たとえばこんな働き方
プロフェッショナル人材に特化したビジネスマッチングサービスを手がける株式会社みらいワークス。「日本のみらいの為に挑戦する人を増やす」を理念に、新たな働き方を提案し、2012年設立からわずか6年で登録コンサルタント数は7000名を超える。
今回は日本の医療・ヘルスケア業界を変えるべく集まった「ヘルスケアチーム」の5名に、同チーム参画に至った経緯や、自身の働き方観を伺った。「みらいの働き方」のひとつの事例として、学ぶところが多そうだ。
テーマは「やりたいことをやる」人生、心臓外科医からの転身
Engagement部 マネージャー 久野芳裕氏(正社員)
ヘルスケアチームのマネージャーは久野芳裕氏。今年6月にローンチしたばかりの医療系プロフェッショナル人材に特化した新マッチングサービス「ヘルスケアプロフェッショナルズ.jp」を提案した人物だ。米国医師の免許を持ち、アメリカで心臓外科医としてキャリアをスタート。2016年に日本に帰国し、その後も医師業を続けるつもりだった同氏だが、同一の医療行為でもアメリカと日本では報酬に大きく差があるなど、働いた内容に対して報われない状況にある日本の医療のあり方に疑問を抱く。
「自分に合った働き方ではない」と、医師ではなく医療系コンサルタントとして自分らしい働き方を模索するうちに、みらいワークスと出会う。
やがて、法規制が強いために現場が報われず、少子高齢化の中で疲弊してゆく医療業界に風穴を開けたいという思いから、ヘルスケアチームの立ち上げに至った同氏。特に、医療業界においてITへのニーズは強いと感じている。国家資格を持たなくても、システムに関わる業務など、同社が紹介するフリーランスが活躍できるポジションは多いはずだ。
久野氏は、これからの働き方には「個人の自由が必要」と語る。自身も、「やりたいことはやる」をモットーに異色のキャリアを積んできた。現在みらいワークスでは自身初の正社員として働いているが、「やりたいことをやるため」であれば、雇用形態にはこだわらない。同時に、みらいワークスが自由に働こうとする人のサポートをできる存在になれればと語る。
「起業を考えている若い方などは、これでやっていけるのかなとか、そういう不安を皆さん抱いています。そういう方たちに対して、やってみろよと背中を押せて、仮に失敗してもその後をサポートできる体制や、正社員やフリーランスといった形態にこだわらず臨機応変に人材や仕事を紹介できる体制を調えたい。誰かの人生に関わって、それを良い意味で変えていけるプラットフォームを作りたいです」
営業マンを経てMBAで恩師と出会い、コンサルの道に
営業部 塚田真仁氏(正社員)
文系育ちの塚田真仁氏が半導体商社に入ったのは、大学の就活セミナーがきっかけだ。たまたま企業側としてセミナーに来ていた半導体商社の社員と親交を深めたことから半導体商社に興味を持ったという。就職活動では半導体商社に絞って応募し、無事合格。営業マンとして1年目を東京で過ごした後、長野県の松本支店に転勤になる。
東京本社と比べて人数の少ない松本支店では、幅広い業務を自分自身で担当する。個人の裁量範囲も広がり、やりがいも感じられた。そんな同氏だったが、転勤を終えて帰京したとき、一営業マンという立場の裁量の少なさや、上長が何人もいることによる決済スピードの遅さなどに疑問を感じてしまう。迷いを解消しようと、組織のありかた、マネジメントとは何か、そういったことについて改めて体系立てて学ぼうと、会社を辞めMBAに通い始める。
このMBAでの担当教授との出会いが、同氏の進路を決定づけた。BtoBの専門家である担当教授の講義に、「私が今まで会社で試行錯誤して苦しんできたことを、体系化し言葉にして喋っている」と衝撃を受けたのだ。
「それまで勤めていた会社では、仕事とは『できる人はできる、できない人はいつまで経ってもできない』というものでした。しかし、そうではなかった。きちんと言葉にできて、しかも理解させることができるものだと知ったんです。教授との出会いをきっかけに、会社での自分に疑問を抱いている人、仕事がうまくいかず悩んでいる人などに、組織や仕事は学び方や教え方で変わるんだということを伝える立場に自分もなりたいと思うようになりました」
こうしてコンサルタントを志すようになった同氏。MBAの2年目には、通学しながら契約社員としてリスクコンサルタントの仕事を手がけるようになる。
