祝儀袋や封筒などの紙製品と、パッケージやフィルムといった化成品のメーカーとして、山梨県に本社を構える株式会社マルアイ。
日本の伝統文化を象徴する用具とともに、最先端技術を駆使した製品を生み出している。村松道哉社長の下、目指すのは「『包む』価値の創造」だ。
新たな価値を探し当てるために「チャレンジ」と「変化」を厭わない攻めの企業姿勢は、既存の価値を守ることを重視する老舗のイメージと一線を画している。
長寿企業マルアイの歴史
和紙の里として知られる山梨県の市川三郷町。甲斐源氏の祖、源義清がこの地に入った際、伴ってきた家臣の紙工「甚左衛門」が、市川の紙すき職人たちに優れた技術を伝授したとも伝えられる。
市川手漉(てすき)和紙は長年にわたり改良を重ね、武田氏時代には武田家の御用紙として用いられた。
創業者の村松富吉が、この町で手すき和紙の問屋を始めたのは1888年のこと。初代の内閣総理大臣、伊藤博文が在任中だったと聞けば、135年間という歴史の重みを感じずにはいられないだろう。
創業者は、今でいうマーケティングにも熱心だった。取引先から顧客の好みをこまめに聞き出し、ニーズに合う品をそろえることで徐々に販路を広げていったという。
その後、平袋や荷札といった紙製品の製造に乗り出し、1950年には紙製品の製造設備(オフセット印刷機、活版印刷機、二重封筒製袋機など)を増設。
1956年に発売した「藤壺」ブランドの封筒は、中の手紙が透けてしまわないように作られた二重封筒や横長の洋封筒など幅広い種類をラインナップ。累計500億枚超を売り上げる大ヒットとなった。
全国に販路を拡大し、祝儀袋業界を中心にトップクラスのシェアを誇るが、1968年に高圧ポリエチレン、1973年にはラミネートフィルムの製造を開始。
プラスチックの食品包材をはじめとした化成品事業に力を入れ、現在はアイスクリームや中華まんじゅう、漬物、魚類の加工品など幅広い食品のパッケージを手掛けている。
さらに、1984年には電子部品を静電気から守る静電防止フィルムの自社開発に成功。
1986年には、プラスチック基材に導電・帯電防止インキをコーティングしたSCS(スーパークリーンシート)の製造・販売を開始した。
これらの機能性包材は世の中のIT化の波に乗り、スマートフォンの製造過程でも使われている。
創業時の紙問屋を足掛かりとし、戦後から取り組んできた紙製品事業なら、老舗のブランドイメージを発揮しやすいのは間違いないだろう。
祝儀袋や封筒の形、機能が大きく変わることは考えにくい。既存の製品だけを作り続けられるかどうかは別にしても、長年にわたり培ってきた格式や品質が重んじられる。
大切にしている価値観
しかし、化成品事業では、常に最新技術を駆使した製品を市場に送り出さなければなければならないのが宿命だ。
勝負どころとなるのは、時代とともに移り変わる世の中のライフスタイルなどに、どこまで適応できるか。
包材を必要とする企業や消費者にとっては、製造元が老舗であるかどうかということは関係ないはずだ。
もちろん、村松社長はそのことをよく理解している。従業員に対して日頃から説いているのは「新たな製品・技術を生み出していくヒントは、自分たちの身の回りにある」ということだ。
その上で、顧客に対して驚きや感動など期待を超えるプラスアルファを提供するため、積極的なチャレンジを促している。
ちなみに、同社は2018年から、社内設備の改善や福利厚生の充実などについて社員自らがアイデアを出し、実際に取り組む活動を継続している。
背景にあるのは「社員自身が『変わらなければならない』という強い思いを持つことが大事」という村松社長の考え方だ。
「チャレンジ」と「変化」の意義を前面に打ち出す進取の精神は、むしろベンチャー企業の雰囲気さえ感じさせる。
もっとも、そうしたスタンスに悲壮感のようなものはみじんも感じられない。村松社長は、従業員が共有するべき取り組みを「ワクワク・イキイキ」と表現。
「身の回りのヒントに気付き、失敗を恐れずチャレンジした先には、何か良いことが待っているかもしれない。そうしたことに対して『ワクワク・イキイキしよう』と呼び掛けている」と語る。
失敗を恐れず
こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受けては、祝儀袋などが使われる冠婚葬祭が激減。小売店も休業状態が続いた。
発注から納品まで4カ月もの期間を要する海外の製造拠点はコロナ禍だからといって急にはストップできず、大量の在庫を抱えてしまうことに。当然、業績は大きく落ち込んだという。
しかし、村松社長は「目先の売り上げを追求しても、買いたたかれるだけ。だから、売り上げより利益を確保できる売り方を考えなければならない」ときっぱり。
どんなときも会社が進むべき方向性を見失わないのは、いくつもの困難を乗り越えてきた老舗ならではの強みと言えるだろう。
その上で、村松社長は自分たちの製品・技術の強みをもう一度見つめ直し、積極的に売り込めるようになることを目指している。
「長寿企業は『このままで大丈夫』『伝統を変えてはならない』という保守的な社風になりがちだが、失敗を恐れずにチャレンジする機運がさらに高まれば、もうひとつ上のステージに進めると思っている」
その言葉を証明しようとするかのように、社内では「変化」と「チャレンジ」の動きがさらに活発化しつつある。
同社の研究開発部門は導電・帯電防止の技術をベースに、機能性包材を進化させようと取り組みを加速させている。村松社長は「これからどう展開していくか、とても楽しみ」と目を細める。
また、中途で入ってきた経験豊富な社員たちも、組織に新しい風を吹かせている。2023年11月に東京・有楽町に展開した「祝儀袋の自販機」のアイデアは、中途採用者によるもの。
業界初の試みは大手新聞をはじめとする複数のメディアで取り上げられ、SNS上でも「ありがたい」という好意的な反応が占めた。
地域から発信していく
一方、力を入れているのは事業の活性化だけではない。2018年シーズンからは、山梨県のJリーグクラブ・ヴァンフォーレ甲府のユニフォームスポンサーに。
地域貢献としては小・中学生の会社見学や職場体験を受け入れているほか、廃棄されそうな食品を集め、それらを必要としている施設や困窮世帯に無償で提供するフードバンクの活動にも協力している。
さらに、2023年9月に財政非常事態宣言を出した市川三郷町の要請を受け、行財政改革計画の策定に向けた有識者会合に参画。財政破綻の危機から救おうと、専門知識を持つ社内の人材を送り出している。
「以前は東京を主戦場と考え、あらゆるリソースを重点的に投入しようとした時期もあったが、今は変わってきた」と村松社長。「市川三郷町で生まれた会社として、何事もこの町から発信していくことが大事。将来的に世界で戦うにしても、ここに人を呼んでくることが重要。地域に根差し、まちづくりに貢献できる企業になりたい」とも語る。
「『包む』価値の創造」を掲げる老舗の包材メーカーは、自社を育ててくれた地域を優しく包み込む心もしっかりと持ち合わせている。
◎企業情報
代表者:村松道哉
資本金:3200万円
従業員数:310名(2023年2月期)
売上高:87億円(2023年2月期)
創業:1888(明治21)年
事業内容:紙製品と産業包装用品の製造・販売、和洋紙の販売
所在地:山梨県西八代郡市川三郷町