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川島 興介さん(中央日本土地建物/官民共創HUB)#ソーシャルグッド雑談

コラム&ニュース コラム
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八木橋パチ プロフィール

恥ずかしながら、わずか数年前のことでも、人との出会いのきっかけをはっきり思い出せないことが増えてきました。

「——川島さんとおれの最初の出会いって、どんな感じでしたっけ…?」
そんな問いから、今回の雑談は始まりました。

今回の相手は、中央日本土地建物株式会社で、多様な人びとを迎える「場づくり」を担っている川島興介さん。

人と人をつなぐ仕事をしている川島さんですが、実は——かなりの人見知りだそうです。まずは、二人の出会いの話から。

 
川島 興介さん#ソーシャルグッド雑談

左: 川島 興介(かわしま こうすけ)
慶應義塾大学法学部法律学科卒。新卒で国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)に入職。その後、内閣府宇宙戦略室(当時)に出向。JAXA帰任を経て2019年に中央日本土地建物株式会社に転職。現在は2027年度竣工予定の虎ノ門一丁目東地区市街地再開発事業「TORANOGATE(トラノゲート)」内に整備される官民交流施設「(仮称)虎ノ門イノベーションセンター」」(以下 TIC)のプログラム開発に従事。

右: 八木橋 パチ(やぎはし ぱち)
バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初の就職。2008年日本IBMに転職。「#混ぜなきゃ危険」をタグラインに、つながりをエネルギーに変え、組織や個人の力を引き出すコラボレーション・エナジャイザー。
近年は、障害のある方や外国ルーツの方など、声が届きにくい人たちの「働きにくさ」を起点とした、すべての人にとっての「誇りある就労」を探究している。



・「私、すごく人見知りなんです」
・空手より空手「道」——道は自由になるプロセス
・人生は「受け継ぎ、引き継ぐ」こと
・「なんか変だな」から始まった——ケアノベーションにつながる特別支援学級への違和感
・ケアノベーションチームの役割
・宇宙開発は「開拓」か「植民地化」か——JAXAに行った理由
・次の日本を考える人200万人のコミュニティ——明治維新から見える「社会を動かす人数」


「私、すごく人見知りなんです」

川島

2024年4月に、コミュニティマネージャーが集まるイベントがあって、そこで初めて出会いましたよね。その後、パチさんが、私がコミュマネをやっているSENQ霞が関に遊びに来てくれて。

で、その場で話が盛り上がって、急きょ翌週開催のワークショップで通訳をやってもらうことになったんですよ。

パチ

そうだそうだ。まずそれだった。

川島

そうです。そのあと、パチさんが企画した障がい者の就労関連イベントの話を聞いて、「これは自分たちが目指している世界観に近い」と感じたんです。

そこからですね。ケアノベーションの取り組みにつながっていくのは。

パチ

ケアノベーションの話はあとでじっくり聞くとして、今日はまず川島さんの人となりについて話したくて。

なんだかすごく印象的だったんだよね。
何度も顔を合わせているメンバーで集まっているのに、川島さんがモジモジしながら言ったの。

「私、すごく人見知りなんです…」って。

川島

本当にダメなんです。

今日だってパチさんと顔を合わせるのは1カ月ぶりですよね。だから、さっきまで目を合わせられませんでした。

本当に苦手なんですよ……間が空くとリセットされてしまいますね。

パチ

そうなのかー。いや、さっき実は「なかなか目が合わないな」とは思ってたんだよね。

もう一つ、せっかくだから聞いてみたいなってことがあって。川島さんって、大人数でのディスカッションのときとかって、だいたい最後に話すよね。あれは戦略? それとも性格?

川島

性格ですね。大勢の場が少し苦手なせいか、一歩引いて全体を見ていることが多くて。

だから自分の意見を出すこともよりも最後に、「この観点もあるよね」と一つ視点を投げるほうが自分にとっては楽なんですよね。

社内会議の場でもそんな感じで過ごしてます(笑)。

パチ

おもしろいなぁ。
ご存知のとおり、おれは感情がほとばしるタイプ(笑)。言いたくなったら、その場ですぐ言っちゃう。

だから口火を切ることも多いし、「おれはそう思わないです」と他の人の意見にも躊躇なく異論を出す。

川島 興介さん#ソーシャルグッド雑談
「私はたぶん、とどめを刺したくなる人なんだと思います。それまでの議論を踏まえて、最後に一つ観点を加えたいって感覚ですね。」
そう語る川島さんは、いろいろな点でおれとは異なる視点を持つ人だ。
物事へのアプローチもかなり違う。——だからこそ、一緒に話すとおもしろい!
そんな川島さんの意外な顔のひとつが空手歴。現在も大学でコーチをしているという。
 

空手より空手「道」——道は自由になるプロセス

パチ

そういえば川島さんはたしか空手をずっとやっているんだよね。いつから? きっかけはなんだったの?

