
中国仏教界に激震が走った。武術「少林拳」の発祥地として世界的に知られる河南省・少林寺の住職、釈永信(石永馨)氏が、資産横領および戒律違反の疑いで調査を受けていることが明らかになった。中国の仏教最高権威である中国仏教協会は、釈氏に対して「極めて悪質な行為」と断じ、僧籍剥奪を決定した。
釈氏は1999年に少林寺の住職に就任し、以来25年以上にわたり「CEO僧侶」と称されながら、寺の国際化と商業事業の展開に力を注いできた。その一方で、複数の女性との関係や子どもの存在、海外逃亡を試みたとの報道も相次ぎ、仏教の清貧や戒律とは対極のスキャンダルに、国内外から厳しい視線が注がれている。
「仏教界のCEO」が背負った巨大ビジネス
少林寺は西暦495年の創建以来、禅宗の聖地として信仰を集める一方、近年は「観光資源」としても国家戦略に組み込まれてきた。釈永信氏のもとで、入場料収入、少林拳の国内外パフォーマンスショー、さらには関連会社の設立などを通じて、年間数億元規模の収益を上げる巨大ビジネスに成長。彼は「仏教界のCEO」「少林寺の顔」と称され、政府高官や文化事業とも密接な関係を築いていた。
2002年には中国仏教協会副会長に就任し、さらには中国の最高立法機関・全国人民代表大会の代表も務めるなど、宗教界と政治の両輪で影響力を拡大。しかしその繁栄の裏側には、長年ささやかれてきた疑惑がつきまとっていた。
愛人、子ども、海外逃亡 摘発の背景に何があったのか
ジャーナリスト・高口康太氏によると、釈氏に関する不正疑惑は10年以上前から中国のネット上で噂されていた。かねてから、寺の資産を私的に流用し高級車を所有するなど、僧侶の範疇を逸脱した生活実態が指摘されていた。
2025年7月、中国共産党の影響下にある仏教協会と地元公安当局はついに調査に踏み切り、釈氏は複数の女性と不適切な関係を結び、子どもをもうけていた事実も確認された。一部報道によれば、釈氏は妻や愛人、子どもを伴って海外逃亡を試みたところを拘束されたとされる。かつては「仏教界の星」と目された人物の転落劇に、SNSでは「釈の行為は仏教界の恥」「少林寺の本質を踏みにじった」といった批判が相次いだ。
商業化の功罪 少林文化のいま ジェット・リーの映画が象徴した清貧の理想との乖離
1980年代、映画『少林寺』で世界的に名を知られるようになったこの寺は、武術と信仰の融合という唯一無二の文化を象徴する存在だった。しかし釈氏の下で少林寺は「禅×資本」の実験場と化し、修行僧より観光客が目立つ“観光寺”と評されるようになる。
現地をかつて訪れたことのあるジャーナリスト・中島恵氏も、「釈氏が住職となって以降、寺は徹底的に商業化され、厳かさは失われていた」とSNSで述懐する。仏門のトップに立つ者がビジネスマンへと変貌した姿は、経済成長を優先してきた中国社会そのものの縮図とも映る。
映画『少林寺』でジェット・リー(李連杰)が演じた武僧は、貧しさと清貧、修行と信仰を体現する存在だった。昭和の日本でも多くの少年たちが憧れ、少林拳に心を躍らせた。
だが今回の一件は、あの時代の理想と現代の現実との間に横たわる深い乖離を突きつける。寺を運営する者が資産を私的に流用し、複数の子どもを持つ。仏教にとって最大の信頼基盤である「戒律」が揺らいだ今、少林文化の再定義が迫られている。
中国仏教界への影響と日本への問い
釈氏の失墜は中国仏教界全体の信頼に直結する。中国政府は宗教者の行動を厳しく監督する方針を強めており、今回の摘発もその一環とみられる。また、宗教の政治利用や文化資産の商業化が進む中で、信仰とは何か、戒律とは何かという本質的な問いも投げかけられている。
一方、日本の仏教界も無関係ではいられない。明治初期に僧侶の妻帯が法令で認められ、以降、世俗との距離が縮まる中で、同様の緩みが生じていないか。信仰と経済、清貧と現実のバランスをどうとるべきか、日本仏教への反省材料にもなる事件といえるだろう。