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公益財団法人ミダス財団

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〒107-0052 東京都港区赤坂八丁目11番37号 いちご乃木坂ビル5階

ミダス財団シニアフェロー就任 萩原なつ子氏が語る「前例をつくり続ける」財団の可能性

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ミダス財団シニアフェロー 萩原なつ子氏
ミダス財団シニアフェロー 萩原なつ子氏(提供:ミダス財団)

立教大学名誉教授で、独立行政法人国立女性教育会館理事長を務めた萩原なつ子さんが4月、公益財団法人ミダス財団(以下、ミダス財団)のシニアフェローに就任しました。公益財団法人トヨタ財団アソシエイト・プログラムオフィサー、大学教員、宮城県庁、省庁の審議員などを歴任し、幅広い分野で活躍する萩原さんに、これまでのキャリアやミダス財団への期待を聞きました。

 

入社3カ月で結婚退職、夫の一言で社会学の世界へ

――男女雇用機会均等法(1985年)ができる前に就職し、キャリアを積んできました。

大学卒業後の1979年、やっとの思いで就職した広告代理店は、たった3カ月で結婚退職しました。当時はそれが当たり前だったので退職を受け入れつつも、「なぜ結婚したら仕事を辞めなければならないのか」とモヤモヤしました。

そうしたら夫が「大学で学び直したら?」と。大学を出たばかりだったので驚きましたが「大学は学びたいこと、学ぶべきことがあると思ったときに行くもの」と言われたことが大きかったです。夫の言葉に背中を押され、母校の明治学院大学の社会学部に学士入学し、学び直しました。ちなみに夫は今も大学に通っています(笑)。

――明治学院大学の英文科を卒業された後に、社会学部へ。なぜ社会学だったのですか。

当時の男女差が構造的な問題で、研究して社会を変えたいと思ったからです。求人方法や、寿退社、賃金とさまざまな男女格差がありました。当時はジェンダーという言葉はなく「ウィメンズ・スタディーズ(女性学)」という言葉が日本でも広がり始めたころでした。既存の学問分野、調査・研究の多くは男性の視点にたったものだったので、20代の女性の視点で見たらどうだろうと研究を始めました。私の原点です。

大学に通いながら娘を出産しました。「赤ちゃんが生まれたから、赤ちゃんを連れて大学行くね」って。44年前のことです。

ミダス財団シニアフェロー 萩原なつ子氏
(提供:ミダス財団)

――育児サポートなどゼロの時代です。どう乗り切ったのですか。

周りを巻き込み、手伝ってもらいました。「なっちゃんの赤ちゃんを見る会」ができました(笑)。同級生がミルクのお湯をもらってきてくれたり、宿直室で寝かしつけをしてくれたり。娘を連れて合宿やフィールドワークにも行きました。だから娘は小さいときからたくさんの大人を見てきました。私の子育てのポリシーは「家出できるぐらい頼れる大人をたくさんつくる」です。娘は今でも私の友人と連絡を取り合っています。時には一緒に遊びに行ったり。

こうした経験から、立教大学の私のゼミは子連れOKにしました。子どもたちはゼミ中の学生同士のやりとりをしっかり聞いています。子どもは親を見て育つので、親が学ぶ姿を見せるのは素晴らしいことです。

研究者の道に進もうと決めていましたので大学院も社会学でと思ったら男性教員から「社会学は男性社会だから、なかなか教員のポストがとれない」と言われ、修了後にポストを取りやすい家政学研究科への進学を勧められました。その頃はまだ家政学部を持つ短大や大学が多く存在していたからです。実は、環境問題と家政学に密接なつながりがあります。19世紀後半に人間と自然が共生するための学問「エコロジー」を創ったエレン・リチャーズ・スワローは、のちに「アメリカ家政学の母」と言われています。彼女の思想と実践に触発されていたので、お茶の水女子大学大学院家政学研究科に進学しました。「子どもとエコロジー」をテーマに修士論文を書き、短大教員時代に環境問題に取組む市民活動団体を対象にした論文で博士号を取りました。師事した文化人類学者の原ひろ子先生(お茶の水女子大学名誉教授、故人)からは、論文の書き方から学生への指導方法、生き方まで多くのことを学びました。

ミダス財団シニアフェロー 萩原なつ子氏
(提供:萩原なつ子さん)
 

市民研究をサポートしたトヨタ財団での経験

――1989年から8年間、公益財団法人トヨタ財団(以下、トヨタ財団)でアソシエイト・プログラムオフィサーを務めました。1974年に創設された歴史あるトヨタ財団ですが、どのような分野を担当したのでしょうか。

私は市民研究コンクール(1979-1997年)「身近な環境を見つめよう」というプログラムを担当していました(1989-1997)。市民が地域の環境課題を発見し、課題解決につなげる研究への助成金を出すプログラムです。

当時の日本の民間助成財団は、大学研究者を対象とした研究助成のプログラムはありましたが、市民主体の研究に対する助成はほとんどありませんでした。市民を主役に据えたトヨタ財団のプログラムは、その後多くの財団が市民によるボランタリーな「市民活動」を支援する契機の一つになったと考えています。