川島

自分からやりたいって言ったわけじゃなくて、母親の勧めで。5歳のときですね。

パチ

じゃあもう30年以上だ。すごいね。今も現役の選手なんだっけ?

川島

いや、選手として活動していたのは大学までです。体育会で続けていました。

その後、何年かブランクはありますけど、ちょこちょこ練習はしていたので、細く長く、でよければ30年以上ですね。

今は大学でコーチをやっています。

パチ

選手じゃなくなっても、空手は続けているってことだよね。それはきっと、川島さんが空手が好きで、大切なものだからだと思うんだけど、なぜなんだろう?

川島

ちょうど去年、そのことをあらためて考える機会があったんです。

空手って「空手道」じゃないですか。技術そのものも大事ですが「道」をいかに突き詰めていくかも大事なんですよね。

私は「空手」より、「空手道」のほうが好きなんだと思います。

川島 興介さん#ソーシャルグッド雑談
(川島さん提供写真)大学4年時に主将を務めていた際の団体戦の様子。「今見るとすごく猛々しい!! でもたぶんこの突きはこの後避けられた記憶がある(笑)」
川島さんとおれは、やっぱりいろいろ違う。
そのことが、さっそくはっきりした。
おれは——「道」がつくものが、少し苦手なのだ。
パチ

「道」ってさ、なんか息苦しくない?

おれさ、実は「道」がちょっと苦手なんだよね。なんかとても規律が厳しくて、「こうすべし」って言われ続ける感じが息苦しい感じ。
守破離でいう「離」までの道のりがなが〜い下積み期間、みたいな。

川島

そうなんですね! 私は逆の理解ですね。

「道」は、「いかに自由になるかのプロセス」だと捉えています。

最初は確かに型があります。でも、その型からどう解き放たれるか——そこが本質だと思うんです。

そのためには、自分との対話が必要になる。
「自分は何者か」を突き詰めないといけないんです。

パチ

自由になるプロセス、かぁ。

でも、それって「よろしい。お主は離に進んでよし」みたいに、免許皆伝までは師に仕える世界観のイメージなんだけど。

川島

いや、私にとっての「道」は他者に認められるという感覚ではないですね。それこそ「免許皆伝」みたいなものも、誰かに決められることじゃないと思っています。

自分の哲学が見えたら、それでいい。師範に認められるかどうかより、しがらみから解放されて自分という「個」が立ち、自分らしい生き方が定まるかどうかですね。

パチ

そうなのか。じゃあおれが勝手に「戒律の世界」って思い込んでいるだけかもしれないな。おれは中学生の頃、ちょっとだけ柔道をやっただけなんだけど。

空手道の中に、そんなに強い「縛り」があるわけではない、と?

川島

指導者によるところもあるかもしれないですね。私の師範からはあまり縛りを感じなかったですね。むしろ自分で考え行動していく力を強く指導いただいていた気がします。

空手は体重別もありますが基本無差別です。

色んなタイプの人間に対して戦略を立てて戦う必要があるのですが、そもそも、自分の強みが何なのか、何者かわからないと戦略を立てて多様な相手と戦うこともできないのではないかと考えてます。

なので、まず己を知る。

そのうえで自分の強みを軸に据えつつ、対戦相手に合わせて自分を変化させていく。

自分がわからなければ、相手とのコミュニケーションもうまく取れないという私なりの哲学は空手の経験からきていますね。

 

人生は「受け継ぎ、引き継ぐ」こと

川島さんは選手としての活動は終え、いまは仕事や子育ての合間を縫って大学でコーチとして指導を行っている。
その原動力を聞いてみた。
パチ

その考え方の原点って、どこから来ているんだろう?

