
川崎市で発生した20歳女性・岡﨑彩咲陽さんの行方不明事件をめぐり、神奈川県警川崎臨港署前が一時騒然となった。女性の家族や知人ら約50人が警察署を訪れ、「警察の怠慢が殺人を招いた」と強く抗議した。現場では警察官ともみ合いになる場面も見られた。
家族と支援者が警察署を包囲 一時騒然

「出ぁせ!出ぁせ!」署内は熱くなった市民たちの合掌でもみくちゃに。参加者らは徐々にヒートアップしていき、昨年からストーカー被害を訴えていた岡﨑さんのSOSを警察が軽視したとして、「警察官と話をさせろ」と声を上げ、署内に入ろうとした一部と警察官がもみ合いになるなど、現場は一時混乱に包まれた。
ストーカー被害の相談は無視されていた
岡﨑さんは昨年から、白井秀征容疑者によるストーカー被害を警察に相談していた。父親によれば、娘は何度も助けを求めていたにもかかわらず、警察は真剣に受け止めなかったという。結果として岡﨑さんは行方不明となり、最悪の事態が現実となりつつある。
この事案に対し、臨港署の対応の不備は看過できない。警察は「事件性がない」「法的に踏み込めない」などの言葉を盾に動きを鈍らせ、結果的に命の危機を黙殺した形となった。抗議に訪れた人々からは、「白井容疑者も臨港署も同罪の殺人犯だ」との声があがり、憤りの感情が爆発した。
SNSにも広がる怒りの声 警察の姿勢に疑問
SNS上でも「警察が事前に対応していれば防げた」「このままではまた同じ悲劇が起きる」との意見が多く寄せられており、ストーカー事案に対する警察の無力さに疑問の声が噴出している。
「警察は事件が起こってからしか動かない」と揶揄されて久しいが、今回の事件はその典型と言える。岡﨑さんが生前に残したSOSを、制度の隙間に埋もれさせたまま見過ごした責任は重い。
臨港署の個々の警察官のみならず、白井秀征容疑者が起こしたストーカー行為の深刻さを軽視し、対応を怠った組織そのものにも重大な非がある。事実として、岡﨑さんは保護されず、いまも安否が不明のままだ。
市民の警察不信が治安の悪化を招く連鎖
今回の事件の最も深刻な影響の一つは、地域社会における警察への信頼喪失である。助けを求めても保護されず、結果として命を失うような事例が続けば、市民が警察に相談すること自体をあきらめる空気が広がる。すると、未然に防げるはずの犯罪が見逃され、地域の治安そのものがじわじわと崩れていく。警察は市民との信頼関係があって初めて機能するものであり、その根幹が揺らいだとき、社会の安全基盤が破綻しかねない。
実際に、治安の悪さに定評のある川崎市で起きた今回の事件の影響は大きく、市民はいままで以上に警察を信用しなくなるだろう。警察に非協力的な市民が量産され、それがさらなる治安悪化を招く。かつて西成で警察署への暴動が起きた時も、警察の度重なる失態や悪辣さが噂として蔓延していった先に起きた事象だったと言える。要は、警察から先に市民を裏切ってはいけないのだ。公僕なのだから。
かつて、たとえば埼玉県桶川市で1999年に発生したストーカー殺人事件では、被害女性が何度も警察に相談していたにもかかわらず、十分な保護措置が取られなかったことが問題となった。こうした事案が積み重なることで、「警察に相談しても無駄」という諦めが蔓延し、結果として相談件数が減少、犯罪の温床となっていく悪循環が現実化している。
今回の川崎のケースは、まさにその構図を浮き彫りにした。信頼を失った警察に、果たして誰が命を預けられるだろうか。白井秀征容疑者の責任は当然としても、臨港署の対応にも同等の重みで非難が向けられるのは、もはや避けられない情勢である。それだけ今回の自体は罪深い。
また、やらかした神奈川県警
抗議を受けた警察側は沈黙を貫いているが、説明責任から逃れることはできない。人命に関わる対応の遅れは、結果として「消極的な加害者」とも呼べる重大な過失となる。白井容疑者の罪を問うと同時に、臨港署の組織的責任も追及されるべき段階に来ている。
少なくとも、神奈川県警本部長はクビで、臨港署の金線以上の幹部署員は全員左遷させた方がいい。それだけの失態だ。