トヨタ財団では全国を回り、助成プロジェクトを実施している市民、行政、研究者へのヒアリングを行いました。市民と地域社会をつくるステークホルダーが対話し、調査・研究を通して繋がりながら問題を解決していくことの重要性と合意形成のためのプロセスデザインを学びました。

選考委員だった動物行動学者の日高敏隆さん(故人)、詩人の谷川俊太郎さん(同)、赤瀬川原平さん(同)、NPO法制定にも関わったトヨタ財団プログラムオフィサー(現日本NPOセンター顧問)の山岡義典さんなど錚々たるメンバーとご一緒させていただきました。トヨタ財団がすごいのは、特定分野の専門家だけを集めなかったことです。多様な「身近な環境」に関する研究テーマが助成対象となるプログラムを選考するには、多様な考え方、専門性を持った選考委員の存在が大切なのです。プログラムオフィサーをつけている財団も当時は少なかったですね。

ミダス財団シニアフェロー 萩原なつ子氏
(提供:萩原なつ子さん)

――ほかにも、宮城県庁や文部科学省中央教育審議会委員、内閣府休眠預金等活用審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員など本当に広い分野でご活躍されてきました。秘訣のようなものはあるのでしょうか。

トヨタ財団でお世話になった動物行動学者の日高敏隆先生から、「向こうから仕事がやってくるということは『きっとこの人ならできる』と思って頼んできているんだから、選り好みせずにやればいいんだ」と励ましていただいたんです。

以来、お声がけいただく仕事は「私にできるからお話がきたのだ」と思って、引き受けてきました。最も意外だったのは内閣府の「国民の北方領土問題に関する調査・分析」に関する仕事です。NPOに関わっていたので依頼されたのだと思います。さまざまな仕事を通し、経験値を上げ、多様な人との関わりが、今の自分につながっています。

ミダス財団シニアフェロー 萩原なつ子氏
(提供:ミダス財団)
 

若手研究者への助成を提案したい

――ミダス財団への参画のきっかけは何でしたか。

独立行政法人国立女性教育会館(NWECヌエック)の理事長に着任してすぐに、ミダス財団代表理事の吉村英毅さんにお会いする機会をいただきました。

マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏、グラミン銀行を創設したムハマド・ユヌス氏に強い影響を受け、ビジネスを成長させ、その結果として生まれた利潤を純然たる社会貢献活動に振り分けていくという吉村さんの構想に、とても感銘を受けました。ミダスキャピタルの収益の一部と吉村さん個人も年間1億円の寄付をされているなど、財政基盤が盤石ですし、財団として最もインパクトを出せる領域で社会貢献をしているのも素晴らしいです。

特別養子縁組支援事業、子どもの体験コンソーシアムなど毎年新しい事業を創出し、継続するという点も素晴らしいと思います。2026年はひとり親家庭の支援に取り組みます。行政の場合、予算の関係で新規事業が数年で終わってしまうケースも少なくありません。長く続ける意思と財力があるのがミダス財団の強さです。意思決定のスピードが早いので数々の事業を進める中には、もしかしたらうまくいかないケースもあるかもしれませんが、ミダス財団の「とにかく前例を作る」という姿勢はとにかくすごいと思います。

ーートヨタ財団や行政、アカデミアでの経験をミダス財団でどう生かしますか。

新しい公募プログラムをつくるときに、トヨタ財団での経験を生かせると考えています。特に市民活動や、若手研究者への助成は大事だと思っています。

今の時代、早いアウトカムが求められますが、研究の成果が出るには時間がかかります。トヨタ財団でも早くから若手研究者の助成を行ってきましたが、今、皆さんご活躍しています。私自身、希少疾患の家族がいることもあり、希少疾患の研究などにもスポットライトが当たってほしいと思っています。

ミダス財団の会議にはまだ数回しか出席していませんが、若い方が熱心に質問してくれてありがたいなと思います。自分の持っているものを惜しみなく提供します。でも、決して押し付けずに。ミダス財団のビジョンは「世界中の人々が人生の選択を自ら決定できる社会」です。その実現のために、貢献したいと思っています。

ーーありがとうございました。

◆プロフィール
萩原 なつ子
1956年山梨県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。博士(学術)公益財団法人トヨタ財団アソシエイト・プログラムオフィサー、東横学園女子短期大学助教授、宮城県環境生活部次長、武蔵工業大学助教授(現東京都市大学)、立教大学教授などを経て、2022年4月から2026年3月まで独立行政法人国立女性教育会館理事長。2026年4月に公益財団法人ミダス財団シニアフェローに就任。立教大名誉教授。山梨県顧問。文部科学省中央教育審議会委員。内閣府男女共同参画推進連携会議議員、内閣府休眠預金等活用審議会委員、環境省中央環境審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員などを歴任。専門は環境社会学、消費者教育、NPO論、男女共同参画等。

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中田塁 (なかた・るい)

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フリー記者。新聞社の記者を経て独立。主な取材テーマは教育・受験、働き方。経済・法律メディアに寄稿している。

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