川島

大学時代、1年間留年して、旅をしながら「人生とは何か」を突き詰めて考えた時期がありました。そこでたどり着いたのが、この考え方です。

「人生とは受け継ぎ、引き継ぐこと。」

受け取ったものを、次へバトンタッチしていく。大学で空手のコーチをしているのも、その一つの形です。

でもそれだけじゃない。
子育てもそうですし、今取り組んでいる事業も同じです。

「TORANOGATE」という、虎ノ門駅直結の恵まれた場所でTICの事業をやらせてもらう以上、次の世代にとって良い場所にしなければいけない。

そういう責任を感じています。

パチ

川島さんの思考の特徴だと思うんだけど、時間軸が長いよね。

川島

そうですね。自分の時間軸は、少し一般とはずれているのかもしれません。

100年、1000年とまでは言いませんが、常に「次の世代」のことを考えている。それは事業も家庭のことも、空手も同じです。

この事業がどうしてもやりたくて、何度もお願いして関わらせてもらいました。会社のリソースを使わせてもらっている以上、会社に還元するのは当然です。

でも同時に、次の世代にとって意味のあるものを残したいんです。

川島 興介さん#ソーシャルグッド雑談
2027年10月竣工予定のオープンイノベーションゲート「TORANOGATE(トラノゲート)」
パチ

具体的には、「TIC」では、次の世代に何が、どんな形で、どう引き継がれるのだろう?

川島

まず、「TIC」は、多様性をちゃんと受け入れられる場にしたいと思っています。だから、ここに来て、居心地よく過ごしてくれればいい。

でも同時に、誰かが声を上げたときには、それが建設的に前に進んでいく場所でありたい。

いろんな人の声がちゃんと紡がれていく仕組みがあり、それが続いていく。そして、できるだけ中長期的な議論ができる場所にしたいと思っています。

今は、それに向けて整えている段階です。仮に自分がいなくなったとしても、その哲学は引き継いでほしい。

そして、それは途絶えてはいけないと思っています。

「なんか変だな」から始まった——ケアノベーションにつながる特別支援学級への違和感

冒頭で川島さんは、「世界観の近さからケアノベーションの取り組みにつながった」と語っていました。
実は、障がいのある方との最初の接点は小学生の頃だったそうです。
その後、中学校で学級委員長をしていたときにも、人と社会の関係について深く考えさせられる出来事があったといいます。
川島

小学生のとき、身体に障がいのある友人がいて。前のクラスでは少しうまくいかなかったようで、私がいるクラスに転入してきたんです。

私はその彼とすごく仲良くなって、毎朝迎えに行って一緒に学校へ通ったりしていました。

片手片足が義肢なんですけど、何でもできる。行動力があって、野球や水泳にも積極的に取り組んでいて、その姿をとてもリスペクトしていました。

「なんてアグレッシブなやつなんだろう」って思っていました。

中学では学校が別になってしまいましたが、その後も少し交流があり、当時からずっと「すごいな」と思っていました。

パチ

それはいい小学校時代の話だね。

しかも、日本に多い分離教育じゃなくて、インクルーシブ教育——つまり同じ学校で共に学ぶ教育が実践されていたんだね。

川島

中学には特別支援学級もありましたね。

私は学年の学級委員長をやっていたんです。自分から手を挙げたわけではなく、やってと言われて勝手に決まった感じでしたけど(正直そういうなんでもおしつける風潮は当時すごく嫌いでしたが)。

その関係で、特別支援学級の仲間たちとも関わる機会が多くて、自分としては比較的近い距離感でした。

そしてクラスには、身体面や認知の特性をもつ友人がいて、その支援のあり方について先生と保護者の間でも意見が分かれているケースもありました。

先生たちは「特別支援学級のほうがよいのではないか」と考えていたようですが、親御さんは別の選択を強く希望されていました。

やはり、その選択によって、将来の進路や可能性が制限されてしまうのではないか……という親としての不安があったのだと思います。

学級委員長という立場もあって、先生と保護者のやり取りを目にすることがありました。

当時それを見ながら、子供ながらに「この世界ってなんなんだろう」「なんだか違和感があるな」と思った記憶があります。

パチ

実際、制度上はそんなことなくても、現実的には進路の幅とかに制限が生まれてしまうって話は耳にするしね。

川島

大人になって振り返ると、あのとき彼女のお母さんが言っていたことも、親となった今ではすごく理解できる部分があります。

でも一方で、そもそもこのある選択をすることでその後の道が広がったり狭まる可能性のある世界観って何なんだろう、というモヤモヤはずっと残っていて…。

そういうモヤモヤを自分ごととして持っていたので、パチさんのイベントに参加したとき、当時の感覚とすごくつながったんです。

それまであまり直接関わってこなかった分野ではあったんですが、「何か変えられないかな」という思いが、そのとき芽生えた気がします。

 

ケアノベーションチームの役割

パチ

そんな体験があったのか。おれ、やっぱりあのイベント(職業人としての障がい者(雇用と生業づくり)と社会モデル)やってよかったな。

じゃあさ、ケアノベーションのプロジェクトをスタートしたとき、今の姿はある程度イメージしていたの?

