ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

辺野古事故 死者の政治利用か、遺族の拒絶を踏みにじる集会告知に批判殺到

コラム&ニュース コラム ニュース
リンクをコピー
人権と報道・連絡会 チラシ
Xで拡散された 人権と報道・連絡会の案内

3月の沖縄・辺野古沖での抗議船転覆事故から約2カ月。亡くなった同志社国際高の生徒の遺族が示した切実な拒絶の思いを踏みにじるような集会告知が5月13日に拡散され、批判が殺到している。

遺族の哀悼の権利を奪うかのような死者の政治利用の経緯と、そこに浮き彫りになる責任転嫁の構図を追う。

 

4月1日:「到底、許容できない」遺族が発信していた切実な声

事の前提として、亡くなった同志社国際高校の生徒、武石知華さんの遺族が4月1日の時点で発信していた悲痛な訴えを振り返らなければならない。

X上の投稿などによると、遺族は手記公開プラットフォーム「note」を通じて、娘の死が一部の政治的活動に結びつけられることに対し、次のように述べていたという。

「適切な届出や保険の手続きすら欠いたままボートを運航し、知華の命を奪い、17人の生徒を海に投げ出し命の危険に晒すという取り返しのつかない結果を招いた、重大な責任を負うべき組織と行動を共にしている人が、知華をまるで自分たちの仲間であったかのように語ることは到底、許容できません」

この言葉は、フラットな視点での平和学習の一環として沖縄を訪れたはずの娘が、ずさんな安全管理の犠牲となったうえ、死後に特定の政治活動の賛同者や殉教者であるかのように扱われることへの、心の底からの抗議であった。遺族はさらに、この出来事によって「今後は辺野古を訪れただけで自動的に反対活動への賛同者としてレッテルを貼られるのだということを知らしめた」と強い警鐘を鳴らしていたのである。

 

5月13日:遺族の思いを無視した天国からの視点の拡散

しかし、この遺族の痛切な叫びは、特定の政治的主張を掲げる者たちには全く届いていなかったか、あるいは意図的に無視されたようだ。

13日、SNS上で一気に拡散され激しい非難の的となったのは、17日に那覇市の牧志駅前ほしぞら公民館で開催予定の緊急学習会の案内チラシである。主催は「人権と報道・連絡会(代表世話人・浅野健一元同志社大学大学院教授)」となっており、「抗議船転覆事故乗り越え、辺野古新基地建設阻止を強化しよう」と題されたその文面には、目を疑うような一文が記されていた。

「亡くなった生徒と金井牧師が天国で、高市自民党政権と政治家の動きをどう見ているかを考えたいと思います。」

4月1日の時点で遺族が「仲間のように語ることは許容できない」とあれほど明確に拒絶していたにもかかわらず、主催者側はあろうことか、亡くなった武石さんを「天国から政権を批判する存在」として勝手に位置づけ、自らの政治活動の文脈に再び引きずり込んだのである。

この文言が拡散されると、X上では瞬く間に批判が殺到した。あるユーザーは「亡くなった知華さんは綺麗な海を見たくて辺野古に来たんだよ。なぜ死者の視点を勝手に作り上げるんだ?政治利用しているのは左翼だろう」と憤りを露わにしている。また、別のユーザーからも「軽々しく武石知華さんの名前を使うな!!謝罪をしろ!!」という激しい怒りの声が上がった。

他者の心中、ましてや不慮の事故で亡くなった若者の天国からの視点を、遺族の意向を完全に無視して自らの主張の道具にすることは、もはや傲慢という言葉では到底済まされない暴挙である。

 

責任転嫁とイデオロギー優先の危うさ

ネット上の批判は、集会の案内文のみならず、反対運動側の一部に見られる安全管理責任への不誠実な向き合い方にも向けられている。

基調講演を行う浅野健一氏は、事故当日の3月16日、自身のXアカウントで「ネトウヨが、新基地反対闘争が続く辺野古での学習を非難しているが、反対派を敵視する海保が速やかに救助したか検証が必要だ」と投稿していた。これに対し、Xでは「高校生の安全責任は海上保安庁や工事を進めている業者と防衛省には全く無い。船を運航しているヘリ基地反対協議会とそれを依頼した同志社国際高校にある。責任転嫁をするのはやめて下さい」といった冷静かつ的確な指摘が上がっている。

3月16日の他責的な発言、4月1日の遺族による悲痛な拒絶、そして5月13日に拡散された死者を冒涜するかのような集会チラシ。この時系列は、当事者たちの倫理観の欠落を残酷なまでに可視化している。定員超過や救命設備の不備など、ずさんな運航実態が指摘されているにもかかわらず、学校側や運航側の責任についての徹底した検証は後景に退けられようとしている。

抗議船の船長であり、共に命を落とした金井創牧師の活動そのものを否定するものではないが、多数の高校生を乗せた船舶の安全管理体制に重大な瑕疵があったことは疑いようがない。そうした根本的な原因究明や自らの責任から目を背け、あまつさえ遺族の思いを踏みにじってまで「反基地」「反政権」という大義名分のもとに犠牲者の名を消費しようとする姿勢が、社会の理解を得られるだろうか。

自らの信じる正義の枠組みに事実を無理やり押し込めようとしたとき、そこに生身の人間への想像力や、遺族の悲しみへの配慮は完全に失われてしまう。未来ある若者の死という重い現実を前に、社会は今、イデオロギーによって死者を冒涜する行為に対して、極めて厳格な態度を示す必要がある。真の哀悼とは、事実を直視し、政治的な喧騒から静かに距離を置くことからしか始まらない。

Tags

ライター:

Sacco編集・ライター。企業に直接出向く取材が中心。扱う記事はサステナビリティ、エンタメ関係が多め。

関連記事

タグ

To Top