MBA卒業後、2社ほどのコンサルティング会社でのキャリアを経て、エージェントの紹介でみらいワークスに入社することになる。法人営業とコンサルタントとしてキャリアを積んだ同氏にとって、事業会社とフリーランスをマッチングするみらいワークスのビジネスモデルはすんなり理解できた。加えて、みらいワークスに惹かれたもうひとつの理由として、同社の岡本社長と同氏が同世代であることが挙げられる。育った環境は違えど、世の中の捉え方やそれに対する思いが自然と似通っているのだ。
「私や岡本が子どもの頃は、世の中がまだバブルに湧いていました。なんとなく、大人になったらいいことがありそうな雰囲気があった。しかし、中学生のときにバブルが弾けて、一気に暗いムードが世の中を覆ったんです。夜逃げした同級生もいました。こうした世相の変化を同世代として体験しているので、岡本の『日本を元気に!』というメッセージに、自然と共感できるんです」
ヘルスケアチームでは信頼される営業マンとして活躍する同氏に、世の中の働き方のこれからを訊ねた。
「人生100年時代、ひとつの会社でずっと過ごす人の方が少なくなるでしょう。同時に、世の中には新しい仕事や職種がどんどん生まれてきます。たとえば、ドローンの専門学校なんて数年前には考えられませんでした。これからの社会で個人が尊重され、自由な働き方が当たり前になるには、年齢や時機を問わず学び直しの機会が与えられることが重要だと私は考えます。私個人としては、私の恩師であるMBAの担当教授のように、働き方や学び方を伝える立場になりたいと思っています」
医療機器メーカーの新規事業責任者からヘルスケア事業へ
Engagement部 牧野健一氏(業務委託)
牧野健一氏は、国内最大手の医療機器メーカーにおいて新規事業を立上げ、当時最年少で部長に就任した経歴を持つ。その前後には外資系コンサルティングファーム等でのマネジメントコンサルティングに携わり、複数のベンチャー企業では上場実現の立役者となってきた。
みらいワークスへの参画は、2018年8月。社長の岡本氏とは、およそ10年前にお互い別の仕事で関わったことがあるという。その後も緩やかに交流は続いており、牧野氏が新規事業のアイデアを温めているときに相談したのが合流のきっかけとなった。その新規事業というのが、ヘルスケアやフィットネスに関するビジネスだった。一度、共同経営者とともに立ち上げ、結果的には袂を分かつことになったスタートアップ企業のビジネスアイデアをブラッシュアップしてリスタートする、というもの。
はじめは、空いている時間を活用して、みらいワークスにいちコンサルタントとして登録するつもりだったが、久野氏からのラブコールを受けてチームの一員となった。チーム内では、医療業界の専門である久野氏に対して、ヘルスケアの分野に知見を持つメンバーとして、また腕利きのコンサルタントとして、活躍が期待されている。
即戦力として迎え入れられた同氏の働き方観はこうだ。
「昔は、仕事を通じて成長したいと思っていました。誰かの役に立つことよりも、自分が成長することが重要と思っていたのですね。つまり、成長そのものが目的だった。しかし、30代半ばから後半頃にかけて、それは違うと気がつきました。今、目の前にある仕事にベストを尽くす。それが誰かの役に立って喜んでもらえたときに、結果として自分も成長できたような、能力的なものも身についたような、そんな気がします。
成長は、あくまで結果であり、目的ではない。キャリアパスを意識して、高い給料やポジションを目指していたのは、単なるエゴだったなと今では思います」
みらいワークスにおいても、いずれは他のメンバーに自分の持つスキルやノウハウを伝えたい、それが多様な働き方を受け入れる社会への一助となればとの思いを語ってくれた。
「みらいワークスの『日本のみらいの為に挑戦する人を増やす』という理念、マインド的な部分については岡本社長が語ってくれていますから、私はスキル的な部分、テクニカルな部分でその実現のお手伝いができればと考えています」
介護業界やNPO法人の知見豊かな女性コンサルタント
吉野真佐代氏(業務委託)
吉野真佐代氏は、長年国内の大手システムインテグレーターでSEとして働いた後、IT分野のコンサルタントを志し、外資系コンサルファームに転職する。ちょうどITバブルの時代のことだ。やがて、出産を経験した同氏だったが、SEからコンサルと身体を省みずハードに働いてきたためか、妊娠中から産後にかけて大きく体調を崩してしまう。入院、手術に至る大病を患ってしまい、一度は復職するものの、乳児を抱えた病後の身体では思うように仕事ができなかった。
困っていたところ、以前SEとして関わった顧客からの誘いを受け、NPO法人に転職。体調に合わせて働くことが認められたこのNPO法人で経験を積むうち、さまざまなNPO団体から相談を受けることが多くなってくる。というのも、NPOには、IT導入が遅れていたり、IT導入について困りごとを抱えていたりする団体が多く、そうした団体がこぞって同氏を頼ったのだ。こうした相談の対応をするうち、同氏自身の志がそちらを向いてきたこともあって、個人事業主として独立したのが2018年5月のことだ。