川島

ある程度は描いていました。どういう人が必要かとか、どうすればそれを実現できるかっていう目線で、いろいろ考えてはいましたね。

まずキーになるのは、やっぱりシステミックデザイナーの山田さんみたいな存在。このぐちゃぐちゃなものをちゃんと整理し整えてくれる人が真ん中にいれば、まあなんとかなるだろうという感覚がありました。

パチ

すごいな。川島さんはコミュマネというよりもコミュニティプロデューサーだね。

じゃあ川島さん自身は、自分の役割をどう捉えていたの? 小学生にもわかるように説明するとしたら?

川島

難しいですね。でも、たしかに大事な問いですね。……たぶん、私はオーケストラで前に出て演奏するタイプではないんです。

誰がどこに座ったら一番いい音になるか。

どんな会場なら、みんなが気持ちよく演奏できるか。

このチームにはどんな演奏者や指揮者が必要か。

そういうことを考える役割ですね。空間を整えたり、みなさんが居心地よく過ごせるようにしたり。裏方の役割だと思います。

それで、オーケストラには「オーケストラマネージャー」という仕事があるらしいんです。その立ち位置に近いのかもしれません。

パチ

おおー! 実はこないだまじまじと「ケアノベーションチームは鍋だ」って話をしたのよ。

山田さんが鍋を仕切る魔女。

おれは劇薬スパイス。

柿本さんは優秀なアシスタントシェフ。

まじまじと高橋さんは森から食材を集めてくる人。

そして川島さんは、その鍋を囲む部屋を心地よく整える人。

——結構いい線いってたな!

ケアノベーションとは、ケアをイノベーションの起点とし、就労困難者(初期の対象として、精神・発達障がい者など)の活躍を後押しして、人間性を顧みない成長至上主義からの脱却を通じ、社会課題解決と持続可能なビジネスを両立するアプローチです。
詳しくは下記リンク先特設サイト「みんなのディーセントワーク」をご覧いただき、最下部にある「ケアノベーションマネジメント」WEBブックと「ケアノベーションサポーター」リンクより直接お試しください。

宇宙開発は「開拓」か「植民地化」か——JAXAに行った理由

こうして話していると、川島さんが中央日本土地建物株式会社にいることも、ケアノベーションに取り組んでいることも、どちらも必然のように思えてきます。
でも実際には、多くの選択と決断を経て今に至っています。
そもそも、法学部出身の川島さんが最初に入社したのはJAXA。なぜ宇宙だったのでしょうか。
川島

私、かなり天邪鬼なんです。だから、みんなが行く方向には行けないんですよ。

法律も、「守り」だけじゃなくて「攻めのツール」にしたいと思っていました。

法学部のとき、「これから宇宙関連の法律が作られる」という話を聞いて、もしかしたらJAXAに行けば関われるかもしれないと思ったんです。

ただ、まさか自分が実際に法律を作ることになるとは思っていませんでしたけどね。

パチ

結局、JAXAから内閣府に出向して、そこで法策定に直接関わったんだよね。どんな法律だったの?

川島

主に2つですね。これは民間宇宙ビジネスの制度整備のための基本法セットとして成立しました。

1つは日本の宇宙ビジネスの基礎となる宇宙産業のための振興法のようなものです。

ポイントは、ロケットの打上げや衛星運用における基準を明確化することで事業者に対する予見可能性を高めること、事故が起きたときの責任をすべて事業者に負わせるのではなく、一定の条件を備えていれば国が一定程度補填する仕組みを構築したことですね。

もう1つは、衛星写真の管理に関する法律で、安全保障上問題のある情報——特に超高精度の衛星データ——が無制限に流通しないよう、一定の管理やスクリーニングを行う制度も整えました。

