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ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領逝去 名言・逸話・伝説で読み解く「世界一貧しい大統領」の哲学と清貧の生涯

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ホセ・ムヒカ大統領
ホセ・ムヒカ元大統領(ウルグアイ政府HPより)

5月13日、ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が89歳でこの世を去った。食道がんと免疫疾患との闘病を続けていたが、最後までその穏やかな笑みと信念を失うことはなかった。「世界一貧しい大統領」として知られたムヒカ氏の訃報は、世界中に静かな衝撃を与えている。

 

孤児から武力闘争の闘士へ

ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノは1935年5月20日、モンテビデオ市の西部に位置するパソ・デ・ラ・アレナ地区で生まれた。彼は農村労働に携わるバスク人とイタリア人移民の家庭で育った。7歳の時に父親に先立たれ孤児となった彼は、家族の小さな土地で育てた花を売って母親を助けた。彼はその地域で小学校と高校に通い、思春期にはバスケス・アセベド学院(IAVA)に進学したが、卒業はしなかった。

若き日のムヒカ氏は、家族の一部にあった白人系の伝統に従い、国民党に参加し青年部の事務局長を務めた後、同党のエンリケ・エロ代表の個人秘書となった。エロ氏が人民連合に転じて社会党と共闘した際も同行し、政治活動に傾倒していった。

その後、ムヒカ氏はツパマロス民族解放運動に参加し、武力闘争の道へと進む。投獄を繰り返しながら、プンタ・カレータス刑務所からの脱獄にも関与し、最終的には極度の隔離状態に置かれた軍の兵舎地下牢に15年にわたり拘禁された。1985年、独裁政権の崩壊と民主化を迎えたウルグアイで、恩赦法の適用により釈放された。

革命児から国家元首へ

 

1989年、ムヒカ氏はブロード戦線(フレンテ・アンプリオ)内の人民参加運動(MPP)を創設。1994年に下院議員、1999年には上院議員に選出され、2004年に再選。2005年から2008年までは畜産・農業・漁業大臣として閣僚入りし、2009年の大統領選で勝利したフレンテ・アンプリオの候補として2010年から2015年までウルグアイ大統領を務めた。

2014年には再び上院議員に選出されたが、2018年に辞任して第一線の政治から退いた。以後も政治的立場を保持しつつ、発信を続けていたが、長年にわたる自己免疫疾患により体調が悪化。2025年5月13日、その生涯に幕を下ろした。

モンテビデオ市議会は深い悲しみを表明し、遺族や親しい人々、闘争を共にした同志たちに対して哀悼の意を表した。

ムヒカ氏の名言や逸話、そして彼が遺した哲学的思想は、今なお多くの人々に影響を与え続けている。

世界を揺るがせた「リオ会議」のスピーチ

 

2012年、ブラジル・リオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議(リオ+20)で、ムヒカ氏は約8分間にわたる熱弁を振るい、会場は喝采に包まれた。

「私たちは発展するために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ」

この一言は、消費社会に疲弊する現代人の心に深く刺さり、今なお語り継がれている。

名言で読み解く“ムヒカの哲学”

 

ムヒカ氏が生涯にわたって語った言葉は、単なる人生訓にとどまらず、現代社会への鋭い警鐘でもあった。

  • 「貧しい人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
  • 「私たちは発展するために生まれてきたのではない。幸せになるために生まれてきたのだ」
  • 「国を治めるものの生活レベルは、その国の平均でなければならない」
  • 「物を買うというのは、稼いだ金ではなく、人生の時間で買っているのだ」
  • 「人生で最も重要なのは勝つことではなく、歩み続けることだ」
  • 「人間は命のあるものからしか幸せを得られない。モノからでは幸せにはなれない」
  • 「私たちは非常に多くの矛盾を抱えている。私たちは幸せに生きているのか、自らに問い直すべきだ」
  • 「教育を残すこと、それが後世に伝えるべき唯一の富である」
  • 「金持ちは政治家になってはいけない」
  • 「日本の子どもたちよ、急いで大人にならなくていい。子どもであることを楽しみなさい」
  • 「残酷な競争で成り立つ消費社会で、共存共栄の議論はできるのか?」
  • 「自由とは、生きるための時間を持つことだ」
  • 「世界を変えることはできないかもしれないが、自分自身を変えることはできる」

これらの言葉は、今なおSNSや教育現場、そして政策論議の場でも引用されることが多い。

質素な暮らしに宿る信念

 

ムヒカ氏は公邸を辞退し、郊外の質素な自宅で暮らし続けた。大統領報酬の大部分を寄付し、自家菜園で野菜を育て、1987年製のフォルクスワーゲン・ビートルをこよなく愛した。

休日には犬のマヌエラを連れ、畑仕事に勤しむ姿が地元の人々の目撃談として語り草になっている。信条は常に、「国のリーダーは国民と同じ暮らしをすべきだ」というものだった。

妻・ルシアさんとの絆

ムヒカ氏の人生において欠かせない存在が、妻であり同志でもあるルシア・トポランスキ氏だった。2人は獄中で出会い、苦難の時代を共に生き抜いた。ムヒカ氏は後に「ルシアに出会って人生が変わった」と語っている。

最後まで人生を語り続けた人

 

2024年、病床にあったムヒカ氏は記者にこう語った――

「人類の幸福のために戦わなければなりません。富だけでは足りない。人生に意味を与えなければ」

その姿は、たとえ肉体が衰えても魂は語り続けるという、まさに“語る人”そのものであった。

名言が照らす未来

ホセ・ムヒカ氏の遺した言葉と行動は、「人間らしく生きるとは何か」を私たちに問いかけ続ける。市場原理に支配された世界で、彼の語った「質素の哲学」や「清貧の思想」は、もはや過去の理想ではない。消費の飽和と格差の拡大が進む現代にこそ、彼の声は再び響き渡る。

ムヒカ氏の人生は、こう締めくくられるべきだろう「歩み続けること、それが人生で最も大切なことだ」。

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寒天 かんたろう

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ライター歴25年。月刊誌記者を経て独立。伝統的な日本型企業の経営や大学、高校、通信教育分野などの取材経験が豊富。

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