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AI時代だからこそ、「不便」の便益を考えるのだ‼ イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ10

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AI時代だからこそ、「不便」の便益を考えるのだ‼ イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ10

最近の経済現象をゆる~やかに切り、「通説」をナナメに読み説く連載の第10回!

コロナが進めた21世紀っぽい「タッチパネル」社会

「いらっしゃいませ〜。お客様の人数をそちらのパネルより入力お願いします――」

いまやファミレスや和食チェーンでは、店員に人数を伝えるだけでなく、店頭のタッチパネル式の機械に、“お客様”が自分の指で人数を入力するのが普通化している。ファミレスだけではない。駅の券売機や病院、ホテル、タクシーなどもタッチパネルが導入されている。それどころか、イマドキのクルマもタッチパネルで操作する。行きたい場所は住所を入力するのではなくあらかじめ入力されているリストから目的の住所を選び出す。音楽もプレイリストなるものが表示されて好きなアーチストもピッピッと選べる。小さかったタッチパネルも徐々に大型化し、先日乗り込んだ友人の新型プリウスでは、あまりにパネルがでかすぎて、ダッシュボード全部がプロジェクションマッピングになったのではないかと思ったほどだ。

タッチパネルといえば、すでに教育現場のスタンダードなっている。

文科省はもともと「GIGAスクール」という構想のもと、生徒1人に1台タブレット端末を支給し、すべての授業で活用するだけでなく、ホームルームや郊外活動、家庭学習や保護者とのやりとりにも使う予定であったが、新型コロナでオンライン授業の必然が高まり、ガーッと前倒しとなったことは、日本国民ならご承知だろうと思う。生徒全員にタブレット1台時代が生きているうちに来るなど、何かと歩みの遅い我が国の行政の態度を見ていると当面ないと思っていただけに感慨一入なのである。

いやー近未来! AIの進化が激しすぎるので、いささかついていけない気がするが、いよいよ21世紀が来たと感じる。21世紀を迎えて四半世紀も過ぎようとしているのに、「何をいまさら」と思われる方も多いだろうが、少なくともワタシのようなおっさんがまがりなりにも“カワイイ”と近所のおばさんあたりから呼ばれていた時代では、21世紀というのは、建物の間に透明のチューブが渡されていて、その間を電車とクルマのハイブリッドな移動体が高速で走っていて、その周りをいまでいうドローンを普通のおじさんやおばさんが運転しながら、目的地に向かっているのが当たり前の世界だった。

電話は腕時計タイプの画面に呼びかけるだけで、相手が画面に現れて会話ができるものだった。着ているものはなぜかメタリックな色のボディコンシャススタイルで、いろいろなバイタル情報がそこから吸い取られて、医療機関とつながって、定期的に謎の薬が送られてくることになっていた。

あとなんか、頭にもアンテナのついた帽子的なものを被っていたような気がする。世界中を飛び交うさまざまな情報がそのアンテナ的なものに引っかかると勝手に脳に情報として降りてくる。もしくは外国人と多言語を習得せずとも会話ができる仕組みが内蔵されていたような気がする。

と書き綴ってみると、メタリックボディコンが一部のマニアの方にのみ用いられている以外は、ほぼほぼ登場している。一番の想定外は、メールやチャット、それをベースとしたSNSの広がりだろう。ワタシがまだ“カワイイ”とか言われていた頃は、遠隔地の人とのコミュニケーションは腕時計型のテレビ電話が絶対的マジョリティを占めるものだと思っていたからである。 それを除いてもよくよく考えると「なんだ、だいぶ前からちゃんと21世紀じゃん!」なのだ。

タッチパネルは、目の悪い人にとっては「不便益」

が、どうもしっくりこない。しっくりこないのは、そういったツールやシステムが世界中まんべんなく広がっていないからだ。もちろんいずれそういうツールやシステムが世界中に広がっていくのだろうが、ワタシがまだ“カワイイ”とか言われていた頃(くどい!)は、そういったツールやシステムがあらゆる人々の不便を解消するものとして扱われていたのだ。

そのあたりの実際は、結構まだらというか、逆に格差を広げる一因ともなっている気がする。

たとえばさんざん持ち上げたタッチパネル。幼いこどもから高齢者まで画面から直感的に指示を出せることが特長で、世間的には「ユーザーインターフェースに優れている」と評価されている。

しかし、この優れたユーザーインターフェースを持つタッチパネル、万能ではない。逆に不便を強いられている人たちがいる。とくに問題となっているのが、視覚障がい者の人たちだ。

触れる場所がすべて平面であるため、対応ができないのである。むろんそういった場合、入力を店の人や他人に依頼することも可能だ。またスーパーやコンビニでは読み上げ機能がついているレジもある。ただそれでもバーコードの読み取りなどは難しい。決済でクレジットカードの暗証番号が要求されることもあるため、商品やサービスの購入ができないこともあるのだ。