みらいワークスとの出会いは、ネット検索。はじめはいちコンサルタントとしての登録だったが、介護やNPO法人に関する経験や知見を買われ、ヘルスケアチームの一員として招かれることとなった。チームでは、得意分野をいかし介護案件の開拓に尽力。IT導入が遅れているという介護・福祉業界は、Wi-Fiが飛んでいなかったり、大量の紙でバックオフィス業務を行っている所も多い。当然ながら、ITを導入することでこうしたバックオフィス業務もスムーズになり、効率化できる業務がたくさんある。古く閉塞した雰囲気のある業界を開拓するのは楽ではないが、やりがいもある。
現在、他にも自らの事業をはじめとして複数の仕事をパラレルワークでこなす多忙な日々だ。
「女性は特に、ライフステージによって働き方を変えなければいけない状況が多い。さまざまな局面ごとに臨機応変に働き方を変えられる社会が、これからきっと訪れるはずです。私のようにいくつもの仕事を掛け持ちすることはリスクヘッジにもなりますし、女性の働き方としてパラレルワーカーが増えるのではないでしょうか。ひとつの会社でずっと働くことだけが選択肢ではないことを、特に女性に伝えていきたいです」
自身の経験上、独立やパラレルワークに対して、「プロフェッショナルじゃないから」「詳しくないから」などと二の足を踏んでいても、実際に踏み出してしまえば、杞憂に終わることが多いと明るく語ってくれた。
フランスで暮らし、タイで働いた目から見る日本社会
Engagement部 C.T.氏(業務委託)
「私は顔は日本人でも、中身や考え方はフランス人」と語るのは、思春期をフランスで過ごした過去を持つC.T.氏だ。高校時代からフランスに留学し、現地の短大を卒業後は、タイに移住し人材紹介会社に就職。合計5年半に渡って海外で生活した。
タイの人材紹介会社では、マーケティング担当として、対企業、対候補者を集める業務を手がける。タイで中核人材が育たない、現地化が進まないなどの課題に熱心に取り組むが、解決できないままプライベートの事情で退職、日本に帰国する。
帰国後は実家のある岐阜に戻り、東海3県の企業を対象に地方活性化などの活動を行う岐阜県内のNPO法人に勤める。こちらでも採用や人事関連の業務を担当するが、地方創生や地方活性化といった課題は、タイで抱いていたものと共通するところが多いと感じたという。
その後、もう一度グローバルな環境に身を置きたいという思いから上京し、外資系企業のコーディネーターや採用職を歴任。会社員生活を経て、パラレルワーカーの立場になったのが2015年のことだ。
パラレルワーカーとしては、海外進出準備のための資料作成や市場調査、翻訳や通訳、また経験のある人事や採用関連などを経験。みらいワークスに参画したのは、某国大使館のイベントでその後みらいワークスに転職する女性と出会ったことがきっかけだ。当時はコンサル業界に身を置いていた二人だったが、意気投合し交流を深めるうちにその女性がみらいワークスに転職し、同氏に声を掛けたことで参画に至った。
みらいワークスへの合流は決まったばかりだが、外資系のITコンサルからヘルスケア業界に人材を送り込んでいた経験を活かしたいと語ってくれた同氏。特にバイリンガル人材のマッチングに自信を見せる。
フランスやタイで暮らした経験から、現代日本社会における「働き方」のあり方には肌に合わない部分が多いと感じている同氏。プロフェッショナルな能力を持つ人材は、その能力を活かして自分のペースで自由な働き方ができる社会に変わっていくとみている。同氏自身もそうした働き方を望んでおり、ワークライフバランスを保ちながら、人それぞれの働き方を選択できる社会が理想だ。みらいワークス参画にあたっても、面接時に妊娠や出産といった今後のライフステージプランを伝え、それに対して理解を得られたことが参画を決める大きな理由になったという。
「フリーランスに対して、みらいワークスほど理解を示し、その人なりの働き方を許容してくれる企業は、まだまだ少ないと思います。とてもありがたかったですし、私も組織運営に関わるような立場になることがあったら、同じ考え方をすると思います」
※本インタビューは2018年9月時点のものです
株式会社みらいワークス
東京都港区東新橋二丁目8番1号 パラッツォアステック7階
従業員数:従業員 28人、臨時雇用者 18人(2017年10月31日時点)
年商:22.7億(2017年9月期)円