日、メンバーズ社内に開設された「脱炭素DX研究所 」の初代所長に就任。IDEAS FOR GOODと共にWebメディア「Climate Creative 」運営中。
朋子
これは一部の行政にだけ当てはまる話かもしれないけれど、DX(デジタルトランスフォーメーション)というと、私はまず日本の職場がいまだに紙から脱却できていないことに驚かされるのよ。
オフィスを訪問すると、今でもまだ机の上に書類の山があったり、棚にびっしりと紙の書類がファイルされていたりするでしょう?
情報って人を助けるためのもののはずだし、DXって仕事をしやすくするためのものなのに、情報が人に時間や場所、行動の制約を課している状態になっているでしょう? 紙を中心としたルールに人が振り回されているわよね。
仕事における生産性を考えるなら、職場の環境についてもっと深く考えるべきじゃないかなって思うのよね。
我有
たしかにそうですね。
仕事における紙ということでは、脱炭素推進の話の中でも「CO2の排出量算出に用いる請求書が、紙でしか送られてきておらず取りまとめが大変」という問題も企業の方からはよく耳にしています。
朋子
ただおもしろいのは、デンマークの教育現場では、今「紙に書く」ということに焦点が当たっているの。手で紙に書くほうが脳に記憶として定着させる効果が高いことが近年科学的に証明されているんだけど、デンマークの学校では、子ども時代からあまりにも筆記する機会がないことが問題視されていて。
それでロラン市では、すべての授業に「手で書く時間」が設けられているのね。
パチ
そうなんだ。でも、それだと子どもは変わっても大人は変わらないんじゃない?
朋子
そうね。でも、子どもがいる家庭なら、宿題を通じて大人も一緒に書く時間を持つことが多いのよ。
デンマークの学校って、「家族で一緒にやりましょう」という宿題を出すことが多いの。
学んでもらいつつ、子どもには大人の習慣や考え方を広げるためのアンバサダーになってもらうの。社会に対するこういうアプローチが上手よね、デンマークって。
まあデンマークは共働きが圧倒的に多くて授業参観とかないから、学校でどんなことを学んでいるかを家庭に伝えるという役割も持っているんだけど。
ロラン島の朋子さんのご自宅のリビング。今回の滞在中には会えなかったものの、野生の鹿が庭にやってくることもあるとか。
パチの心の声
おれが朋子さんに最初に出会ったのは2018年の2月。「再エネ」「教育」「ウェルビーイング」をテーマにデンマーク ロラン島を案内してもらったのがきっかけで、以来、定期的に交友したりコラボレーションをしてきました。 2人ともおしゃべり好きで、会うたびに話が尽きることはないのですが、どんなときも毎回必ず話題となるのが「エネルギー」と「教育」という、いわば「人間の安全保障」とでも呼ぶべきものです。 デンマークは再エネに関しては世界的なトップランナー。その中でもロラン市は、風力発電を基盤に、「Power to X」と呼ばれるデンマークの新国家エネルギー戦略における重要な役割を果たすこととなります。 ここからは、日本とデンマークのエネルギー政策の違いについての話となりました。
パチ
端的に言って、日本企業の脱炭素への歩みは遅いよね。我有さんは多くの日本企業と脱炭素について会話する機会があると思うけど、なにが足止めしているんだと思う?
我有
…理由らしきものはたくさん頭に浮かびますけど、1番は意識の欠如ですかね。「重要だけど、それはサステナ部門がやること」や、「コストだけでリターンが生まれにくい、本業を圧迫する要素」だとか。
いまだにそうした言葉で語られることが多くて、頑張っている企業内の担当者ほど、自分たちの仕事を「孤独な戦い」と称していますね。
朋子
それはちょっとビックリするね。コストじゃなくて投資なのに…。未だにその認識でビジネスにおけるサステナビリティーを捉えているのって、相当マズイね。周回遅れどころじゃない。
パチ
先行者利益がどれくらい大きいのか分からないから、同業他社を横目に見ながら足並み揃えようって意識が強いんだと思う。
ほら、日本企業でカーボンニュートラルをどんどん進めているって企業、ほぼ存在していないじゃない。
朋子
でもそれって国内だけの話で、世界から日本全体が置いてきぼりになっているだけよね。
すでに世界的には日本全体が正常な状態じゃないのに、「まだ周りで誰も本格的にやってないから」って目を向けないのって…。
それって、先入観や偏見で自己正当化する「正常化バイアス」の典型的な症状だよね。
日本に一次情報や二次情報が正しく入っていないのか。あるいは情報は入っていても適切に共有されない仕組みになってしまっているか。どちらにしても致命的な状況じゃないかしら。
我有
先日、環境経済学を専門にしているある大学教授にエネルギー関連のお話を聞く機会があったんですけど、現在の日本のカーボン・プライシングの進め方に大変がっかりされていました。