技術の進化が必ずしもすべての人に恩恵を与えるわけではない、というのは技術系の人たちが語る当然の摂理である。

ただ、カワイイと言われていた(本当にくどい!)ワタシが夢見た21世紀は、むしろそういった普通の人が当たり前にできない人たちが、その不便のギャップを埋めて、普通、もしくは一般的と言われる生活、日常になっている世界である。

デジタル社会の進展が、新たなデジタル・デバイドを生んでいるのである。実際視覚障がい者団体は、「いままでできていたことができなくなる。自立を阻む」と切実な声をあげているのだ。

この新聞記事を見つけたとき、我が身の蒙を恥じた。深く。

視覚障がい者の問題は、明日の我が身

一般社団法人「With Blind」が厚生労働省の調査などから割り出した日本の視覚障がい者数は約31万人(2020年)だという。

この数字はたぶんもっと多いはずだ。推計ゆえ捕捉できない人たちもいるとうこともあるが、70歳以上の高齢者が6割近くを占めるからである。その下の60〜69歳が約2割、40歳から59歳までが2割弱となり、年を取ればとるほど視覚障がい者になる率が高くなっているのが明らかであるからだ。日本はこの先もっと高齢社会になるのだから、目が見えなくなる人はもっと増える。

かくいうワタシ自身、結構目が見えなくなってきた。PC画面に表示された文字や画像を把握するのが大変になってきており、長時間PC画面を見続けることができなくなった。いわゆる老眼である。ただ問題は齢を重ねるとたんなる老眼にとどまらないことだ。加齢に伴う白内障、あるいは緑内障、網膜剥離などのリスクも高まる。失明までいかずとも、いわゆる「ロービジョン」という状態になる可能性は上がっていく。

若い人とて他人事ではない。スマホやPCの注視時間が長ければ、ドライアイとなり、角膜が傷つく。角膜が傷つくと痛みを伴う上、焦点が合わず、日常生活に支障を招くことになる。

誰もが視覚障がい者になる可能性があるのだ。

利便性を求めて生まれたテクノロジー、製品は人々に益を与えているのか

ここで考えたいのは、視覚障がい者をはじめとする社会のマイノリティに対して包摂性というイマドキの問題だけでなく、「そもそも利便性を求めたテクノロジーの進展は、人間にとって幸福をもたらすのか」、ということである。

タッチパネルという技術の登場と進展が、世の中全体からすれば多くの人の利便性を高めたことは間違いない。しかし、一方でその利便性が仇になる人もいる。

もっと言えば、世の中の人が「便利」の恩恵を受けているのかというと、その便利と引き換えに失っている便利もあるのではないかということだ。

そこで考えたいのが「不便益」という概念である。

「不便益」とは、英語では「benefit of inconvenience」、不便による便益のこと。つまり“不便だからこそ得られる”便益である。字面だけで見るとどこかひねくれた感じを受けるが、学問として研究の対象となっている。何が有益か否かを問うところは、どこか「無駄学」に通じるところがある。

京都先端科学大学工学部の川上浩司教授は、その不便益学の第一人者で、1990年代末から不便益をテーマに研究を重ねてきた。

どんなことが不便益となるのだろうか?

もともとシステム工学が専門の川上教授によれば、工場での生産方式の1つ、「セル生産方式」がそれにあたるという。

セル生産方式は1人から数人の工員がコピー機や洗濯機などの機械製品を1台丸ごと組み立てる生産方式で、屋台の店主が一人で手際よく棚やタッパーから取り出して料理をテキパキつくって提供する姿に似ていることから「デジタル屋台」なども称される。

本来こうした組み立て系のものづくりは、作業工程を分割し、その工程だけに習熟した人をアサインするほうが全体の生産性が上がることが知られている。いわゆるフォーディズムという考え方だ。自動車メーカーのフォードが世界初の量産自動車、「T型フォード」を製造するために編み出した生産方法であることからこう呼ばれるようになった。このフォーディズムによる生産方式は現代においても引き継がれ、トヨタの「トヨタ生産方式(TPS)」もこの考え方に則り、構築されていることは、ものづくりに関わる方々ならご存知のだと思う。

対してセル生産方式は、生産性は若干落ちるものの、働く人がものづくりの喜びや充実感を感じることができ、モチベーションアップ、技能アップにつながり、チームワークも継続的に高まっていく生産方式とされる。

およそメーカーにとっては、生産現場の生産性は安全性の次に優先される価値だが、働き方改革が世の中の大きなテーマとなっている今、生産性をいかに落とさずに働きがいやモチベーションアップにつなげるかに焦点が当たるようになっている。

がむしゃらに機械のように生産性を上げる、のではなく、楽しく、やりがいをもった“持続可能な企業活動”が求められている。それが現代の企業のあり方である。もっといやらしく言えば、国際社会において相対的競争力の低下している日本企業のイノベーション力を高める新たな起爆剤とならないか、ということである。

