
顔写真、氏名、経歴。その横には「対自衛隊感情」「思想・信条」「愛国心」という欄が並んでいた。陸上自衛隊の情報部隊が、大学教授やNPO法人代表らを本人の知らないところで調べ、一人ひとりの人物像を組み立てていた疑いが浮かんだ。熊本日日新聞の独自取材が照らしたのは、単なる個人情報管理の不備ではない。国を守る組織が、市民の内心にどこまで踏み込んでいたのかという、薄暗く不穏な問題である。
朝霞に積み上がった「人物評価」
熊本日日新聞によると、陸上自衛隊中央情報隊の対外情報部門「現地情報隊」は、日本人の大学教授やNPO法人代表らを対象に、氏名や経歴、顔写真だけでなく、対日本感情、対自衛隊感情、思想・信条、愛国心などを「個人BSD」と呼ばれる報告書にまとめていたとみられる。朝霞駐屯地では、少なくとも数千人分が保管、共有されている可能性がある。元隊員は、対象者の同意を得ておらず、活動の目的や法的根拠も部隊内で示されなかったと証言している。
資料の異様さは、集められた情報の細かさだけではない。あるNPO法人代表の「愛国心」の欄には、海外で中国人と間違えられた際に徹底的に口論したという言動まで記録されていた。旅先で交わした一度の口論が、本人の知らないところで切り取られ、国への思いを測る材料にされていたことになる。笑って話した昔話だったのか、腹立ちを抑えきれなかった出来事だったのか、その場の空気は報告書から消え、残るのは「愛国心」を判定するための短い記述だけだ。
調査対象となった男性大学教授は、自衛隊員を名乗る人物から接触を受けたことはあったものの、個人情報を収集されているとは想像しておらず、同意もしていないと取材に答えた。専門的な知識を求められていると思って話した内容の裏側で、思想傾向や自衛隊への感情まで値踏みされていたのなら、面会の意味はまるで違ってくる。相手は研究者として話を聞かれているつもりでも、部隊側は将来使える情報源かどうかを見定めていた可能性がある。その温度差は、名刺交換や穏やかな雑談では見えない。
海外のための部隊が国内市民を調べる違和感
現地情報隊は、自衛隊のイラク派遣で現地情報が不足した教訓を踏まえ、海外で人的情報収集を行う部隊として2007年に新設された。朝霞駐屯地を拠点に約50~60人が所属するとされるが、元隊員らの証言では、大半が国内で市民の個人情報を集めていたという。海外での活動に備える部隊が、実際には国内の大学教授やNPO関係者を調べていたというねじれが、今回の疑惑をいっそう不気味にしている。
海外事情に詳しい研究者らと関係を築き、将来の情報源として協力を得られるか見極めることには、安全保障上の理由があるのかもしれない。しかし、専門性や情報の確かさを確認することと、愛国心や思想信条を採点することは別物だ。どの発言を愛国的と判断し、どの態度を自衛隊に否定的とみなすのか。その基準が部隊の内側にしかなく、対象者にも政治にも見えないのであれば、情報収集は簡単に思想選別へ傾いていく。
個人情報保護委員会は、個人の基本的なものの見方や考え方を示す「信条」を、不当な差別や偏見などの不利益につながりかねない要配慮個人情報と位置付けている。信条には思想と信仰の双方が含まれ、取得には特に慎重な取り扱いが求められる。今回の情報収集が直ちに違法だと断定できる段階ではないが、目的も根拠も示されないまま内心に関わる情報を蓄積していたのなら、「情報活動だから」で済ませられる範囲を越えている。
シビリアンコントロールが問われる理由
シビリアンコントロールは文民統制とも呼ばれ、軍事に対する政治の優先、軍事力に対する民主主義的な政治による統制を意味する。日本では、国会が自衛官の定数や主要組織、予算を審議し、内閣総理大臣が自衛隊への最高の指揮監督権を持ち、防衛相が隊務を統括する。戦前、軍の作戦や組織運営に内閣や議会の統制が届かず、軍が国政へ強い影響を及ぼした反省から築かれた仕組みである。
これは、部隊が何を目的に、誰を対象に、どの範囲まで活動するのかを政治が把握し、問題があれば止め、国民に説明できる状態を保つためのものだ。情報部隊の仕事には秘密がつきまとうからこそ、内部だけで判断が完結しないよう、政治と法の手綱が必要になる。
熊本日日新聞は、こうした活動が防衛相をはじめとする政治家や官僚らにも知らされていなかったと報じている。これが事実なら、自衛隊の一部門が政治の目の届かない場所で国内市民を調べ、その思想や愛国心まで記録していたことになる。文民統制の逸脱が疑われるのは、報告書の項目が不気味だからだけではない。誰の決裁で始まり、誰が継続を認め、誰なら止められたのかが見えないからだ。
「把握していない」が深めた疑念
防衛省は、市民の個人情報収集について把握していないとし、事実確認には時間がかかるものの、何らかの対応を行いたいとしている。しかし、「知らなかった」は説明の入口であって、出口ではない。政治や行政が把握できていなかったのなら、部隊が監督の網をどう抜けたのかという、さらに重い問題が残る。
解明しなければならないのは、個人BSDを作成した指示系統と利用目的、調査対象を選んだ基準、資料を閲覧できた範囲、現在の保管状況である。法的根拠を示されなかったという元隊員の証言に、防衛省がどう答えるかも避けて通れない。内部調査をした、再発防止を徹底するという言葉だけで蓋をすれば、同じ活動が名称や書式を変えて残っても、外からは見抜けない。
安全保障には、表に出せない仕事がある。それでも、秘密であることは、無制限に許されることを意味しない。自衛隊を批判する人も、信頼する人も、災害派遣に感謝した人も、国家が愛国心の点数を付けてよい相手ではない。国を守る組織が、本人に黙って国民の内心を採点する。そんな逆転を「情報活動」の四文字で飲み込ませてはならない。



