
三宅香帆の意味深X投稿が波紋。芸人・みほとけによるモノマネ動画との関連が注目され、「リスペクト」と「イジり」の境界線を巡り議論が広がっている。
三宅香帆の“意味深投稿”に憶測広がる
文芸評論家の三宅香帆氏によるX(旧Twitter)投稿が、SNS上で波紋を広げている。
三宅香帆氏はXで、
「こっちを舐めてんなと思う行為をした人のこと、表立って反応はしないけど、一生名前は忘れねえぞと心の中に誓っている2026ジャパン」
と投稿。
具体的な対象については明言していないものの、何らかの不快な出来事があったことをうかがわせる内容だった。
その直前、仏像研究家・芸人として活動するみほとけ氏が、三宅香帆氏のモノマネ動画を投稿していたことから、SNSでは関連を指摘する声が相次いでいる。
みほとけが投稿した“三宅香帆モノマネ”
みほとけ氏はXで、
「新しくモノマネをしてみました。書評家の三宅香帆さん」
とのコメントとともに、三宅香帆氏風の髪型や表情を再現した自撮り画像を投稿。
さらに続けて、
「秋元康の歌詞をありえない角度で評価する三宅香帆」
という設定の動画も公開した。
動画内では、
「AKB48の『遠距離ポスター』の歌詞ってすごく三島由紀夫的だなぁと考えていて〜」
というセリフを、三宅香帆氏の喋り方や身振りを誇張しながら演じていた。
客観的には“悪意は薄い”との声も
SNS上では、
「特徴をかなり捉えている」
「むしろ愛があるタイプのモノマネ」
「そこまで悪意は感じなかった」
という反応も多く見られた。
特にみほとけ氏は、芸人として人物観察型のモノマネを得意としていることもあり、“ネタの一種”として受け止めるユーザーも少なくなかったようだ。
しかし三宅香帆氏は“リスペクトがない”と投稿
一方、三宅香帆氏はその後さらに、
「自戒もあるけどリスペクトがないのは一番よくない、人間」
と投稿。
これにより、「モノマネ動画への不快感ではないか」との見方が一気に広がった。
SNSでは「そんなに怒ること?」の声も
ただ、ネット上では三宅氏側に対する疑問の声も少なくない。
SNSでは、
「評論家なのに自分が批評されるのは嫌なのか」
「モノマネされるのって人気者の証拠では」
「そこまで失礼には見えなかった」
といった反応が見られた。
特に、“他者を論じる仕事”をしている立場だからこそ、
「自分も言及される側になる覚悟は必要では」
という意見が一定数存在している。
過去の“新海誠関連炎上”を持ち出す人も
さらに今回、一部ユーザーの間では、三宅氏の過去の発言も掘り返されている。
話題になっているのは、三宅氏が過去に公開したエッセイ内で、“新海誠作品好きの元恋人”について語り、同人誌作成企画を進めたことに関する内容だ。
▼該当の三宅香帆氏note記事
その文章に対して当時、
「相手を見下しているように見える」
「恋人をネタ化している」
などの批判が発生。
今回もSNSでは、
「他人や作品を語るのはOKで、自分がネタにされると怒るのか」
という形で、その過去炎上を重ね合わせる声が出ている。
“リスペクト”の基準は人によって違う
今回の件で興味深いのは、「どこからが失礼なのか」の基準が人によって大きく異なる点だ。
モノマネ文化には昔から、愛あるイジり・特徴誇張・本人公認ネタといった文脈が存在してきた。
一方で、本人側が「自分が雑に消費された」「記号化された」と感じれば、不快感につながることもある。
つまり今回の騒動は、「悪意があったか」以上に、「本人がどう受け取ったか」が論点になっているとも言える。
“人気者になる”ということの難しさ
文芸評論家という職業は、本や作品、人の表現を言語化して分析する仕事でもある。
そのため発信力が強くなればなるほど、逆に自分自身も“語られる側”になっていく。
ましてや三宅香帆氏は昨年の紅白歌合戦で審査員も務め、メディアにもひっぱりだこの新進気鋭の文芸評論家だ。
モノマネ、切り抜き、誇張、ネタ化。人気が出れば出るほど、本人の意図を超えた形でキャラクター化されていくのは、現代SNS社会の特徴とも言える。
「笑い」と「失礼」の境界線
今回の件は、モノマネはどこまで許されるのか、リスペクトとは何か“イジり”と“失礼”の境界線はどこか、などという問題を改めて浮き彫りにした。
客観的には悪意が薄く見える動画だったとしても、本人が嫌だと感じれば、それは本人にとって“不快”なのだろう。
一方で、人気者になればある程度“ネタ化される宿命”もある。
そのバランスの難しさこそ、今回の騒動の本質なのかもしれない。