いわく、GX推進法は、本来は脱炭素経済への移行の取り組みを後押しするもので、再エネにインセンティブを与えて競争力を高めるためのものであるはずなのに、150兆円の投資資金を市場で調達できればそれでよしとするような、本末転倒の進め方になってしまっている、と。
朋子
最大の目的はCO2排出量削減への道のりを整備するものだし、同時に、国家としてエネルギーの未来について根本から考えれば、どうやって国内でエネルギーを調達できるようにするのかという「国家のエネルギー安全保障」について考えざるを得ないはずよね。
それなのに、日本は輸入水素をエネルギー政策の柱にしている…。
これでは結局、海外頼みという点では今とまったく同じだし、そもそも水素自体が化石燃料ベースで作られたものであれば、国内のCO2排出を海外に転嫁しただけで、本質的には何も進展していないってことになるのに。
我有
本当ですね。
そういう「本来の目的」や「そもそもの狙い」というのがあまり議論されることがないというか、結論じみたものが提示されたらできるだけ早くそれに飛びつく。それが良いことだとされる社会になっているような気がします。
脱炭素を推進している人の中でもどれだけの人が「なんのための脱炭素か?」という根っこの問いにちゃんと向き合えているのかなと思いますね。
2019年に朋子さんがロラン島で開催した「食のホイスコーレ・ショートコース」での一コマ。これから始まる料理の準備にレシピを真剣に読む我有さんと、左奥に朋子さん。
パチの心の声
今回のソーシャルグッド雑談を行う前、朋子さんとは「人間にちょうどいいスピード感とは?」や「効率性と価値観が相互に与える影響」などについて2日間にわたりひたすら雑談を重ねていました。 話していた内容をすごく簡易的にまとめると、日本では「早いことは良いこと」「便利であることは正しいこと」という考え方が前提となっていて、それを邪魔しかねない「そもそもについてそれぞれが考えること」は軽んじられているのではないか、ということでした。 ここまで教育とエネルギーが話の中心でしたが、ここからは抽象度をもう少し高めて、デンマークと日本社会における「好奇心と効率の捉え方の違い」について話をしました。
朋子
人間の最大の特徴の一つは「なぜだろう? どうしてこうなるんだろう?」と考える力があることだと思うのね。
人はそれを頭の中で常に追い求めることができるし、一人でそれをするだけではなく、周囲に質問したり問いかけたりできる。この能力こそがイノベーションの源泉だと思うの。
パチ
一方で、日本では子ども時代から、家や学校で「子どもはそんなことを考えないでいい」だったり、「余計なことをしないで、やるべきことだけやればいいんだから」という言葉を毎日のように聞かされている子どもがたくさんいるじゃない?
好奇心が生まれても、それを表に出すことも探求することも歓迎されない…。
それがずっと続けば、「好奇心というのは役に立たないものであり、持たない方がよいもの」と無意識に子ども心に刷り込まれてしまうのも無理がない気がするな。
我有
それに日本だと、まずは自分で調べて、それでも分からなければ聞くことが許されるというか、疑問をすぐ口にすることを良しとしない感じがありますよね。
それから「いい質問ですね」という言い回しもよく使われますよね。
でも私はあれを聞くと、純粋な質問をしにくくなるというか、「質問には良くない質問もあるってことが前提になっているのかな」と感じることがあります。
朋子
デンマークの学校では「クリティカル・アナライズ」がとても大事にされていて、社会に根付いているって感じるの。
たとえば、私が日本のことを聞かれて説明するでしょう? そうするとみんな「へーそうなんだ!」って納得するんだけど、その後、自分たちでも話の裏付けを取ろうとするの。
最初は「え? 私の言うことを信じていないのかな?」と思ったんだけど、そういうことじゃなくて。きちんと自分で確認するってことが常識になっているのね。
中高の授業でも、教科書に書いてあることでもそのまま真に受けるだけじゃなくて、誰が書いた文章で、どういう時代でどんな社会的背景があったのか。
同じ出来事が世界の他の国ではどのように捉えられているかってことを調べるのは普通のことなのね。
そうやって自分の中での納得感を高めていくし、評価や見方には多様性があることが当然だという認識を深く身につけていくの。
だから、「本当だろうか」って考えることは相手に対して失礼なことでもなんでもないのよ。
パチ
好奇心を発揮することや疑問を晴らそうとすること、そして裏取りや納得感を高めるための行為を「非効率」としてしまっていたら、そりゃイノベーションだって…。
なんだか、今の日本の停滞が不思議じゃない気がしてきた。
パチの心の声
