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「被災地を“ASMRのネタ”にした暴挙──フランス人YouTuber・TomASMRに非難殺到、『ASMR IN FUKUSHIMA』が突きつけた表現の暴力」

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Tom ASMR
Tom ASMR氏 YouTubeチャンネルより

福島の痛みを“音の素材”に変えた動画が、いま怒りを呼んでいる。フランス人YouTuber・TomASMRが投稿した「ASMR IN FUKUSHIMA」は、防護服姿で放射線測定器を持ち、福島県浪江町とみられる場所で音を採集する映像。
震災から14年、いまだ帰還できない人々がいるその地を“癒しのコンテンツ”として消費したことに、非難が殺到している。美しく装われた映像の裏に潜むのは、被災地を「ネタ」として扱う冷酷な感性だった。

 

無神経な「音の旅」──フランス人YouTuberの暴走

TomASMRは2002年生まれのフランス・パリ出身。ASMR(自律感覚絶頂反応)動画で人気を集め、登録者数は約99.2万人(10月17日時点)。物を叩く音や囁き声で“癒し”を届けるはずの彼が、今回選んだ舞台は震災の爪痕が残る浪江町だった。
問題の動画「ASMR IN FUKUSHIMA」では、防護服を着たTomASMRが放射線測定器を手に、道路や電柱、銀行の自動ドアを指で叩いて音を収録する。やがて場面は、個人宅とみられる空き家の中へ。半壊した部屋や散乱する家具、2011年3月の日付で止まったカレンダー、吊るされたままの衣類──そこに残された生活の痕跡を、彼は“音”として切り取った。
癒しを掲げた配信が、被災地を「実験場」に変えた瞬間だった。

 

「人の思い出を踏み荒らすな」──SNSに噴出した怒り

動画公開直後、SNSは怒りに包まれた。
《結局日本をバカにしてるんだろう》
《笑えない。これは冒涜だ》
《ここに住んでいた人の気持ちを考えろ》

という投稿があふれ、非難の声が一気に広がった。中には「記録として意義がある」と擁護する意見もあったが、圧倒的多数は「やり方があまりに無神経」と断じた。
特に問題視されたのは、空き家内部への立ち入りだ。視聴者からは「不法侵入ではないのか」との指摘も相次ぎ、動画は倫理的にも法的にも大きな疑念を残した。

批判を受けて、TomASMR本人はコメント欄に英語で釈明した。
「禁止区域には入っていない」「許可されたエリアで撮影した」「最大限の敬意を払った」と述べたが、具体的な証明や許可の有無は示していない。
浪江町の防災安全係は、「解除区域で通行自体は可能だが、個人の敷地への立ち入りは全国的に禁止されている」と強調し、「警察や見守り隊と連携してパトロールを強化している」と明らかにした。
言い訳よりも先に問われるべきは、「他者の痛みへの想像力」である。

 

繰り返される「被災地YouTuber」の蛮行

TomASMRの行為は、近年の“災害地コンテンツ化”の延長線上にある。
2024年7月には、防護服姿の外国人配信者が帰宅困難区域の廃校に侵入し炎上。2025年9月には、福島県大熊町で立入禁止区域に侵入したウクライナ人3人が逮捕された。空き家の中でお茶を沸かし、残された物を漁る様子を生配信していた。
いずれも「探検」「記録」と称していたが、被災者の尊厳を軽んじる行為として強く批判された。
今回のTomASMRも「許可区域で撮った」と主張するが、そこに住んでいた人々の思いを踏みにじったことに変わりはない。震災で家を失い、今も帰れない人々がいる土地を“ASMRの舞台”にした時点で、その行為は冒涜に等しい。

“癒し”の仮面をかぶった搾取

ASMRは本来、安らぎを届けるための表現だ。だがTomASMRの「ASMR IN FUKUSHIMA」は、被災地を異国情緒的に演出し、“廃墟の静寂”を消費するコンテンツになっていた。防護服や測定器を小道具に用い、視聴者の好奇心と恐怖を刺激する構図。
カメラが映すアップライトピアノ、子どもの壁飾り、埃をかぶった家具。それらは本来、悲しみの記憶であり、決して“音素材”ではない。
彼の行為は「癒しのASMR」ではなく、「記憶の搾取」そのものだ。
廃墟を美しく切り取る編集の裏で、生活の痕跡が“異国の趣”として消費されていく。その冷たさは、被災地の人々を二度傷つけた。

 

「違法でない不道徳」──表現者に問われる倫理

TomASMRの動画は削除されず、いまも世界中で再生され続けている。彼が主張する「敬意」は、どこにあったのか。
法的にはグレーでも、倫理的には真っ黒だ。被災地の痛みを娯楽に変える行為は、表現の自由ではなく想像力の欠如である。
浪江町には今も帰還できない住民が多く、記憶と再生の途上にある。その現実を“音の遊び場”に変えた罪は、決して軽くない。
表現者としての最低限の節度を欠いたこの行為は、「違法でない不道徳」として語り継がれるだろう。
被災地は“映える場所”ではない。そこには、人の時間と涙がある。

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ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

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