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サンリオ辻信太郎がやなせたかしを支え続けた理由

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ハローキティ
サンリオ公式サイトより

――「詩」と「かわいい」が戦後日本文化を形づくった

NHK朝ドラ「あんぱん」に登場する八木(妻夫木聡)は、主人公・嵩(北村匠海)の詩を商品化・出版に導く人物として描かれている。そのモデルの一人が、サンリオ創業者の辻信太郎(現・名誉会長)だ。実際の辻もまた、社員や銀行の反対を押し切り、やなせたかしの詩集『愛する歌』を出版した。この決断は、戦後日本の文化と社会に大きな影響を残すことになった。

 

出会いと「清潔な抒情性」への共鳴

1965年、陶器展で辻とやなせは偶然出会う。当時の辻はサンリオの前身「山梨シルクセンター」を率いており、雑貨や小物に詩やイラストを刷り込む商品を模索していた。

やなせが見せた自費出版用の詩稿を読んだ辻は、すぐに「出版して広めるべきだ」と確信。周囲の反対を押し切り出版部を新設した。

1968年に刊行された『愛する歌』は、難解さが主流だった現代詩とは対照的に、日常の言葉で綴られた清らかな抒情性を特徴とし、5万部を超える異例のヒットとなった。

銀座の雑貨店や百貨店の下着売り場でサイン会を開き、女性客を中心に人気を集めたことは、戦後の「女性消費者層」と結びついた新しい文化の芽生えでもあった。

 

『詩とメルヘン』と70年代の若者文化

1973年、やなせが提案した詩誌『詩とメルヘン』は辻の理解と資金提供によって創刊された。やなせが編集からレイアウトまで一人で担い、創刊号は即日完売。以後30年間続き、通算385号を数える長寿誌となった。

当時、学生運動の熱が冷め、人々は「政治」から「個人の感情表現」へと関心を移していた。

フォークソングやニューミュージックと同じく、やなせの詩はシンプルな言葉で心情を映し出し、時代の空気と重なった。『詩とメルヘン』は、出版不況の中で成功した希少な例であり、詩の大衆化を象徴する存在となった。

 

アンパンマンとハローキティ――異なる形の平和理念

やなせが1973年に描いた『アンパンマン』は、飢えた人に自らの顔を差し出す異色のヒーロー像だった。そこには、戦地で飢餓を体験したやなせの強い反戦思想が込められていた。

一方、辻が1974年に生み出した「ハローキティ」は「口のないキャラクター」として知られる。これは「言葉ではなく贈り物や交流で気持ちを伝える」という辻の哲学を体現した存在だった。

一見対照的な二つのキャラクターだが、いずれも「小さな幸福を分かち合う」という思想を根底に持っていた。戦争を知る世代が創り出した平和のメッセージであり、共通の価値観がサンリオとやなせ作品に流れていた。

 

バブル期とキャラクター帝国

1980年代から90年代にかけて、バブル経済の追い風を受け、サンリオは「キャラクター帝国」と呼ばれるまでに成長した。1990年にはサンリオピューロランドが開業し、ハローキティは世界進出を果たす。

同じ時期、やなせの『それいけ!アンパンマン』がアニメ化(1988年)され、国民的キャラクターへと成長した。二人の活動は競合するものではなく、戦後から現代に至る「かわいい文化」の二本柱として、日本社会に平和と優しさを根付かせる役割を担った。

 

「喜ばせごっこ」の哲学

やなせは「人生は喜ばせごっこ」と語り、得た報酬を仲間や後進のために惜しみなく使った。

辻もまた、消しゴムひとつの贈り物から友情を育む文化を広め、今なおサンリオを「コミュニケーションの会社」と位置づけている。

二人の思想は、戦争で奪われたものを取り戻すかのように、人を喜ばせ、絆をつなぐ文化を生み出した。その成果は詩集『愛する歌』や『詩とメルヘン』、そしてハローキティやアンパンマンといったキャラクターに結実し、今も国内外で愛され続けている。

 

結び

戦後から現代へ続く文化遺産やなせと辻は、戦後の焼け跡から立ち上がった世代だった。二人の活動は、単なる商業成功を超えて、日本の戦後文化そのものを形づくった。

物質的豊かさの中で見失われがちな「心の糧」としての詩、そして「みんななかよく」というメッセージ。彼らが残したものは、現代の日本社会にとっても揺るぎない文化遺産である。

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ライター:

千葉県生まれ。青果卸売の現場で働いたのち、フリーライターへ。 野菜や果物のようにみずみずしい旬な話題を届けたいと思っています。 料理と漫画・アニメが大好きです。

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