この後、前日に朋子さんとロラン島で人気のカフェに行った際に起きた、とある「好奇心」にまつわる出来事について我有さんに話しをしました。 カフェのすぐ近くで、警察か軍の関係者が、車の取り締まりのようなことをしているのがテーブル席の窓から目に入っていたのですが、しばらくすると、店内にただ一人の店員さんがおれたちのところにやってきて、「さっきから彼らなにをしているんだと思う? 君たちまだしばらく店にいるよね? 僕、気になっちゃってしょうがないから今から聞きに行ってきていいかな?」と声をかけて、出かけて行ってしまいました。 なんというか、とっても「好奇心を大切にする国」らしいエピソードだと思いませんか? 最後に、これだけはどうしても聞いてみたいなと考えていたことを、2人に質問させてもらいました。 「社会を変えるのに教育が重要なのはよくわかっているつもりだけど、でも、それってどうしても時間がかかるよね。5年10年20年先じゃなくて、もっと早く社会を変えるためには、一体何が必要だと思う?」
ロラン島で一二を争う人気のコーヒー・ロースター「Ubuntu 」にて。この後、「ちょっと聞きに行ってくる!」と出かけていった店員さんが帰ってきて、「検問の演習だって」と教えてくれました。
我有
教育以外で、ですよね。…うーん難しいですね。でも、前回 ぴーすけがゲスト に来てくれたときにも話したことだけど、「地域で小さく始めること」が私もいいんだと思います。
前に、デンマーク在住のフューチャーズ・デザイナーのサラに、「気候変動というビッグテーマにどう向き合っているのか。
なかなか結果が伴わず、続けることが難しいと感じることはないのか?」と聞いたことがあるんです。ここ日本でも、気候不安症や絶望感に悩む活動家も少なくないので。
そのときの彼女の答えも、「自分の行動には影響力があると信じられる場所を選ぶことが大切だ」って言われたんです。行動の意味を感じられるよう、「範囲」を区切って活動した方がいいって。
国を動かすことだけを目的としてしまったら、大き過ぎてどうしていいかわからなくなったり、無力感に苛まれてしまったりするのも当然だよって。
朋子
私からは、みんながすぐに実践できて、世の中がすぐに変化していくと思えることを一つ紹介させてもらうね。最近は日本の自治体に講演依頼をいただいたときも、必ずこれを伝えているの。
子どもや若者からなにか質問されたときは、100パーセント真摯な気持ちで向き合うこと。
15分だけでもいいから、彼らの疑問や好奇心に覚悟を決めて向き合い、一緒に真剣に考え ること。
「こんなことは考えてもしょうがないことだし…」とか思わずに、自分もそうした疑問について一緒に深く考え、場合によっては周囲の人に質問して一緒に考えてもらったりもして。
そうやって、大人が自分の疑問に向き合って、しっかり一緒に考え抜いてくれる経験は、子どもや若者の未来に間違いなく大きな意味を与えることだから。
そして大人自身にとっても、とても価値のある体験だから。
すぐに答えが出なくても、疑問を持ち追求することを厭わず、大人はしっかりと若者や子どもの疑問に寄り添ってあげて。そして一人ずつ、みんながこれを実践すれば、社会はすごく早く変わると思うな。
パチ
…その通りだね。うん。心からそう思う。
「教育以外で早く社会を変えるのには何ができる?」って自分で聞いておいてなんだけど、それこそがまさに教育だね。おれ、おそらく教育というものを、一面的に見過ぎていたのかも…。
本来の教育って、別に教室だけで行うものじゃないし、日々実践されていくスピード感もあるものだよね。
「教育」っていう「教えて育てる」って書くから、なんだか上から目線な感じの言葉に思えてしまうのかも。もっといい呼び方があればいいのに。
朋子
「学び」でいいよね。大人も子どもも関係なく、人間は毎日何かを学び続けているんだから。実はこれ、一昨日パチさんも会っていた、息子のホルガに昔言われたことでもあるの。
「母さん、もし、僕の質問に1日15分すら向き合う時間が取れないのだとすれば、それって生き方に問題があるってことなんじゃないかな」って。
パチ
いやー、今のはすごく心に響いた。どう、我有さん? 一番大切なパートナーに、1日15分はしっかり向き合えている? おれは…ヤバイかも。
我有
私もドキッとしました。ちゃんと毎日パートナーにしっかり向き合います。そして、「1日1探求」もしっかり心がけようっと。
朋子さんの息子ホルガさんと3人で。
今回本編には書きませんでしたが、もう一つ強烈に印象に残った朋子さんの話がありました。 「『早いことは良いことで、面倒なのは良くないこと』みたいな価値観って、昔の日本では今ほど絶対的じゃなかったと思うし、『はしょっちゃいけないこと』というのは時代を問わずあると思うのよ。 でも、メディアが『最短・最速がカッコいい!』って、そういう価値観の後押しをしてきたことが、現在の格差社会の拡大につながっているように私には感じられるの。 この『お手軽に早くたくさんお金を集めるのがカッコいいこと』って価値観って、結局は20世紀のバブルの時代の価値観を表面的に変えただけで、なにも変わっていないじゃないって思わない?」 自分が違和感や疑問を感じる理由がなんなのか。そしてその前提となっているものを、自分は後押ししたいのか——。これまで以上にきちんと向き合っていこうと感じました。 そして、これを読んでいる若者で、おれに疑問や好奇心をぶつけたいという方がもしいらっしゃったら、ご遠慮なくどうぞ!!