
「前世で私、人を殺したのかと思った」
そうX(旧Twitter)に投稿したのは、「エンターテイナー折原」こと東優樹容疑者(29)の元妻、通称「牛乳ちゃん」だ。
「暴露系配信者」として、実は過去に複数回の逮捕歴を持つ折原氏が、現在警視庁にお縄となったことは既報の通り。容疑は“削除代”と称して会社役員から300万円を脅し取った脅迫。警察関係者によれば、余罪は少なくとも6件、被害総額は1000万円超とも噂される。だが、今回の報道が炎上している理由は、金額ではない。その“素顔”とされる、家庭内での恐るべき実態が次々と明るみに出ているからだ。
牛乳ちゃんは、メディアには口を開いていない。代わりに、Xで淡々と、しかし鋭く告発を続けている。「中央大学卒って言ってたのに中卒だった」「嫁が離婚してくれないと嘘をついていた」──さらには「朝廷(※離婚調停)も自分で起こしたと嘘をついていたが、実際は私が弁護士をつけて動いた」など、怒りと呆れの混じった投稿が止まらない。
「顔を舐められ、帰省も拒まれた」元妻が語る“家庭内痴漢”の恐怖
「離婚したい」と一言でも漏らせば、「今までのこと全部バラしてやる」「荷物を持ち出したら犯罪」などとSNSで仄めかす東容疑者。実際、牛乳ちゃんが別居を試みた際には、本人やその関係者が彼女の職場や交友関係に接触を図り、虚偽情報をばらまいたという。
自宅では、拒否しても顔を舐められたり、身体に触れられたりといった“家庭内痴漢”まがいの行為も日常茶飯事だった。さらには、「嫁は何かあれば自殺すると言って逃げろ」と周囲に話していた形跡もある。恐怖と羞恥の入り混じる日々が、元妻のXには赤裸々に綴られている。
調べでは、東容疑者は元妻の実家に帰ることを拒み、「義務として実家に戻れ」とLINEで執拗に送信。断れば暴言、無視すれば虚偽情報をSNSに投稿──“情報での拘束”が常態化していたという。
キャバクラ、ツーショット、虚偽の経歴…全ては“信用”の演出だったのか
虚言癖の本性は、家庭だけでなく、世間に向けても発揮されていたようだ。
学歴は中卒であるにもかかわらず「中央大学卒」。確かに、中(央大)卒と近い笑 真ん中を除けば中卒になるが、職歴も「過去に上場企業で働いていた」と語っていたという折原。さらには、女性とのツーショットやキャバクラでの写真をSNSに大量投下し、自分に魅力があるよう“演出”していた。
今回の逮捕でも、Xに個人情報を晒して「削除してやるから金を払え」と迫っていたとされるが、元妻に対しても「俺には弁護士が8人いる」「会社が数億円の損害賠償を受けた」など、現実とはかけ離れた“マウンティング”を仕掛けていたようだ。
だが、牛乳ちゃんが語るその素顔は、“ネット詐欺師”の域に近い。
SNSが「人質」になる時代──私生活が晒される恐怖
今回の一件が多くの読者の胸をざわつかせているのは、“晒される恐怖”が、誰にでも起こりうるという点だ。
元妻がSNSで明かした内容によれば、離婚を切り出すたびに、「俺のフォロワー10万人に拡散するぞ」「お前の情報も知人の情報も書き込む」と脅されたという。事実、拒絶された後には、まるで見せしめのように彼女の名前を含む投稿が複数なされた。
家庭内でのDVと、SNSを使った“人格破壊”。この二重構造こそが、令和の暴力のかたちなのかもしれない。
いまや、DV加害者が力を持つのは、拳でも暴言でもない。アカウントとフォロワー数だ。
「SNSに書かれた時点で人生が変わる」時代にどう向き合うか
東容疑者は現在、取り調べに対し黙秘を貫いている。だが、SNSにはすでに“証言”が山のように残されている。投稿ひとつが名誉を潰し、嘘ひとつが人間関係を壊す時代、エンターテイナー折原の破滅は必然だったのかもしれない。
牛乳ちゃんは「1分でも早く夫から解放されたいと毎日願っていた」と書いた。そして今、多くのフォロワーがその言葉に静かに頷いている。
元妻が語った証言の数々は、単なる夫婦喧嘩ではなく、“言葉とSNS”を武器にした現代型DVの実態を物語っている。被害は密室の中だけにとどまらず、ネットという「社会空間」をも巻き込む形で拡大していた。
社会復帰するには
逮捕によって折原容疑者は、これまで作り上げてきた“架空の経歴”と“人気者”という仮面をはぎ取られ、ネット社会の光と影のど真ん中で大きな生き恥を晒すこととなった。SNSのフォロワー数も、動画の再生回数も、嘘を正当化する免罪符にはならなかった。今回の容疑だが、前科もあるのであれば、弁当持ち(執行猶予期間)の可能性もあり、今後実刑もあり得るだろう。むしろ懲役(拘禁刑に変わったんだっけ)に赤落ちした方が自己内省のよい機会になるだろう。
社会的信用を失い、法的責任を問われ、あらゆる嘘が白日のもとにさらされた今こそ、彼に残された道はただ一つしかない。演じることではなく、自らの言葉で真実と向き合い、これまでに傷つけた人々へ謝罪すること。そして、言葉の力を使って誰かを壊すのではなく、誰かを癒やす方向へと変えていくことだ。
人生の本当の“再生”は、すべてを失ったその後に始まる。折原容疑者が再び人前に出るとき、過去の過ちを認め、誰も演じず、誰も欺かず、「素の自分」として立ち上がる日が来るならば──それが、彼にとって唯一の救いとなるだろう。