
1990年代に爆発的な人気を誇ったロックバンド「SIAM SHADE」が、ついに法廷の場で真っ向から争う事態に陥った。メインソングライターのギタリストDAITA(54)が他の4人を相手取り提訴し、バンド名の使用と楽曲の演奏を禁じるよう求めた。
だが今回の対立は突発的なものではない。解散から20年以上、表に出るたびに「再結成」と「不協和音」を繰り返してきた。そこには、金銭をめぐる疑念、信頼関係の揺らぎ、そして音楽家としてのプライドの衝突が横たわっていた。
人気絶頂での解散
SIAM SHADEは1993年にメジャーデビューし、1997年の「1/3の純情な感情」が大ヒット。テレビやカラオケを通じて全国的な知名度を獲得した。
しかし2002年、人気絶頂の中で突然の解散を発表。武道館でのラストライブはファンに「まだ続けられるはずなのに、なぜ」と強い衝撃を与えた。解散理由は明確に語られなかったが、音楽性の違いや将来像の相違が背景にあったとされる。ここから、メンバー間の小さなすれ違いが「不仲」の萌芽として残った。
金銭をめぐる疑念
不仲の火種となったのは2011年の復興支援ライブだ。被災地支援を掲げた収益の一部が、DAITAの知人が運営する一般社団法人に寄付された。しかしその法人がネイルサロンを経営していたため、他の4人は「本当に復興に使われているのか」と疑念を抱いた。
2018年には寄付先とDAITA宛に内容証明を送付。そこから互いへの不信感は一気に広がり、収益管理を担っていたDAITAの会社に対しても「中抜きしているのではないか」という疑惑が持ち上がった。
「実際、法人格を持っていたのはDAITAだけ。だから収益管理は必然的に彼の会社経由になった。だが4人は“透明性がない”と不満を募らせたのです」(音楽業界関係者)
2021年には4人がDAITAを提訴し、損害賠償を求めるまでに発展。だが2024年10月、裁判は和解し、DAITAに不正はなかったと認められた。にもかかわらず、不信感は消えなかった。
信頼関係の崩壊
「和解=仲直り」にはならなかった。和解後すぐに、残る4人は声明で「4人のみで活動することが多くなる」と宣言。今年には同期バンドSOPHIAとユニット「SIAM SOPHIA」を結成し、DAITA不在のまま新しいギタリストRENOを迎えてライブを行った。
つまり表向きは和解したはずが、実質的には“DAITA抜き”の路線が固められていたのだ。
「かつてはDAITAが作る楽曲を信じて突き進んだ5人だったが、今や信頼は崩壊した。和解成立の陰で、すでに別の未来を歩む覚悟を固めていたのだろう」(前出・関係者)
プライドの衝突
DAITA(54)は氷室京介のツアーギタリストを務め、2013年には全米デビューも果たすなど、日本のロック界屈指の技巧派として評価されてきた。一方、ボーカルの栄喜(53)はハイトーンかつ力強い歌唱で人気を集め、ソロ活動でも多彩な音楽性を発揮。ギター&ボーカルのKAZUMA(53)は柔らかな声質で栄喜を補完し、アコースティック調の楽曲で存在感を放った。ドラムの淳士(52)は精密なプレイとパワフルなステージングで“職人肌”と呼ばれてきた。
互いにプロとしてキャリアを積んできたからこそ、「誰がバンドの顔なのか」「誰がブランドを守るのか」をめぐるプライドが衝突した。
「SIAM SHADEの看板はDAITAの楽曲に依存している。だが残りの4人からすれば『俺たちがいたからヒットした』という自負もある。どちらも正しく、だからこそ和解できない」(音楽誌記者)
ファンの声と世代の痛み
X(旧Twitter)では今も議論が絶えない。
「DAITA抜きのSIAM SHADEは違和感しかない」
「もう50代なんだから名前にこだわらず自由にやってほしい」
「青春返してほしいくらいショック」
といったコメントが飛び交う。かつて中高生だった世代は今や40代〜50代。自分たちの青春を彩ったバンドが、金銭やプライドで争う姿に痛みを覚えているのだ。
他の90年代バンドとの対比
同時代のLUNA SEAやGLAYも一度は解散や活動休止を経験したが、最終的には関係を修復し、大規模ツアーを成功させている。その姿と比べると、SIAM SHADEのこじれ方はより深刻に映る。
「LUNA SEAやGLAYは“仲間”という意識を取り戻せたが、SIAM SHADEは互いに“ライバル”意識が強すぎたのかもしれない。だから再結成してもすぐひび割れが見える」(音楽ライター)
金銭トラブルで芽生えた疑念は、信頼関係を損ない、やがて音楽家としてのプライドの衝突へと発展した。解散後も再結成のたびに注目を浴びたSIAM SHADEだが、今やファンの願う「再集結」は遠のくばかりだ。
彼らの「純情な感情」は、20年の時を経てもなお、互いに届かないままなのかもしれない。