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渡邊渚、PTSD語るフォトエッセイが話題 高橋茉莉との接点 ミス慶応2016年大会 消費される女性

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渡邊渚、PTSDを語るフォトエッセイが話題に

渡邊渚さん、MISS CAM NEWSのサイト
渡邊渚さん、MISS CAM NEWSのサイトより

元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さんが初のフォトエッセイ『透明を満たす』を刊行し、その内容が大きな反響を呼んでいる。特に、PTSDを発症するきっかけとなった「雨の日」についての記述が「魂の叫び」「凄絶」「生々しい」との声を集め、読者に衝撃を与えた。このエッセイを通じて、彼女が抱えてきた苦しみが改めて浮き彫りとなった。

2016年のミスコンと交錯する人生

渡邊さんの過去を振り返る中で、ある人物との一つの交錯点が見えてきた。舞台は2016年。彼女がファイナリストとして参加していた「ミス慶応コンテスト」のことだ。華やかな世界への登竜門とされるこの舞台は、広告学研究会によるレイプ事件、および未成年飲酒を巡る不祥事によって突如中止となった。

当時、渡邊さんは産経新聞の取材に対し「高校生だった昨年の秋、ミス慶応のフィナーレを初めて観に行きました。『私もあの舞台に立ちたい』って思ってから、もうすぐ一年。あと一歩でその舞台に立てるところだったのに、その夢がもう叶わないということが信じられません。このような形でコンテストが中止になることが腑に落ちませんし、怒りがこみ上げてきます」とコメントを寄せている。

その産経新聞の記事を読み進めると、もう一人のファイナリストが渡邊さんと同じようにコメントを寄せていた。後に国民民主党の公認候補となる高橋茉莉さんだ。

高橋さん MISS CAM NEWSのサイト
MISS CAM NEWSのサイトより

彼女もまた「フィナーレを迎えられなくて、すごくすごく残念です。今まで応援してくださった方々に恩返しをできなくて、すごく悔しく、申し訳ない気持ちでいっぱいです」と語っていた。さらに、「フィナーレを迎えるまでの活動は、自分の人生の中で一番有意義で、意味のあるものだったと思います。そんな約半年間をスタッフをはじめ、最高な6人で過ごせたことが宝物です」と振り返っていた。

男性社会の視線に翻弄された二人

渡邊さんと高橋さん、それぞれの人生は異なる道を進んだが、共通しているのは「男性たち」に苦しんだことだった。ミスコンという制度は、女性を「美の象徴」として評価する場であり、それが華やかな成功へとつながる一方で、過度な期待や外見への過剰なプレッシャーを生み出していたのではないだろうか。

高橋さんは政治の道を歩もうとしたが、過去のキャバクラ勤務歴が暴かれ、スキャンダルに巻き込まれた末に精神的に追い詰められ、最終的には自ら命を絶った。渡邊さんもまた、メディアにおける外見重視の文化の中で生き抜いてきたが、その過程でPTSDを発症するほどの苦しみを抱えることになった。

ミスコンの歴史とその変遷

ミスキャンパスの歴史は長く、野際陽子さんが初期のミス立教だったと言われるほど、約70年にわたる伝統がある。しかし、特に盛り上がりを見せるようになったのはここ20年ほどであり、1999年のミス慶応・中野美奈子さんや、2001年の青木裕子さんなどがアナウンサーとして成功したことで、ミスコンは「マスコミ就職の登竜門」としての地位を確立した。

しかし、こうした伝統的なミスコンの運営は大学の公式行事ではなく、広告研究会などの学生団体が主導して行ってきた。企業のスポンサーがつくことで、学生マーケティングや代理店的な機能も果たすようになり、近年では大手企業が支援するビジネスの側面も強くなっている。

SNSとミスコンの変容

2012年頃から、ミスコン候補者はTwitter(現X)を活用し始めた。ネット投票の導入によって、候補者の活動はより一般に開かれ、ライブ配信やインスタグラムでのPR投稿など、日常的に多くの発信を求められるようになった。

