
世界的モーター大手ニデックの創業者・永守重信氏が、名実ともに経営から完全に身を引いた。相次ぐ不適切会計疑惑と、東証「特別注意銘柄」指定。カリスマが去った後の組織はどう変わるのか。改善計画と将来への課題を考察する。
カリスマ経営者の衝撃的な幕引き:永守重信氏が完全に身を引く理由
2026年2月26日、日本の産業界を長年牽引してきた一人のカリスマが、自ら築き上げた城を去った。モーター大手ニデック(旧日本電産)の創業者、永守重信名誉会長(81)が同日付で名誉会長職を辞任し、経営から完全に引退することを発表した。
1973年、京都市内の自宅裏にあるプレハブ小屋で、仲間3人と共にわずかな資金で創業してから半世紀。永守氏は、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という強烈なリーダーシップと、積極的なM&A(企業の合併・買収)を武器に、ニデックを売上高2兆円を超える世界的メーカーへと押し上げた。
しかし、その輝かしい功績の裏側で、同社は今、創業以来最大の危機に直面している。グループ内で相次いで発覚した不適切な会計処理の疑惑だ。永守氏は辞任に際し、「ニデック再生の正念場であり、剣ヶ峰(けんがみね)です」との声明を出し、不正経理の疑義について「慚愧(ざんき)の至り」と深く謝罪した。
今回の引退は、単なる高齢による交代ではない。不適切会計という不祥事の責任を明確にし、東京証券取引所から受けた「特別注意銘柄」という不名誉な指定からの脱却を目指すための、いわば「引責引退」の側面が強い。永守氏は「私が静かに去ることで生まれるこの空白は、次世代が新しい歴史を描き始めるための『白いキャンバス』になる」とし、名実ともにニデックから完全に離れる決断を下した。
株主や一般消費者にとって、ニデックは「永守氏そのもの」であった。その象徴が去ることで、ニデックは「普通の会社」になれるのか、それとも衰退への道を辿るのか。
信頼を失墜させた「不適切会計」の連鎖:何が起きていたのか?
ニデックが現在抱えている問題は、一つではない。複数の子会社で、異なる形態の不適切会計やコンプライアンス違反が噴出している。これらが積み重なり、同社のガバナンスが機能していないことが露呈した。
1. イタリア子会社での関税未払い問題(FIR事案)
不祥事の連鎖の端緒となったのが、イタリア子会社のFIR社だ。ニデックが公表した報告書によると、同社は2018年から2023年にかけて、中国製部品を使用して製造したモータを米国に輸出する際、原産地をイタリアと偽って表示していた 。これにより、支払うべき追加関税を免れていたのである。
深刻なのは、この問題を現地の担当者が2022年には把握していたにもかかわらず、本社の経営陣への報告が大幅に遅れ、2023年9月まで不正な出荷が継続された点だ。最終的にニデックは、過去5年分の未払い関税約6.8百万ドル(約10億円規模)を米国当局に支払う事態となった。
2. 中国子会社での購買一時金の不適切処理(テクノ事案)
2024年9月、子会社のニデックテクノモータ(中国)において、取引先サプライヤーからの値引き(購買一時金)約2億円に関して不適切な会計処理の疑いが浮上した。これをきっかけとした社内調査の過程で、経営陣が資産の評価減(価値が下がった資産の処理)の時期を恣意的に調整していたことを疑わせる資料が複数発見されたのである。
3. 次々と発覚する不正の芽
さらに調査を進めると、「エレシス事案」と呼ばれる中古品の輸出における関税の過少申告、スイス子会社での無登録輸出、中国子会社での源泉所得税の意図的な過少申告など、世界各地の拠点で「ルールを軽視する」風潮があったことが判明している。
これらの事態を重く見た東証は、2025年10月28日、ニデックを「特別注意銘柄」に指定した。これは「上場廃止」の一歩手前とも言える厳しい措置であり、投資家にとっての信頼は底に落ちた。
なぜ不正は起きたのか?内部調査が暴いた「忖度」と「プレッシャー」
