書棚からページが黄ばんだ文庫本を取り出し、読み直した。「土地と日本人/対談集 司馬遼太郎」(中公文庫)。1980年代半ば、日本の土地はバブルの頂点に向かって値上がりしつつあった。経済雑誌の記者だった私は、先輩記者の勧めでこの本をまず読んだ。司馬と小説家の野坂昭如や法学者、土木工学者、松下幸之助というバラエティーに富んだ対談集だった。
対談の中で司馬は松下幸之助に「ちょうど水とか空気が公有なように、土地も公有であるべきですね」と問いかける。松下電器産業(現パナソニック)の創業者である幸之助は今の企業経営者が聞いたら驚くようは発言をする。「私有性を認めても、土地の本質は公有物であるという意識に立たんといかん。そういう意識を持っているかどうかという問題ですな」と言い、「土地だけは公有性のあるものやから、土地は自分のものであって自分のものではない、保管だけ頼まれているんや、いつでもお返しします、返さないかんものやという意識を国民は持っておかないかんですわ」と主張した。こんな幸之助だったから「要らん土地は買うてはならんというのが、うちの方針です」と言い放っている。
土地は公有にすべきだという司馬に対して、幸之助は土地の私有性を認めているとはいえ、他の私有物のように自分のものならどのようにしても良い、という立場ではない。土地はあくまでも公有資産、別の言い方をすれば地域住民との共有資産として管理すべきものだという認識に立っていた。
40年ほど前のそんな対談を読み返してみると、地域住民やユネスコの諮問機関「イコモス」と開発事業者との対立が解けない明治神宮外苑地区の再開発問題はまさに土地というものは私有物か共有物かを問うているように思える。土地に対する基本的な認識のずれが解決の糸口を塞いでいるのではないか。
平行線をたどる事業者と地域住民との対話
イコモスは9月に神宮外苑の「世界の都市公園の歴史の中で傑出した例」と高く評価したうえで、今回の再開発を「過去100年にわたって形成され、育まれた都市の森を完全に破壊することにつながる」と批判した。これに対し、三井不動産など事業者は「神宮内苑の大きな森と異なり、外苑の計画エリアで一部の方々から森と称される場所は建国記念文庫の敷地のみ」と森はわずかだと反論した。これに再反論したイコモスは「事業者は本数で語っている。そうではなく、外苑の森は様々な群落で構成され、多様な生態系がある。事業者側は樹木や森を科学的に分析していない」と訴え、それぞれの主張は平行線をたどっている。
東京都都市整備局のwebサイトをみると、「事業者の検討案では、樹木の本数は、従前の1904本から998本に増加することとなっています。また、事業者が提案した公園まちづくり計画では、緑の割合は、約25%から約30%に増加することとなっています」と事業者側の主張に沿った樹木の本数論を展開している。
事業者や都の説明は、100年間にわたって育まれた都市公園の環境への評価や外苑の緑が醸し出す景観への地域住民の愛着といった共有意識をあまり重視せず、700本の樹木を伐採するが、その後に多数の樹木を植林し、本数は増やすので、森を破壊するという批判は当たらない、と主張しているのだ。
だが樹木を植え替えるにしても、樹木量は当面の間、体積で約3万㎥減ってしまう。若木が育つまで大気から吸収するCO2量は減る。なぜそこまで環境を変えて、開発を進めようとするのだろうか。
日本は今も「土建国家」か
田中角栄の列島改造論を持ち出すまでもなく日本は長らく「土建国家」として成長してきた。その基本は今も変わっていない。日本不動産研究所の全国オフィスビル調査(2023年1月現在)によると、東京23区で2022年に新築されたオフィスの床面積は98万㎡だったが、取り壊されたオフィスビルの床面積は40万㎡なのでオフィスのストック量は増えている。全国でみても新築が146万㎡、取り壊しが96万㎡でストック量が増えている。人口が減少している日本だが旺盛なビル建設が今も続いているのだ。
神宮外苑再開発でも3棟のビルが新築され、うち2棟は高さ約200mの超高層ビルだ。なぜ神宮外苑に超高層ビルが必要なのか?
7月の住民説明会では「緑とスポーツを守るため、ある程度の高度利用が必要だ」と事業者は説明したという。つまり再開発にかける多額な投資を回収するには事業収益が高い高層ビルが必要だという理屈である。
今ある樹木を伐採し、外苑の球場やラグビー場の場所を大きく変える。緑のスペースは少し増えるが、その分、高層ビルを建てて、再開発の収益力を上げようというのが事業者の思惑である。
まさにスクラップアンドビルドで神宮外苑を再開発し、金儲けのできる街に作り替えようとしているのである。
土地は共有物 司馬遼太郎と松下幸之助の慧眼
松下幸之助は、土地は自分のものだからどのように活用しようとも勝手だ、と考えることが大問題だと指摘した。事業者の言い分を聞いていると、「樹木は将来的に増えるので、問題はなかろう」「緑を増やすのだから高層ビルを建てて、収益力を高めるのは当然だろう」「資本主義の国なのだから何が問題だ」と言っているように思えてくる。
そういった考え方に持続可能性はあるのかというと、人口が減少し、リモートワークが一定程度維持されるとみられている状況下で、オフィスの需要が右肩上がりに増えていくとは思えない。すでに足元ではオフィスの空室率が上昇しつつある。神宮外苑を大きくスクラップアンドビルドせずに、持続可能な開発を目指すべきではなかったのだろうか。
冒頭で紹介した対談集のあとがきで司馬遼太郎は「本来、空気が人類の共有のものであるように、海も山も川も、そして野や町も、景色としてはひとびとの共有のものである。あらためてそう思うだけで、問題への解決が、一歩すすめられたことになると思っている」と書いた。
もしも司馬や松下幸之助が指摘したように、21世紀の今、土地は「私有物」ではなく「共有物」であると共通認識ができていたなら、もっと早い段階で事業者と地域住民とが話し合いの場を持てたに違いない。土地が「私有物」であると事業者が認識している限り、双方の溝が埋まるとは思えないことが残念である。