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ストーカー加害者にGPS装着案 「接近禁止だけでは守れない」日本社会が直面する現実

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ストーカー
PhotoACより

「また来るかもしれない」

ストーカー被害を受けた人の多くは、事件が終わった後も、その不安を抱えながら生きている。夜道で背後の足音に敏感になり、スマートフォンの通知音に心がざわつく。引っ越しをしても、職場を変えても、「見つかるかもしれない」という恐怖は簡単には消えない。

そうした中、自由民主党 が打ち出した「ストーカー加害者へのGPS装着案」が大きな議論を呼んでいる。

被害者保護につながるという期待がある一方で、「監視社会化につながるのではないか」「加害者の人権侵害ではないか」という懸念も根強い。

しかし、この議論の本質は単なるGPS技術の導入ではない。長年、日本社会が抱え続けてきた「被害者だけが生活を変え、逃げ続ける構造」を見直せるのか。その問いが、いま改めて突きつけられている。

 

 

「禁止命令」が出ても、防げなかった事件

19日、自民党の治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会は、ストーカー規制法に基づく「禁止命令」を受けた加害者に対し、GPS端末の装着を検討する提言案をまとめた。

想定されているのは、加害者が被害者へ接近した際、被害者側へ通知が届く仕組みだ。加害者へのカウンセリングや治療の受診義務化も盛り込まれている。

この案が注目を集める背景には、日本社会が繰り返してきた“防げなかった事件”の記憶がある。

近年のストーカー事件では、被害者が事前に警察へ相談していたケースも少なくない。「接近禁止命令が出ていた」「警察が警告していた」と報じられながら、それでも最終的に凶悪事件へ発展した事例が繰り返されてきた。

そのたびに浮かび上がるのが、「紙一枚の命令だけで、本当に止められるのか」という現実的な疑問だった。

ストーカー規制法は2000年に施行され、その後も改正が重ねられてきた。SNSを使った監視行為やGPS機器による位置情報取得なども規制対象に加えられている。

しかし、警察庁の統計では、ストーカー事案の相談件数はいまも高水準で推移している。制度は拡充されても、深刻な被害がなくなったとは言い難い状況が続いている。

つまり、日本のストーカー対策はこれまで、「警告を出すこと」はできても、「接近そのものを止める」ことには限界があった。

 

被害者は「普通の日常」を失っていく

ストーカー被害によって奪われるのは、安全だけではない。

自宅を知られている恐怖から引っ越しを余儀なくされる。通勤途中で待ち伏せされる不安から仕事を辞める。SNSから生活圏を知られることを恐れ、友人とのつながりを絶つ人もいる。

今回のニュースに寄せられたコメント欄にも、被害経験を持つ人たちの切実な声が並んだ。

「4年経った今も、一人で外出できない」
「引っ越しても怖かった」
「接近禁止だけでは何も変わらなかった」

そこから見えてくるのは、ストーカー被害が“一時的な恐怖”では終わらないという現実だ。

被害者は事件後も、「また現れるかもしれない」「どこかで見られているかもしれない」という緊張を抱え続ける。精神的なダメージから、日常生活そのものが困難になるケースもある。

それにもかかわらず、これまで日本社会では、「被害者側が身を守るしかない」という空気がどこかに存在していた。

「引っ越した方がいい」
「職場を変えた方がいい」
「SNSをやめた方がいい」

そうした助言は、被害者を守るための現実的な対処法である一方、“逃げる責任”を被害者側へ背負わせてきた側面も否定できない。

 

GPS装着は“監視社会”につながるのか

今回のGPS装着案には、「加害者の人権侵害ではないか」という声もある。

確かに、日本では身体拘束や監視への法的ハードルは高い。GPS端末をどのように固定するのか、外された場合にどう対応するのか、通信障害や誤作動をどう防ぐのかなど、技術的課題も少なくない。

さらに、日本社会には「監視」という言葉への強い抵抗感がある。

背景には、戦前・戦中の国家統制への記憶や、戦後日本が重視してきた個人の自由という価値観もあるだろう。

「一度導入された監視制度が、別の犯罪へ拡大されるのではないか」
「国家による監視強化につながるのではないか」

そうした警戒感が出るのは自然なことでもある。

一方で、被害者側から見れば、すでに“監視される恐怖”の中で暮らしている現実がある。

SNSを見張られる。
帰宅時間を把握される。
待ち伏せされる。

つまり現在の日本は、「加害者を監視しない代わりに、被害者が監視され続けている社会」とも言える。

今回のGPS議論が重い意味を持つのは、その構図を変えようとしているからだ。

 

韓国で進む「電子足輪」制度

こうした議論の中で、比較対象としてたびたび挙がるのが韓国だ。

韓国では、性犯罪加害者などに対し、GPS機能付きの「電子足輪」制度が導入されている。近年は、ストーカー犯罪への活用や監視強化についても議論が進んでいる。

もちろん韓国でも当初は、「監視が強すぎる」「人権侵害ではないか」という反発があった。

しかし、重大事件が繰り返される中で、「加害者の自由」と「被害者の安全」のどちらを優先すべきかという議論が強まっていった。

今回、日本国内でもGPS装着案に賛同する声が少なくない背景には、「いまの制度では守れない」という危機感がある。

ストーカー加害者の中には、警告や説得だけでは行動を止められないケースもある。執着が強まり、「会いたい」が「支配したい」に変わり、やがて危険な行動へ発展することもある。

そうした相手に対し、「近づかないでください」という命令だけで、本当に被害を防げるのか。社会全体が、その限界を感じ始めている。

 

日本社会は「誰を守るのか」を問われている

もちろん、GPS装着だけですべての問題が解決するわけではない。

加害者への治療やカウンセリング、警察との情報共有、危険度評価の強化など、多層的な対策は不可欠だ。

実際、自民党の提言案にも、加害者への治療・カウンセリング受診義務化が盛り込まれている。

それでも最後に残るのは、「どこまで強制できるのか」という問いだ。

自由を重視するのか、安全を重視するのか。
加害者の権利を優先するのか、被害者の命を守るのか。

日本社会はいま、その線引きを迫られている。

そして少なくとも確かなのは、これまで「接近禁止命令だけでは守れなかった命」が存在してきたという現実だ。

GPS装着案をめぐる議論は、単なる新制度導入の話ではない。

“被害者だけが人生を変え、逃げ続ける社会”を、このまま続けるのか。それとも変えていくのか。

いま問われているのは、日本社会そのものの姿勢である。

 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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