パチ

なるほど。「開拓」と「規制」だね。…おれ実は「宇宙」ってちょっと苦手なんだよね。

地球でできなくなったから宇宙で資源を取り合う、みたいな。「最初に行ったからおれのもの」っていう、植民地的な発想のグロテスクなものに見えてしまって。

それに、近年のさまざまな武力衝突を見ていると、衛星写真が作戦の中心になっているって言ってもいいくらいかもしれないよね。

川島

その感覚、よくわかります。

宇宙って、もともとは軍事から始まった世界ですし。私も、むしろなぜこんなにキラキラしたものとして見られているのか不思議なんですよね。

宇宙条約の考え方は、南極条約の思想・原則を参照しながら作られています。

「先に旗を立てたから自分のもの」ではない。
そういう世界観は宇宙も同じですよね。

学生のときにそれを学んで、おもしろいと思いました。だからこそ、そのルールは守られてほしいと思います。

 

次の日本を考える人200万人のコミュニティ——明治維新から見える「社会を動かす人数」

宇宙の話を聞いていると、川島さん特有の「時間軸の長さ」がここにも現れている気がします。そもそも「法を作る」って、次世代に何をどうバトンタッチするかを定義することなのかもしれません。
そして川島さんが歩んできた「道」も「宇宙」も、どちらもおれは「苦手」と思っていたものでしたが、詳しく聞いてみればそこに感性の大きな違いはなく、どちらもとても共感できるものでした。やっぱり、じっくり話してみるのって大事だなぁ。
最後にもう一つ。同じような「捉え方の微妙なズレ」がわかった話がありました。
川島 興介さん#ソーシャルグッド雑談
2025年11月に開催したケアノベーションマネジメントお披露目イベントにて(Photo by Kosuke Machida)
パチ

「TORANOGATE」も2027年10 月竣工予定だから、川島さんの時間軸的には、もう未来というよりも現在だよね。文化を築いていく時間を含めてもまあ今から5年、10年。

その先には何が待っているんだろう? 川島さんはコミュニティプロデューサーであり続けるのかな。

川島

よく突拍子もないと言われるんですが、「200万人のコミュニティをつくりたい」と、ここ2年くらい言っています。

なぜ200万人かというと、明治維新のとき、日本の人口は約3000万人。そのうち維新に関わった人は約50万人と言われています。

割合でいうと約2%。これを今の日本人口に当てはめると、だいたい200万人。

もし200万人規模で社会に向き合う人たちのコミュニティができたら、日本は少し変わるんじゃないかとすごく単純ですけど思っているんです。

パチ

3000万人のうち50万人って、すごい人数だよね。

でも…明治維新かぁ。おれ実はそれもちょっと苦手でさ。

黒船が来て、イギリスに叩かれて、植民地化の危機があって、そこで初めて「日本」という単位で物事を考え始めた人たちが増えた。

その結果、たまたま日本は地理的な優位性もあってギリギリで植民地にならずに済んだって話でしかないんじゃないの? って。

外圧や戦争があって生まれた変化って、どこか悲しい気もして。

川島

たしかにそうですよね。
明治維新は植民地化への危機感から生まれた。

西洋の「民主主義と資本主義の国家体制を持たない国は文明国ではない」という理屈が、日本に西洋と対等に振る舞える国の形を急ごしらえさせたわけで、結局は、日本の大きな変化は外圧から始まった面が大きい。

だからこそ、内発的に「日本はこれからどうあるべきか」を考えることも重要な時代なのではないかと思っています。

パチ

そうか。川島さんも明治維新を美談的に捉えているわけじゃなかったんだね。そしてもしかしたら、今が「日本は今後どうするのか」を考え行動する最後のチャンスなのかもしれないしね。

川島

はい。今、自分が日本語を話し続けられる社会に生きているのはありがたいことだと思っています。

それが継続されるためには、政治家だけじゃなく、行政だけでもなく、社会に目を向け続ける人が増えないといけない。

次の世代や、次の日本について考える人が増える——そういう機運やムーブメント、コミュニティの流れを作っていけたらいいなと、勝手に思っています。



川島さんとの雑談を通して、改めて思いました。

自分が「苦手だ」と感じているものほど、もっと積極的に学んだほうがいい。それについて違う視点を持つ人と率直に話してみることが大切だと。

そして、そういう会話ができる関係があることも。

——おれと仲良くしてくれているみんな、ありがとう!

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ライター:

バンド活動、海外生活、フリーターを経て36歳で初めて就職。2008年日本IBMに入社し、社内コミュニティー・マネージャー、およびソーシャル・ビジネス/コラボレーション・ツールの展開・推進を担当。持続可能な未来の実現に取り組む組織や人たちと社内外でさまざまなコラボ活動を実践し、記者として取材、発信している。脱炭素DX研究所 客員研究員。 合い言葉は #混ぜなきゃ危険 #民主主義は雑談から #幸福中心設計

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