
中国当局が、ボーイズラブ(BL)小説の投稿者を対象に全国一斉の摘発を実施していたことが明らかになった。摘発は2025年に入り、甘粛省蘭州市の警察当局が主導。台湾の小説投稿サイト「海棠文学城」にBL作品を投稿していた中国人作家らが対象で、香港紙『明報』が7月14日までに報じた。
呼び出しを受けた作家は200人以上にのぼり、その多くは女子大生を含む若年層の女性であった。一部の作家は拘束され、罪状は「わいせつ物の制作・販売」とされる可能性がある。投稿で得た利益は1人あたり数千元(1元=約20円)、日本円で換算しても高くて10万円程度にすぎない。経済的な規模としては極めて小さな営みに過ぎなかった。
にもかかわらず、警察が全国規模で動員され、大規模な取り締まりが行われた背景には、単なる法執行を超えた「価値観統制」の意図が透けて見える。
BL文化は女性の〈想像力による抵抗〉だった
中国ではBL作品がここ数年、若い女性たちのあいだで急速に広がっていた。男性同士の恋愛を描いた物語であるBLは、しばしば「ポルノ」と一括りにされがちだが、社会学的にはまったく異なる次元の現象とされる。
BLを読む/書く女性たちの多くは、恋愛や家族、性別役割といった現実の枠組みに息苦しさを感じ、自らが安心して想像できる“もうひとつの親密性”を構築しようとしていた。そのなかには「男性を描くことで、自分自身の欲望や価値観を語る」という反転的構造がある。
中国社会において、結婚・出産を推奨する国家主導のキャンペーンはすでに常態化しており、BLはその潮流と正面から対立する「沈黙の対話」でもあった。摘発は、この自己表現の芽を摘み取るものでもある。
国際比較:中国の孤立した規制姿勢
隣国・韓国やタイではBLがサブカルチャーやコンテンツ産業の一角を形成しており、輸出産業としての地位を築いている。とくに韓国では、BL Webtoonや映像作品が世界市場に展開され、国家戦略の一部としても取り扱われている。日本においても、「腐女子文化」は一定の市民権を得ており、規制される対象ではなく、むしろ若者の創造的活動として受け止められている。
一方で、中国政府は2021年、国家ラジオテレビ総局が「フェミニンな男性アイドルの登場を制限する」通達を発するなど、性表現やジェンダー的多様性に対する規制を加速させてきた。BLというジャンルに対しても、国家は繰り返し「社会的秩序を乱す」とのレッテルを貼ってきた。今回の摘発は、表現の自由や産業の可能性を抑圧する方向に向かっていることを、国際的な文脈の中で浮き彫りにする。
過去にも懲役10年の前例 萎縮効果を狙った摘発か
中国では2018年にも、BL小説を違法に販売していたとして、作家「天一」に懲役10年が言い渡された例がある。この事件は「過剰な量刑」として国内外の人権団体から強く批判された。
今回の摘発では、明確な刑罰の適用が確認されていない段階だが、拘束や大量呼び出しという形式そのものが、「抑止」を目的とした“見せしめ”の性質を帯びているとの見方も根強い。特定の作風を標的とする摘発が繰り返されることで、作家たちの表現活動が萎縮し、自由な創作が困難になる「寒蝉効果」が生まれている。
越境プラットフォームも標的に 国家が“国境外”に伸ばす検閲の手
摘発対象となった投稿サイト「海棠文学城」は台湾を拠点とする成人向け文学プラットフォームである。本来、中国本土のインターネット検閲網「グレート・ファイアウォール」の外に位置しており、VPN(仮想プライベートネットワーク)を経由してアクセスされていた。
にもかかわらず、今回の摘発では、国外のプラットフォームでの活動にも中国当局の手が及んだかたちとなり、「越境的な言論統制」の拡大が懸念される。中国政府は近年、インフルエンサーや学術界など海外拠点の中国語コンテンツにも圧力をかける動きを強めており、ネット表現の自由は“国境外”でも保証されなくなりつつある。
「思想の衛生管理」としての摘発
習近平指導部は2025年1月、ポルノ・不法出版物の一掃を掲げる工作会議を開催し、「社会に悪影響を与える表現を排除する」姿勢を鮮明にした。背景には、結婚や出産を望まない若者の増加や、既存の家父長制的価値観の揺らぎへの強い危機感があるとされる。
若い女性たちによるBL作品の創作・消費は、そのような価値観の変化を可視化するものであり、国家が「制御不能」とみなす領域でもある。今回の摘発は、社会秩序の維持というよりも、むしろ「思想の衛生管理」としての色彩が強く、今後の表現環境への影響は計り知れない。