ニデックが2026年1月28日に公表した「改善計画・状況報告書」は、非常に率直な言葉で自社の組織的欠陥を分析している。そこには、カリスマ永守重信氏の下で培われた「歪んだ企業風土」が克明に記されていた。
過度な「株価至上主義」の副作用
ニデックは長年、「3K(高成長、高収益、高株価)」を経営の基本姿勢として掲げてきた。報告書によると、永守氏は株価を「経営者の成績表」として極めて重視しており、株価維持・向上のために、現場の実態を無視した高い利益目標をトップダウンで課していたという。
目標未達を許さないマイクロマネジメント
目標達成に向けて、一部の経営陣による過酷な業績管理が行われていた。目標が未達になる恐れがある場合、一日に数回もの確認会議が開かれ、最後の回が深夜に設定されることもあったという。未達となった拠点の幹部は、メールや会議の場で名指しで激しく非難されることがあり、これが各階層に「恐怖」と「プレッシャー」を植え付けた。
創業者の意向に逆らえない「もの言えぬ風土」
「元代表(永守氏)の意向を優先する風土」が、ガバナンスを麻痺させていた。役職員は永守氏の判断に依存し、その意向を「忖度」することが常態化していた。永守氏の意向に沿わないリスク情報や進捗報告は許されない傾向にあり、重要な問題が取締役会にすら上がってこない構造が出来上がっていたのである。
「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という創業精神は、本来は強みであったはずだが、それが「どんな手段を使ってでも数字を作る」という誤った方向に作用してしまった。この「組織の病」こそが、不適切会計の根本原因であったと会社側は認めている。
東証「特別注意銘柄」指定の重みと、上場廃止という最悪のシナリオ
多くの一般消費者にとって、「特別注意銘柄」という言葉は聞き馴染みがないかもしれない。しかし、これは株主にとっては極めて深刻な事態である。
東証はニデックに対し、「適正な決算内容を開示できていない状態が継続している」「内部管理体制の不備が検出されている」と断じた。特別注意銘柄に指定されると、日経平均株価などの指数構成銘柄から除外されることが多い。実際、ニデックの株価は不祥事発覚以降、冷ややかな視線にさらされている。
最も恐ろしいのは、指定から1年が経過した時点で内部管理体制の改善が十分でないと判断された場合、上場廃止となる可能性があることだ。上場が廃止されれば、株式の売買は極めて困難になり、企業の資金調達能力も著しく低下する。ニデックにとっては、まさに「生きるか死ぬか」の瀬戸際にあると言えるだろう。
岸田光哉社長は、2026年1月の会見で「指定解除に向けて全社一丸となって取り組む」と述べたが、その道のりは決して平坦ではない。
再生への処方箋:ニデックが掲げる「抜本的改善計画」の全貌
ニデックは現在、不祥事の調査を行う「第三者委員会」と並行して、自律的な改革を推進する「ニデック再生委員会」を稼働させている。2026年1月に発表された改善計画には、これまでの「永守流」との決別を思わせる、聖域なき施策が盛り込まれた。
1. 計画策定プロセスの民主化(ボトムアップへの転換)
これまでのトップダウン一辺倒の目標設定を改め、各事業部が自律的に計画を策定する「ボトムアップ型」を導入する。短期的な利益目標の達成を強要するプレッシャーを抑止し、キャッシュフローや非財務指標も含めた多面的な評価制度へと移行する方針だ。
2. 経理機能の独立と強化
不適切な会計処理を防ぐため、経理部門を事業部門から完全に独立させる。事業本部の経理担当者の人事権を本社経理に移管し、現場の「数字合わせ」への誘惑を断ち切る仕組みを作る。また、連結会計に携わる人員を増強し、外部専門家の指導を仰ぎながら、決算の質を向上させるという。
3. 企業風土を根本から変える「Culture Transformation Lab」
「もの言えぬ風土」を打破するため、最高人事責任者(CHRO)の直下に「Culture Transformation Lab(カルチャー・トランスフォーメーション・ラボ)」を新設した。若手社員を中心としたチームが、従業員の声を直接経営層に届け、施策に反映させる役割を担う 。これにより、風通しの良い組織への変革を目指す。
