
日中関係の緊張が、文化やエンターテインメントの領域にまで深く影を落としている。高市早苗首相(64)が国会で台湾有事を念頭に自衛隊の武力行使の可能性に言及した発言を契機に、中国側の反発が急激に強まった。
だが、その矛先が日本のアーティストや現地ファンに向けられる形で“文化締め出し”へと拡大している現状は異常であり、批判を免れない。政治の緊張を、文化の現場に転嫁する今回の動きは、国境を越えて人と人をつなぐはずの文化交流を根底から損なうものである。
日本アーティストの中国公演が相次ぎ中止 文化交流の断絶が示す重み
高市首相が「中国が戦艦を使い武力行使を伴うのであれば、存立危機事態になりうる」と述べた発言は、日本国内では安全保障の観点から当然の問題提起と受け止められる声もあった。
一方、中国政府は即座に反発し、日本への経済的・外交的圧力を強めた。その流れのなかで、日本のエンタメ産業が“巻き添え”を受ける形で、公演中止が連鎖的に発生した。
中国国内ではこれまで、アニメ・音楽・映画を中心に日本文化が圧倒的な人気を誇り、若年層を中心に巨大な市場を形成していた。その市場において、公演中止や映画公開の延期が同時多発的に起きている事態は、単なる偶然では片づけられない。文化が政治の報復手段として扱われていると見ざるを得ない動きである。
文化は国境や政治体制の違いを乗り越えて交流を可能にする。歴史的に見ても、緊張が続く国同士であっても音楽や映画が対話の糸口となった例は多い。だからこそ、その文化が閉ざされることが象徴するものは重い。今回のように中国側が一方的な遮断を選ぶ姿勢は、文化交流を守ろうとする国際常識に逆行するものである。
浜崎あゆみ、大槻マキ さらに「ゆず」「ももいろクローバーZ」「ASH DA HERO」…準備を終えた“本番直前”の強制中止が与えた衝撃
複数の日本アーティストが中国での公演・イベント出演を直前で中止または強制中断される事態に追い込まれた。まず、浜崎あゆみ(47)は、11月29日に中国・上海で予定していた公演を直前の28日に主催側の要請で中止された。
ステージ設営はすでに完了し、日中合わせて約200名のクルーが準備に当たっていたにもかかわらずの決定だった。彼女は無観客の会場で本来のセットリストを全曲通し、ファンへの謝意を表したが、観客のいない空間に響く歌声は、“準備された舞台”が政治の都合で奪われた生々しい象徴となった。
さらに、11月28日の「バンダイナムコフェスティバル2025」では、大槻マキ(52)が歌唱中に突然照明と音響をストップされ、強制的にステージから連れ出されるという異例の“強制中断”という形で公演を打ち切られた。観客のどよめきと驚きが会場を包む中、音楽の自由と安全性が、政治的圧力の前に無力であることが衝撃的に浮き彫りとなった。
これに続き、11月22日に予定されていたゆず の上海・香港・台北を巡るアジアツアーが、公式に全公演中止を発表した。理由として「日中関係の悪化の影響」が挙げられており、今回の一連の文化抑圧の拡大を示す材料とみられている。
また、もともと11月末に同フェス出演が予定されていたももいろクローバーZ や、ロックバンドASH DA HERO らも、直前の出演中止を余儀なくされた。いずれも「やむを得ない事情」という漠然とした説明だけがなされ、理由の明示はない。このような“公演前日のキャンセル”“歌唱中の強制中断”という手法は偶発的な判断ではなく、組織的かつ意図的な文化弾圧とみなされる状況だ。
こうして、準備完了し、ビザや機材、スタッフ手配まで整っていたにもかかわらず、政治的圧力により直前で全てを奪われた多くのアーティストとファン。彼らの失ったものは興行収益だけではない。期待、準備、希望、そして“国を越えた文化の共有”という可能性そのものだった。
中国政府の“見せしめ外交” 文化を報復手段にした危険な発想
今回の中止劇には、理由として「不可抗力」「やむを得ない事情」という言葉が並んでいる。しかし、連鎖的な中止や強制中断、そして中国当局の反応を重ねて見れば、これが偶発的な出来事ではないことは明らかだ。
外交的緊張に伴う対抗措置は国家間の事柄であり、本来は政治のレベルで処理されるべきである。それを、アーティストや文化イベントの現場に落とし込み、市民の娯楽や交流の機会を奪うというやり方は、文化を軽視しているどころか、文化そのものへの圧力とみなされる。中国政府が政治的メッセージを強めるために文化を利用している可能性は否めず、この構図は国際社会でも受け入れられない。
文化は「最後の対話の場」でもある。政治的な思惑が強まったときこそ、文化交流の重要性は増す。それをあえて断つという行為は、中国の封鎖的な姿勢を象徴していると言える。
被害を最も受けたのはアーティストでも政治家でもなく“民間”だ
この件で最も傷ついたのは、実際にライブ制作に携わった関係者や、楽しみにしていたファンだ。ステージ設営、リハーサル、機材搬入といった準備には日中双方の専門スタッフが関わり、時間もコストも膨大にかかる。そのすべてが、政治的判断によって突如として無に帰した。
ファンの側のショックも大きい。中国の若者の間では日本の音楽・アニメ文化が圧倒的な人気を誇り、ライブは一大イベントとして定着していた。その機会が奪われることに対して、「政治の問題をエンタメに持ち込むな」「アーティストに罪はない」という声が中国国内のSNSでも上がっている。
本来ならば、文化は民間の交流が主役だ。だが今回、その民間こそが最も大きな犠牲となった。
中国の対応はむしろ逆効果 国際社会・ファンからの反発強まる
中国政府が狙った“対日圧力”としての効果は、実際には逆効果を生んでいる。アーティストを強制退場させる行為や、公演直前の中止は、世界的には“文化への介入”として強い反発を生む。文化への過度な統制は、国家イメージそのものを損なうからだ。
さらに、中国国内の若者も日本文化のアクセス制限に対する不満を募らせており、国民感情のなかで政府の対応に疑問が生まれている。文化を押さえつけるやり方が自国民を苦しめる結果につながることに、多くの人が気づき始めている。
中国は誤算を認めるべきだ 文化弾圧の撤回と対話の回復を
今回の一連の措置は、中国が政治的メッセージを誇示するために文化の自由と交流の場を犠牲にした構図が明確である。しかし、それは長期的に見れば自国の文化的評価を下げ、国際的な信頼を損なうだけだ。
文化は政治の対立を和らげる安全弁でもある。だからこそ、文化への介入を止め、アーティストやファンが安心して交流できる環境を整えることこそが、日中関係を立て直す最初の一歩になるはずだ。
政治の都合で文化を断とうとする姿勢は、国際社会では通用しない。中国は今回の誤算を直視し、文化交流を再び開くことが求められている。