一方で、こうした活動の多くが「ノーギャラ」であることも問題視されている。候補者たちは企業案件のPRを強いられ、スポンサーとのミーティングやイベントへの出演など、多忙な日々を送るが、報酬はほとんど支払われないという現状がある。

「配信にはノルマがあるし、イベントや撮影、スポンサー企業との顔合わせに呼ばれることもあるけれど、私たちのところにはほとんどギャラが入ってこないんです」と、ある元ミスコン候補者を取材したときに語っていた。広告研究会は企業との交渉や資金調達を担い、一部の上層部は報酬を得ているとも言われているが、候補者たちの努力が直接報われることは少ない。

ミスコンは、華やかさの裏に何を隠しているのか。女性を「美」のアイコンとして扱うこの文化は、果たして何を生み出し、何を犠牲にしてきたのか。華やかな表舞台の裏側で、多くの女性が厳しい競争にさらされ、評価されることを求められ、時にはその評価が人生を大きく左右することもある。

美しさを競うことの代償

2016年に中止となったミス慶応コンテスト。中止の背景には、単なる未成年飲酒問題だけでなく、より深刻な事件もあった。それが、同年8月に発生した慶應義塾大学広告学研究会の性犯罪事件だ。

当時、広告学研究会の男子学生らが女子学生を葉山の海の家に誘い出し、未成年飲酒を強要。被害者は酩酊状態にさせられた上で暴行を受け、その様子が動画に記録された。事件発覚後、大学側は10月に広告学研究会の解散を命じ、11月には関与した学生への処分を下した。

この事件は、ミス慶応コンテストの中止という表面的な問題だけではなく、ミスコンを取り巻く環境そのものに疑問を投げかけるものだった。美を競う場として華やかに見えるミスコンの裏で、女性が不当な扱いを受け、危険に晒される可能性があるという現実が露呈したのだ。

ミス慶應コンテストという舞台、時を経て振り返ると、そこに生きた二人の女性がそれぞれに苦しみを抱え、社会の視線に翻弄されていたことが浮かび上がる。

渡邊さんは、あの時「怒りがこみ上げてきます」と語った。レイプをされた被害者がいて大会が休止になったのに、当時の彼女は怒っていた。もしかしたら、それは単なる大会の中止への憤りではなく、こうした華やかな世界の舞台に立つことを夢見ていた自分自身への葛藤でもあったのではないか。女子アナウンサーになりたいという夢を実現するためには、ミス慶應というラベリングが必要だった、それが休止となってしまっては困るという怒りだっただろうことが想像される。ただ、彼女は自らの力でフジテレビのアナウンサーの座をつかんだ。

ただ、つかんだ先で、PTSDを引き起こすほどの絶望が待っていた。ただ、ひたすらに悲劇である。いまの彼女は当時のことをどう思い返すのだろうか。レイプをされた女性に心情を重ね、大会休止はしょうがないと受け止められるのではないか。

高橋さんもまた、美しさを求められる世界に身を置くことで、その過去がために苦しんだのだろう。

美の象徴として持て囃されることの光と影。その重圧とリスクを本当に理解していたならば、二人の人生は違ったものになっていたかもしれない。ミスコンのような女性性が消費されるだけの文化に引き寄せられる者たちは、自分の人生を切り拓くチャンスでもある反面、そのリスクも承知しなければならないのだ。

ミスコン文化を否定するワケではない。大学生にとってそれは楽しい余興であろうから。しかし、舞台に上がろうとする者には、覚悟があるのかとの問いが必要だと思う。そこはさながら、誘蛾灯のような舞台だから。

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ライター:

株式会社Sacco 代表取締役。一般社団法人100年経営研究機構参与。一般社団法人SHOEHORN理事。週刊誌・月刊誌のライターを経て2015年Saccoを起業。社会的養護の自立を応援するヒーロー『くつべらマン』の2代目。 連載: 日経MJ『老舗リブランディング』、週刊エコノミスト 『SDGs最前線』、日本経済新聞電子版『長寿企業の研究』

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