
回転寿司チェーン「スシロー」の広告から、笑福亭鶴瓶(73)の笑顔が突然消えた。原因とされるのは、直接関係のない“知人のトラブル”と、それに伴うネット上の憶測。潔白が証明されても、広告主が取った行動とは──。その背後には、「疑われただけで降ろされる」現代広告のリスク回避構造と、ベテラン芸人の信義を貫いた決断があった。
鶴瓶の笑顔がスシローから消えた日
2023年7月からスシローのCMキャラクターを務めていた笑福亭鶴瓶が、2024年1月29日付で突如、同社の公式ホームページや店頭ポスターから姿を消した。同月23日に報じられた、中居正広氏と女性とのトラブルに関連し、中居氏の自宅マンションで開催されたバーベキューパーティーに鶴瓶が出席していたことが“事の発端”とされている。
スシローの運営会社は削除理由を「総合的に判断」と説明するにとどめたが、SNS上では「鶴瓶も関与していたのか」という憶測が瞬く間に拡散された。CM起用の見合わせと再開、そして契約終了に至る流れの裏には、広告業界に根付いた“過剰なリスク管理”の文化が透けて見える。
広告業界に蔓延する“疑わしきは排除”の文化
いまや広告業界では、「潔白」であっても“火の粉”を浴びただけで起用が見直されることが珍しくない。かつてはスキャンダルの“当事者”に限られていた対応が、近年では「関係者」「同席者」まで含められるようになってきた。とりわけ、SNS世論の動向が迅速に広告主を揺さぶる今、“企業イメージの毀損”を恐れて「削除」や「見合わせ」を早期に決定するケースが増えている。
広告代理店関係者は語る。「今回の件も、実際には鶴瓶さんが中居さんのトラブルと無関係であることは関係各所に共有されていました。それでも、一度起きた報道やSNS上の“騒ぎ”に対し、広告主として安全サイドに舵を切ったわけです。これは業界全体が抱える“過剰防衛”の縮図とも言えます」
この構図は、視聴者・ユーザーを“炎上させないために”と取られる一方で、タレントにとっては一方的に「信頼の喪失」を突きつけられる事態となる。事実関係よりも“疑われたこと”が重視される風潮は、広告業界における本質的な信義を揺るがしている。
信頼の代名詞・鶴瓶の“沈黙と抵抗”
笑福亭鶴瓶といえば、テレビ・ラジオの世界で長年にわたって築いてきた信頼の象徴である。彼の笑顔は、庶民感覚と包容力を体現し、老若男女に愛されてきた。そんな鶴瓶が、自らの潔白を貫きながらも、広告削除という形で“関係者扱い”されたことに、複数の業界関係者は「さすがの鶴瓶さんも納得できなかったのでは」と口をそろえる。
事実、スシロー側は2月に広告を再開し、契約延長も打診したが、鶴瓶側は「首を縦に振らなかった」とされる。今年6月末で契約は予定通り終了し、スシローは「当初の契約内容に沿った」と説明した。
「“あの鶴瓶さん”でさえ、納得できずに去ったという事実が、広告主とタレントの信頼関係の難しさを物語っている」と広告業界関係者は語る。
CM契約と信義の限界──“一方通行”の関係が生むひずみ
広告出演契約におけるパワーバランスは、基本的に企業側が優位である。タレントに不祥事があれば契約解除、広告削除、損害賠償という流れは珍しくないが、その逆──「企業の誤った対応でタレントの名誉が損なわれた」場合に、明確な謝罪や補償が行われることは稀だ。
鶴瓶は、あくまで“呼ばれて参加した”だけのBBQを契機に、間接的な報道に巻き込まれた。そして、それが広告見合わせにつながり、最終的には自ら契約更新を拒否するという決断を下した。この一連の行動には、ベテラン芸人としての矜持と、信義を重んじる姿勢がにじむ。
企業とタレントの間にあるのは、単なる契約ではなく「互いの顔を預け合う関係」のはずだ。しかし現実には、広告主が“世論の空気”に引きずられて判断を急ぐ場面が増えている。結果として、企業の側の「信義」や「説明責任」は後回しにされ、タレントが沈黙を強いられる構図が浮かび上がる。
“ええやん”で始まった関係の終わり方
「ええやん、スシロー」とほほ笑んでいた鶴瓶の姿は、もう戻ってこない。信頼のある人でも、一度巻き込まれれば“疑念”だけで処理される時代。その風潮に対し、静かに「NO」を突きつけた鶴瓶の決断は、広告と芸能、そして社会全体の信義を問い直すひとつのメッセージとも言える。
私たちは、情報が飛び交うスピードばかりに目を奪われる時代に生きている。しかし、立ち止まって考えるべきなのは「疑わしい人を排除する」ことの是非よりも、「信じるに足る人との関係を、どう守るか」ではないだろうか。