4. ガバナンスの刷新と取締役会の多様化
取締役会が「永守氏の追認機関」とならないよう、上場企業の経営経験者や会計の専門家を社外取締役として招聘し、多角的な監督が行える体制を整える。また、執行役員の指名・報酬基準も見直し、中長期的な視点での経営を促すように刷新する。
5. コンプライアンス教育の徹底と厳格な処分
「正しいことを最優先する」意識を植え付けるため、中途入社者も含めた全役職員への対面研修を実施する。また、不正に関与した者に対しては、たとえ功労者であっても例外なく厳格な人事処分を下すことを明言している。
岸田社長が背負う重責:「永守氏なき後」をどう舵取りするか
永守氏の引退により、ニデックの全ての権限は岸田光哉社長兼最高経営責任者(CEO)に託された。岸田氏は、ソニー(現ソニーグループ)出身の「外様」でありながら、永守氏にその実力を見込まれてトップに就いた人物だ。
岸田社長にとっての最大の課題は、永守氏が築いた「強さ(営業力やスピード)」を維持しつつ、「脆さ(ガバナンスや不健全なプレッシャー)」だけを丁寧に取り除くことだ。これは非常に難しいバランス感覚を必要とする。
岸田氏は会見で、「必ず正しくやる企業風土を作る」と強調した。永守氏という圧倒的な支柱を失った組織が、自律的に動き出せるのか。社員一人ひとりが「自分が主人公である」という意識を持てるかどうかが、再生の成否を分けるだろう。
株主・一般消費者が注視すべき「3つの懸念点」
永守氏が完全に経営を離れた今、私たちが注目すべきポイントはどこにあるのか。
以下の3つの視点が重要だ。
① 大株主としての永守氏の影響力
永守氏は役職からは退くが、依然として個人で約8.3%(実質的には10%超)の株式を保有する筆頭株主である。経営陣が、大株主としての永守氏の顔色を窺い、結局「見えない忖度」が続くようであれば、改善計画は形骸化する。岸田社長が「株主の一人として適切に対話する」という姿勢をどこまで貫けるかが焦点だ。
② 業績への一時的な影響
改善計画の実行にはコストがかかる。また、不適切会計の全容解明に伴い、過年度の利益が修正されたり、特別損失が計上されたりする可能性もある。短期的な業績悪化を市場がどう受け止めるか。予断を許さない状況であることは間違いない。
③ 「スピード感」の喪失
永守流の最大の強みは、即断即決のスピード感だった。ボトムアップや民主的な合意形成を重視するあまり、競争が激しい世界市場での意思決定が鈍るようであれば、競合他社に後れを取るリスクがある。ニデックが「正しい会社」でありながら「勝ち続ける会社」であり続けられるか、その真価が問われる。
結びにかえて:ニデックは「第2の創業」を成し遂げられるか
永守重信氏の辞任声明にある「ニデックは永久に不滅だ」という言葉には、強い願いが込められている。しかし、企業の永続性は、創業者のカリスマ性ではなく、組織が持つ自浄作用と誠実さによって保証されるものだ。
1973年の創業から50年余り。ニデックは今、かつてのプレハブ小屋での創業時とは異なる、本当の意味での「第2の創業」の時期を迎えている。それは、一人の天才に頼る経営から、組織の力で成長する近代的なグローバル企業への脱皮だ。
第三者委員会の最終報告書は、間もなく公表される予定である。そこには、私たちがまだ知らない厳しい事実が含まれているかもしれない。しかし、その痛みを直視し、膿を出し切ることこそが、ニデックが再びステークホルダーから「愛される企業」に戻る唯一の道である。
株主や消費者は、この「新生ニデック」の歩みを厳しく、かつ温かく見守り続ける必要があるだろう。創業者の物語が終わり、次世代が紡ぐ新しい物語が、果たしてどのような光を放つのか。ニデックの「正念場」は、今、始まったばかりだ。
【参照(ニデック株式会社より)】
・名誉会長辞任に関するお知らせ
・改善計画書のご説明
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