バリアフリーよりバリア・アリー

ワタシは、イノベーションを口酸っぱく言い募るトップがいる会社ほど、イノベーションを生み出す土壌ができていない現れだと確信しているのだが、そういう企業トップにこそ、不便益を考える場を職場につくってほしいと思うのである。

ワタシは仕事の生産性の低い不便益の見本のような人間であるが、具体的に不便を作り出すことで益を生み出す事例に詳しいわけではない。

で、公益社団法人日本バリューエンジニアリング協会(VE協会)の「不便益&VE研究会」の面々が執筆した、「不便益の実装」という誠に有益なる本からいくつか紹介してみようと思う。

 ①足漕ぎ車椅子

手動でも電動でもなく、足で漕いで進む車椅子。足の不自由な人が利用するのが車椅子であるのに、その存在自体を否定する車椅子であるが、足で漕ぐことで、自分の足で移動するという喜び、リハビリ効果が期待できる。オプションでペダルを固定するソケットを装着すると、動く方の足で漕ぐと動かない方の足もつられて動き、動かない方の足を司る脳の部位が反応したという報告もあるそうだ。

 ②でこぼこ庭園

でこぼこしている幼稚園や保育園の庭。実際に導入している幼稚園、保育園もある。平らな庭園と比べて、凸凹しているので、転んで怪我をする可能性が高く、移動に手間がかかる。だが、子どもたちがより生き生きし、体幹が鍛えられ、転びにくい力が養われる。また移動がやっかいであるため、移動方法やルートを考えるようになり、そこから新しい遊びを編み出した園の例もある。

 ③消えていく絵本

数年経過すると絵や文字が消えて読めなくなる絵本。紙の記録性を高めるために100年インクなどが開発されているが、その逆の発想でつくられた本。情報がいずれ消えてしまうので、一所懸命読もうとする。読む行為をモチベートする益がある。絵本に限らず、情報のデジタル化によって記録しておけば、いつでも取り出せるという意識が一般化し、よほど重要なことでない限り、記憶するという行為をしなくなりつつある。カーナビに頼ると街を把握できなかったり、デジカメで大量に撮った写真をあとから見ても思い出せなかったりするなどの現象が知られており、こうした「消えていく」効果を使った脳の活性化の益は大きそうだ。

 ④レンズ付きフィルム

デジカメの普及で一気になくなったフィルムカメラだが、最近はデジカメネイティブの若い世代にフィルムカメラが人気となっている。とくに一世を風靡したレンズ付きフィルムは、Z世代を中心に人気を集めている。レンズ付きフィルムは撮影枚数が限られている上に、現像に出してプリントされてくるまで写真の出来栄えが確認できない。そのため漫然と写真を撮るのではなく、「一球入魂」という意識で撮影に集中でき、技術向上の益が得られる。

 ⑤バリアアリー

バリアフリーの逆、アリである。シャレである。デイケアセンターなどにあえて小さなバリアを設置するのである。でこぼこ庭園と同様に移動に時間がかかるし、下手したら怪我のもとになる。ただそこはアイデアで、よくあるつまづきなどは段差がわずかである場合が多いが、あえてわかりやすいバリアを設定しておけばつまづきは回避できる。スロープではなく階段を置いたり、直線ではなく、曲線を重ねたりして移動距離を長くすることで足腰の筋力がつくという益が得られる。

この視点は工場などの環境整備にも利用できる。工場では働く人がとにかく集まらないので、現場で働く人の負担軽減のためにITやロボット導入が進んでいるが、逆に適切な負荷を残すことで、筋力や健康維持・促進が可能となる。適度な負荷を組み合わせれば、別にスポーツジムに高い費用を払って通う必要もないはずなのだ。

「時間がかかるようにする」「操作量を多くする」「疲れさせる」…そこに益が在る

これまでのシステマティックでロジカルな思考からだと、何が不便で、何が益なのかを探り出すことは、「言うは易く行うは難し」だろう。紹介した本では手法として次のような思考を挙げている。

  • 1)「アナログにせよ」
  • 2)「時間がかかるようにせよ」
  • 3)「操作数を多くせよ」
  • 4)「大型にせよ」
  • 5)「劣化させよ」
  • 6)「限定せよ」
  • 7)「疲れさせよ」
  • 8)「無秩序にせよ」
  • 9)「操作量を多くせよ」
  • 10)「情報を減らせ」
  • 11)「危険にせよ」
  • 12)「刺激を与えよ」

まるで、はからずも不便益道を歩んできたワタシの特性を列挙しているようだが、こうしたことがイマドキの益につながっていると思うと、どこか生きていて良かったと思えるのである。

不便益への取り組みは、きっとどこか自信のない人々への福音となるに違いない、きっと。

イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ。

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ライター:

フリーランス歴30年。ビジネス雑誌、教育雑誌などを中心に取材執筆を重ねてる。小学生から90代の人生の大先輩まで取材者数約4,500人。企業トップは500人以上。最近はイラストも描いている。座右の銘「地の塩」。

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