
昨年12月、突然この世を去った中山美穂(享年54)。東京国際フォーラムで行われた「お別れの会」には1万人のファンが詰めかけ、涙と拍手に包まれた。
しかしその舞台裏で、“消えた香典”をめぐる不穏な声が上がっていたことが、週刊文春の取材で分かった。さらに浮かび上がったのは、母娘の断絶、消えた数億円の行方、そして妹・忍が抱える深い悲しみ――。スターの死後に噴き出したスキャンダラスな舞台裏を追った。
涙に包まれた「お別れの会」と広がる疑念
2024年4月22日、東京国際フォーラム。祭壇中央には微笑む中山美穂の遺影、その周囲を囲むようにして約5千本もの花々が飾られ、赤いダリアの深紅が会場全体を染め上げていた。
午後3時、一般参列が始まると同時に会場の外には長蛇の列が生まれた。開始20分前にはすでに数千人が並び、献花までに3時間以上待つ人もいたという。涙で花を手向ける女性たちの姿に、スターが遺した存在の大きさが刻み込まれた。
最前列に座した妹の中山忍(52)は「皆さまを照らす煌めく星としてどうか心に」と挨拶。午後9時近くまで一人ひとりに頭を下げ続けるその姿は、誰もが「喪主そのもの」と感じた。会場を包む荘厳な空気の中、感動的な一日となったはずだったが、ほどなくその裏側で「香典が遺族に渡っていない」という驚きの疑念が囁かれ始める。
芸能人のお別れ会では通常「香典辞退」と明記される。だが今回は業界関係者からもファンからも香典が受け取られた。テレビ局やレコード会社は1社10万円、芸能事務所は5万円を納めたとされる。ファンの中には心ばかりと封筒を差し出す人も少なくなかった。それにもかかわらず、その行方について説明は一切なく、「営利目的ではないのか」との声さえ広がっていった。
事務所の釈明と「相続人不明」という壁
こうした疑惑に対し、中山美穂を37年間支えてきた所属事務所「ビッグアップル」の鈴木伸佳社長は取材に応じた。
「会場費や映像制作、装花などに使わせてもらった。経費は2千万円に満たない。余剰金は遺族に渡すと伝えている」
しかし8月時点でも遺族の手元には届いていなかった。その理由を問うと鈴木氏は「法定相続人が忍さんなのか母親なのか、こちらでは判断できなかった」と答えた。
ここに浮かび上がるのが中山家の複雑な事情だ。デビュー以来、収入管理を母に任せていた美穂は、結婚・出産を経て財産がほとんど残っていないことを知り絶望した。母が夫と共に秋田で開いたレストランなどに巨額が流用され、数億円が消えたとされる。以来、母娘は絶縁状態となった。
「母が相続人となれば、今も印税収入が見込める『世界中の誰よりきっと』などの権利までもが流出してしまうのではないか。ファンや関係者の多くが懸念している」(芸能関係者)
鈴木氏自身も「母親は娘の金を二桁億円は使ってしまった」と断言している。スターの輝きの裏で、家族の暗部は深く影を落としていた。
「全部私のせい」――家族に背負わされた重荷
さらに中山美穂は家族から繰り返し責めを負わされてきたという。
「両親の不仲も妹・忍の芸能活動がうまくいかないのも“お姉ちゃんのせい”。そうした言葉を浴び続け、『全部私が悪いんだ』と傷ついていた」(事務所関係者)
国民的アイドルとして光を放ちながら、家族の中では孤立し、心を痛め続けていた。その歪んだ力学が、今回の香典トラブルをより複雑に見せている。
忍が語った姉妹の絆と小泉今日子の支え
一方で、忍は取材に応じ、姉への思いを涙ながらに語った。姉の部屋を整理して見つけた防災リュックには、猫用の赤と青のリードが入っていた。「普段使わないのに、いざとなったら猫を抱えて逃げる準備をしていたんだ」と気づいた瞬間、涙が止まらなかったという。
また、舞台でマネージャーが不在となった際には美穂が黒ジャージ姿で付き人を務め、早替えを手伝ってくれたこともあった。
「私が面倒を見ているつもりだったけど、本当は守られていた」と忍は振り返る。
深い悲しみを抱えた忍を支えたのは小泉今日子だった。「どうやって生きていけばいいのか」と泣き崩れる忍に「じゃあ、ミホの次に頼りにして」と声をかけたという。その言葉に忍は初めて安堵を覚えた。6月には小泉と共に朗読イベントに出演し、姉妹と自分を重ねながら新しい一歩を踏み出した。
遺骨と共に生きる日々、そして永遠の光
中山美穂の墓はまだ建てられていない。忍は今もリビングの真ん中に遺骨を置き「まだそばにいてほしいから」と語る。日当たりの良い場所で共に過ごす日々は、姉妹の絆を確かに感じさせる。
香典トラブル、母娘断絶、消えた数億円――騒動は尽きない。だが、ファンと妹の胸の中で、中山美穂は“永遠のシャイニングスター”として光を放ち続けている。デビュー40周年を迎えるはずだった2025年、その輝きは失われることなく、未来へと語り継がれていく。