
ゼンショーホールディングス創業者の小川賢太郎会長が2026年4月6日に死去した。享年77。ゼンショーHDの公表資料によると、同氏は1948年7月29日石川県生まれ。1982年に株式会社ゼンショーを設立し、外食業界を代表する経営者として長く同社を率いた。
飢餓と貧困の撲滅を掲げて出発した創業者
小川氏を語るうえで外せないのは、売上や店舗数より先に理念である。
ゼンショーの公式サイトは、同社の根本に「人類社会の安定と発展に責任をおい、世界から飢餓と貧困を撲滅する」という企業理念があると明記。
創業者メッセージでも「世界から飢餓と貧困を撲滅する」というビジョンを掲げてきたと説明している。
牛丼チェーンの創業者という肩書では収まらず、食を通じて社会そのものを組み替えようとしたところに、小川氏の特異さがあった。
学生運動、吉野家、そして株式会社という選択
小川氏の人生は学生運動から労働運動、さらに企業経営へと変遷を辿った。
東京大学に入りながら学生運動に身を投じ、その後は荷役会社に身を置き、吉野家の倒産にも立ち会った。
そうした経歴を経て、資本主義の仕組みの中で飢餓と貧困をなくす道を探った。
反体制の熱が、やがて株式会社という器に移し替えられたのである。
玄関のベンチプレスが物語る経営者の気迫
小川氏の豪胆を象徴する逸話として、ベンチプレスやトレーニングの話は外せない。
ダイヤモンド・オンラインで投資家の清原達郎氏は、ゼンショーを訪ねると玄関にベンチプレス用のベンチとバーベルが置かれており、小川氏自身も「ポパイ」や「キン肉マン」を思わせる体つきだったと回想している。
そこで小川氏は、牛丼の優秀さ、日本人の体格、ベンチプレスで身体を鍛えることまで一息に語ったという。
経営の話と身体の話が同じ熱量でつながっていたことに、この人の異様な迫力がある。
前田日明を支えた「身体を動かさないとダメだよ」
プロレスラー前田日明との関係も、単なるスポンサーと競技者ではなかった。
前田が2025年に配信した文章では、小川氏について「命の恩人」と明言し、UWF崩壊後に沈んでいた自分へ「身体を動かさないとダメだよ」と声をかけ、70坪の道場とウエイトセットを用意してくれたと振り返っている。
その場所はのちにリングスの道場になった。
資金援助だけでなく、身体を立て直す場そのものを与えたという話に、小川氏の面倒見のよさとスケールがにじむ。
すき家を外食1兆円企業へ押し上げた拡張力
もちろん、思想や逸話だけで小川氏は語れない。
ゼンショーHDの会社概要によると、2025年3月末時点の連結売上高は1兆1366億84百万円、グループ店舗数は1万5419店に達する。
創業者メッセージでも、同社は国内の外食企業として売上首位、世界の外食企業でもトップ10級の規模へ育ったと説明。
理念を掲げる経営者は多いが、それをここまで巨大な事業体へ変えた例はそう多くない。
Xで広がった経営者たちの追悼メッセージ
訃報を受け、Xでは経営者や専門職からの追悼も相次いだ。
堀江貴文氏は「一度だけ会った」との記憶を添えて冥福を祈り、ベリーベスト法律事務所代表の酒井将氏は、駆け出しの頃に小川氏と会った経験を振り返っている。
さらに、シコメルフードテック代表取締役社長の川本氏も、一代で外食1兆円企業を築いた経営者としてその死を惜しんだ。
小川氏が外食業界の内側だけでなく、周辺の経営者たちにも強い印象を残していたことがうかがえる。
小川賢太郎が遺したもの
小川賢太郎という人物は、数字に強い経営者というだけでは足りない。
理念を語り、物流を組み、牛丼を広げ、ベンチプレスで身体を鍛え、格闘家に道場を用意する。
その振れ幅の大きさごと、ゼンショーという企業の原動力だった。
外食1兆円企業を築いたという実績は当然大きい。
だが、それ以上に印象に残るのは、食を通じて世界を変えるという大きすぎる目標を、現実の会社経営へ落とし込もうとした執念である。
小川氏の死で、日本の外食史の一時代が静かに幕を閉じた。



